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これが現象学だ
現象学とはなにかを、創始者であるフッサールの個人的な歩みや、書籍化されていない書簡を絡めながら、新書の読者に向けて解説した本。

まず、学問の歴史から紐解いてみせる作者の教養に引き込まれる。フッサールは数学者として学者人生をスタートさせたが、当時の科学の行き詰まりを背景に、のちに自身で現象学と呼ぶことになる思索を始める、という歩みを科学史的な背景から説明している。

原初学者たちは、万物には神の方程式が埋め込まれていて、それを解き明かすのが自分たちの使命なのだと考えていた。そこへフッサールの生きる時代になってから、純粋な論理が現実世界とは別々に存在しているのだという考え方が興った。その考え方は数学としてさらに進化を続け、非ユークリッド幾何学などの現実とかけ離れた公理から作られる世界について考えることが出来るようになり、学問が現実世界とのつながりを失ってしまった。

一方で数学以外の学問では、肥大した哲学に代表されるような、おのおのが反省なく思索の上に思索を積み重ねていったような、客観的な根拠に欠ける心理主義と呼ばれるいい加減な学問がのさばっていた。

そこへフッサールは、人間の認知的な土台を元に、論理と現実世界とを結びつけようと試みた。

ここまでたどり着くと作者はとたんに曖昧な表現を使い始める。私なら一気に結論を言い切ってしまうところだ。作者はフッサールやこの学問に対して敬意を持って留保しているのか。謙虚さなのか限界なのか分かりかねるが、当時のフッサールの造語をいたずらに説明して、読者を不要な思索の道に送り込んでいるように思う。

フッサールのやっていることを私がそれっぽい言葉で表現すると、理論認知科学なのではないだろうか。人間がどのように世界を認知するのかということを解明しようとする広範な学問である認知科学の中で、人間の思考パターンの抽出物であるところの論理を理論的に説明しようという試み、それが現象学なのではないかと私は思う。

もっとも、現象学は科学ではなく哲学の中にあり、あくまで学問の枠組みを決めるための考え方だとしたほうが良いのかもしれない。実験をせずに思索だけで自由奔放に論理が構築されていっているのは横で見ていてとても不安で、高く危なげに積み上がったものを見せられても「へえ」としか感想をもてなくなってしまった。

人間の生活を豊かにしてきた科学や技術の礎には、因果律のような哲学上の成果があり、現象学もまたそれらの礎にならないと思わなくもないが、今のところ私には現象学は空虚な思索に思えてならない。

後半になって内容が難しくなり、作者が筆を速めたこともあり、私は途中で投げ出してしまった。ドイツ語の用語とか、それを直訳した『原……』などの言葉があふれてきて、理解しようと努力する価値があるようには思えなくなったのだ。ちゃんと努力して理解に努めようとする人にとってこの本がどうなのか分からない。

なんだかんだで、現象学がどんなものかが一応分かったので、良しとする。
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