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新ゴーマニズム宣言 第168章 瀋陽総領事館とメディア規制法
瀋陽総領事館の難民亡命問題と、政府が進めているメディア規制法案に反対するメディア各社とを、相互に多少関連づけながらも別々に批判する話。

まず前半部は、日本の外務省がいかに落ちぶれたのかを説明するために、マスコミの一部で杉原千畝をかつぎだしてきたが、それは見当違いだよという主張。杉原千畝は、自分の信じるところで国益を守るために法を破った。それに対して瀋陽の外交官は、国益を守るためには法を破る必要がなかった正常な状態にあったのに守れなかった、のみならず、法を破って国益を損じた。たしかにその通りだと思う。むしろ、杉原千畝と比較するならば、瀋陽の外交官もまた同じように自分の信じるところによって国益を守ろうとして法を破ったとも考えられないこともないのだから、比較の対象にしてはならないとさえ言えるのではないか。

後半部は、同じ論理でメディア規制法案に反対するマスコミ各社を批判している。普段は法に守られてプライバシーを侵害しているのに、ここぞというときに法案に反対するのは、マスコミとしての気概がない、とのことだそうだ。これは見当違い甚だしい。法案が実際に成立してからなら、ジャーナリストとしての哲学の一つとして尊重されるべき立派な態度だと思うのだが、法案はまだ成立していないのだから、法ができるのを阻止する運動に対して「法を破るぐらいの気概を持て」とは同業者を背後から撃つようなものである。

奇しくも同じ号に、呉智英がリーガル・マインド(法的理性)についての文章を書いている。呉智英なら小林よしのりのこの姿勢を必ず諭すだろう。ちなみに私の中では、リーガル・マインドといえば「かばちたれ!」というマンガの「大人は法律で喧嘩する」みたいな言葉が強く印象に残っている。

最後のページで、著作権法まわりの訴訟で小林よしのりが勝訴したことを報告している。これも、著作権法とその解釈が妥当にできているからこそ勝てたのであり、もし改悪されるようなことがあれば、彼こそが率先して戦うだろう。まさか自分自身に対して「法を破るぐらいの気概を持て」とは言わないだろう。もちろん、実際に改悪されたとしたら、小林よしのりこそ法に関わらず戦ってくれることには疑いをもっていない。
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