いわゆるA級戦犯 |
首相による靖国神社参拝を問題とする中韓や国内の声に対して、A級戦犯と呼ばれるものがなんなのかを説明し、まったく不当であるということを主張したマンガと活字による本。
私はいわゆる靖国問題と呼ばれるこの問題に対して、主に週刊文春などで色々な意見を見てきたが、一番納得のいく答えとしてこの本の作者・小林よしのりの言う死者を裁かないという考え方がしっくりくると考えていた。
だからその前に日経新聞のスクープによる天皇の合祀忌避疑惑についても、仮に本当だとしても違和感を覚えている。とはいっても天皇は当事者なのだからそれなりの考えはあったに違いないし、そこを批判するつもりはない。
つまりこの問題に対する私の意識は、当時の日本の指導者には大なり小なり責任はあったし間違いを起こしたというのが妥当だとしながら、彼らなりに時代を生き抜いて死んだ彼らの墓にまで何か言うのはおかしいというところにあった。身もふたもない言い方をすれば、詳しいことはよく分からないけど死んだ人間の墓には見舞うべきだし、それがたとえ凶悪犯でさえ同じだと思う。
ところが本作では極論を言ってしまえばA級戦犯全員を完全に擁護している。中でも東条英機と広田弘毅には一話分ずつ当てて書いている。ここまで完全に擁護しうるとは思っていなかった。
本作の主張を乱雑にまとめるとこんな感じだ。
・A級戦犯を選ぶ時点でいい加減だった。
・彼らの中には開戦決定やそれ以前の政策にまったく関わっていない者がいた。また、決定に関わっていても、仕方なく選択せざるをえなかった。
・東京裁判自体が違法である。
・罪状がおかしい。特に共同謀議しようがないし、そもそも共同謀議という罪自体が軽い。
・彼らの多くが自らの責任を強く感じていた。
あんまりまとめすぎるとおかしくなるし、こんなことに時間を使っていられないのでこのへんにしておく。
戦争自体については既に、大ヒットとなり世論を喚起した戦争論シリーズで語っていることもあり、本作では東京裁判に絞って割とストイックに書かれているように思われた。彼らが法廷や巣鴨プリズンでどのように過ごし、どのように死んでいったのかが、割と細かい描写も含めて書かれており、様子が再現されている。このあたりの空気感はマンガならではの表現力だろう。
日本の指導者たちは一人一人の人間としてはとても立派だったと思う。私は何度もこの問題について考えるのだが、日本の悪いところは個人に帰結するものではなく、集団になったときにネチネチとして暴走するところだと思う。学校でのいじめ、部活動での後輩しごき、村社会が他人に後ろ指を指す、などなど現在にも残る日本人の悪徳が悪夢を生んだのだ。日本が無責任体質なのも、誰も個人として責任の取りようがないからだという根本的な問題から来るのではないだろうか。みんなが悪いとはなかなか言えないものだ。
それとは別に、ろくに兵站のない地域に無茶な進軍を命令したのはどこの誰でどういう精神構造を持っていたのかという問題は残るが、それらは少なくとも東京裁判とは区別すべきだろう。
ナベツネこと読売新聞会長渡辺恒雄が新兵のころ大変な屈辱を軍隊から受けたことをうらんでいるだとか、あとこの本には書かれていないが司馬遼太郎みたいに実際に戦争に行った人たちが当時の指導者や日本の体制に不満を持つのは、当事者として仕方のないことだとも思った。
私が生きている間に戦争がまた起きて、進んだらほぼ確実に死ぬ弾幕の中に突撃しなければならないようなことが起きないことをただただ願う。
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