「社交界」たいがい |
西洋人の社交界というものから文明論や人間論を展開してみせる表題作ほか、他の人が言わないようなことをズバズバと言う名エッセイスト山本夏彦の随筆を集めた作品。
この人の「コラム」の素晴らしさは繰り返さなくても良いと思うので、主に表題作について簡単に説明する。
まずこの人らしく、多くの日本人があこがれる西洋の社交界・サロンみたいなものについて、本当に素晴らしいものなのかどうか疑うところから始まっている。
最初に出てくるのは喜劇作家モリエールの代表作「ミザントロープ(人間嫌い)」の筋が紹介される。この作品は要は社交界に必死に参加しようとしてそれが出来ない不器用な人を笑った作品だとされるが、一方でそうではなく虚飾と本音が入り混じる社交界というものの馬鹿馬鹿しさを笑った作品なのではないかという解釈があるという。
モリエールの作品は解釈が分かれるが、ご存知スウィフト「ガリバー旅行記」には露骨に人間の恋愛の駆け引きをからかった馬の国の話があり、トルストイ「クロイツェル・ソナタ」にもいい男を捕まえるための心得をあからさまに娘に解く描写があるらしい。
小デュマ「椿姫」に触れ、ここに出てくる社交界は本物の社交界ではなく半社交界(ドミ・モンド)だという。違いは身分とお金のやりとり、つまり貴族が参加するかどうか、令嬢婦人か高級娼婦からしい。ついでにデヴィ夫人は半社交界のほうにいてスカルノに見初められたため、後日本当の社交界に出たときに面前でバカにされて、腹を立てて傷害事件を起こしているそうだ。
明治維新のあと日本の使節がヨーロッパを周ったときの様子を書いているのは、当時の日本人は西洋の文化に驚きこそすれ自分たちが劣っているとは思っていなかったということを言いたいのだと思われる。さらに時代は下って、ロシア人の女性からめちゃくちゃモテたとされる広瀬武夫と、イギリスに留学してひどい目にあってそれを正直に書いた夏目漱石に触れ、このあたりまでを卑屈でない最後の日本人ではないかと言っている。
鹿鳴館は卑屈になった日本人の象徴とも言える建物で、来日してそこで行われた社交界に出席したというフランス軍人にして作家のピエール・ロチの日記を紹介して、自動人形のように踊る奇妙な日本人を冷静に観察した文章を引いている。
作者はここでロチの、社交界はどこも同じだと日本の女性に対して掛けた思いやりの言葉に、それだけではない意味を見出そうとしている。社交界なんてどこも同じで虚飾にまみれたものだと。
作者は縦横無尽に古今東西の話を引いてくるので話の流れが分からなくなったりするが、日本では源氏物語の世界が西洋の社交界に、吉原の遊郭が半社交界にあたると言っている。どこの社交界も本音をたくみに隠して恋愛文化(金や血筋のやりとりがあっても擬似恋愛として)を成り立たせている。本気になって死を選ぶ人間もいたのだから決してままごとではない。
これを精神分析学者の岸田秀なら、本能の壊れた人間が生殖のために作り出した幻想であり文化だと言うだろうなあ。
キャバクラで客の男の方が女の気を引いたり、女が拒絶する権利を持っていたりするのは、こういう社交界の文化が引き継がれているからなのだという。そういわれてみれば、無条件にかしずかれるよりは少々面倒でも擬似恋愛を楽しませてくれる方が男の方としても幸せなのかもしれない。
この人の文章はくどくどしく全部書くのではなく読者に自分で考えさせるようにわざと説明を省くらしいから、正直どういう流れにもっていきたいのかよく分からない挿話もあったが、それぞれ言いたいことは分かるし、持って行きたい結論とまではハッキリしないが大体どんな感じのことが言いたいのかは分かる。でもこうして解説文を書くのは難しいのであとは手にとって読んで欲しい。原典が明記されているのできっと手軽な教養になると思う。他にモーパッサンやゾラなど、ウンチクの嫌らしさが微塵も感じられずエッセンスだけ取り出して紹介してくれるすがすがしさ。
ここまで非人間的なまでに冷徹な人間観察をしておいて最後の最後で、自分はまだ恋愛をするだろうと書いて結んでいるところもすごい。そりゃ私だって現実に魅力的な女性を見ると恋をするだろうけど、そんな自分とどうやって折り合いをつけるのかためらわないのだろうか。そういうものだと思うところまではいいのだが、駆け引きなんてバカバカしくてやってられなくなる。 |
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