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チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷
ルネサンス期のイタリアで、ローマ法王を父に持つ立場を利用して、地方の豪族に支配されていたローマ周辺の地を教会の名のもとに征服して自分の王国を築こうとした若者チェーザレ・ボルジアの短い一生を描いた作品。目的のために手段を選ばなかった彼の行動を、フィレンツェの外交官として身近に見てきたマキアヴェッリが強い影響を受けて、のちにマキャベリズムとして有名になった「君主論」を書いたとされる。ローマ人の物語などで知られる塩野七生の出世作。

当時のヨーロッパのややこしい政情を知るにはとても良い作品だと思う。

まず、チェーザレ・ボルジアの父親はスペイン出身のロドリーゴ・ボルジアこと法王アレッサンドロ六世で、イタリア出身の法王が多い中では珍しかった。当時の法王は他国の皇帝や王や貴族に対して強力な力を持っていて、戴冠つまり玉座につくことを認めたり神の代行としての祭事を認めたりすることができ、言うことを聞かない君主に対して破門するぞと脅すことができた。

じゃあ最強の権力を持っていたかというとそうではなくて、ローマ周辺の地は豪族に実効支配されていたし、いまのイタリア国内ではヴェネツィアやフィレンツェなどの都市国家、国外では大国フランスや神聖ローマ帝国や新興のスペインなんかにもおびやかされていた。特に当時フランスは、イタリア半島の南半分を占めるナポリ王国にいちゃもんをつけて十字軍派遣のための基地にするからという名目で征服しようとしていた。陸続きじゃないのにどうして攻めることができたのかというと、途中の小国を征服したり屈服させて軍の通行権を認めさせたからだった。

そんな戦国時代(?)のイタリアで初めてイタリア統一という考えを初めて持ったのが、この作品の主人公チェーザレ・ボルジアなのだという。

カソリックの聖職者は結婚しないものなのだけど、チェーザレの父親である法王アレッサンドロ六世には当たり前のように何人か愛人がいて、中でも最愛のヴァノッツァ・カタネイとの間には四人も子供がいた。そんな庶子の長男チェーザレを法王は自分の権力を使って強引に枢機卿にした。おそらく自分の権力を一番及ぼしやすい教会内で権力を与えるのが一番手堅かったのだと思う。

次に法王は次男のホアンを自分の出身国スペインの貴族と結婚させて領主にし、その上さらに教会軍の総司令官にした。結果的に次男ホアンが栄光の舞台に押し上げられることになったのを見て、野心あふれるチェーザレは自分の道の最初の障害となったとみて次男ホアンを暗殺する。そして彼は誰もがうらやむ枢機卿という地位を捨て、父である法王の力でフランス王と取引をしてフランスの貴族と結婚しフランス王の庇護を得る。チェーザレは相当な貴公子だったらしい。

彼はフランス宮廷や自らの領地にはほとんど留まらず、妻子を残したままイタリアに戻り、フランス王の軍勢を借り、教会の膨大な資産を利用して傭兵を集め、教会軍の司令官としての大義名分をもってローマ周辺の地の征服に乗り出す。その目的は自分の王国を築くことであった。

ほんとうに当時はいろいろと状況がややこしい。当時は血縁が一番大きかった。領主間の同盟は大体血縁だった。チェーザレの妹ルクレツィアは何度も嫁ぎまわされた。一度追い出された領主が、他の領主のもとに逃げたり、他の領主の力で返り咲いたりした。各国の背後関係がどれも細かすぎて、ちょっとした天秤のバランスで敵になったり味方になったりする。

国の継承権を持った女性と結婚することで国を継承できた。だから周りからの干渉を大きく受けた。どこそこの国の継承権をめぐって争いが起きた。法王には継承権を認める権限があったが、あまりに振りかざしすぎると武力で圧力を受けた。離婚を認めるかどうかなんていうのも法王の権限で交渉の材料になった。

ある国の君主なのに同時に他の都市や国の傭兵隊長になったりした。傭兵隊長というと金で使われる立場かのように思うが、実際にはヤクザのように弱い国へのみかじめ料みたいなものもあった。

さてこの作品。物語としてはちょっといまいちだと思う。まず序文で主人公のチェーザレがわずか31歳で死んでしまうと書いてしまっている。野望も達成されずに死んだといきなり知らされてしまうのはどんなものだろう。挫折の物語を紐解く心構えをこの段階で読者に持たせることは必要なことだったのだろうか。

歴史でもなく、伝記でもなく、小説でもない、しかし同時にそのすべてでもある、と解説で沢木耕太郎が肯定的に書いている。いまでこそ高い評価を得ているが、当時塩野七生は結構多くの批判を受けていたらしい。この作品を読むと、当時言われていた中途半端みたいな批評は当たっているんじゃないかと思う。多くの資料に当たったことを露骨に説明している部分と、登場人物の細かい行動や心理を唐突に記述するところとのアンバランスさが気になる。主人公チェーザレ・ボルジアの心情が見えにくい。彼の成し遂げた事業の歴史的意義も微妙すぎる。

作者の塩野七生は主人公チェーザレ・ボルジアにかなりの思い入れがあるようだけど、どうも私には主人公の魅力が伝わってこなかった。世に出る前の野心はよく分かったけど、妹への溺愛とか自分の王国やイタリア統一への野望なんかがあまり実感できなかった。あのマキャヴェッリが強い影響を受けたというほどの冷酷な手腕もどれもいまいちだった。敵国の外交官を騙して密約を結んで平和裏に屈服させてから秘密を知るその外交官だけ処刑してしまうところだけ良かった。老獪な法王の切った空手形なんてのはいかにもそれらしくて期待したのだけど結局よく分からなかった。城塞を初めとした領土の土木建築にはなんとあのレオナルド・ダ・ヴィンチが絡んでいたというのだけど、あったかどうかも分からない天才同士の交流とやらも文献からの地味な推測だけに踏みとどまっていて、作者の興奮しか伝わってこなかった。

中世ヨーロッパのローマ法王やイタリア周辺の権力事情について理解するにはこれほど素晴らしい作品はないと思う。歴史や政治のダイナミズムというのがこんなに分かりやすく説明されていて、学生時代に教科書と一緒に読んでいたらもっと西洋史がよく分かったと思う。当時のヨーロッパを忠実に再現することを目指したゲーム「ヨーロッパ・ユニバーサリス」はこんな世界の再現を目指していたから非情に難解なゲームになっちゃったんだなと思った。ただ、物語を楽しみたいとか、純粋に歴史的史料として読みたいという人には向いていない。

それでも、主人公チェーザレ・ボルジアの最期のシーンの描写はとてもドラマチックで、読後の無情観にシビレた。ああこの人は散り際の美というか陳腐な言い方をするともののあはれをよく分かっているんだなあと思った。ほんと、この感性は男なんじゃないかと思う。
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