不美人論 |
不美人について語る不美人論と言っているが、実際には不美人と自称する著者による美人論。美人でないことをよしとするウソくさい本ではなく、一体何が美人で何が不美人なのかを、さまざまな文献からざらっと紹介している。
まとまりのない本だ。読んでいて収束した感じがしない。いろいろなものをつまみぐいした気分だ。
卒業面。昔の女学校では、この娘は卒業面だ、というのは要するに在学中には結婚相手が見つからない、ということで不美人(ブス)の別称だったそうだ。不美人ほど勉強熱心になるという示唆、は私の邪推だが、事実はそうだ。
黒目の部分が大きいと感情的で美人に見え、白目が大きいと理性的でブスっぽくなるらしい。美人かどうかを決めるのは目や鼻ではなく実は口元やアゴだという。ちょっと信じがたいが、モンタージュやメイクなどの専門家が述べていることを拾っている。
美が主観的なものだということにも多くを割いている。たとえば、西洋では鼻を整形するというともっぱら逆に鼻を削ることだったらしい。日本人は鼻が低いので鼻にシリコンを入れて高くするらしいのだが、正反対だ。まあ要するにちょうどいい高さがあるという意味では万国共通だ。ほかに、八重歯が魅力的ということになっていた短い時代はそう昔ではない。また、余計な歯を抜くとアゴが締まってキレイになれるそうだ。
江戸時代の本を探って、当時の美の基準を紹介している。肌は白いほうがいいだとか、今とあまり変わらない。あんな昔でも人々が美容にこだわったというから、よほど豊かな時代だったのだろう。
驚いたのは、いまアユメイクと呼ばれている浜崎あゆみのマネのような画一的な化粧が批判されているのだが、江戸だか明治だかの京都の女性にもやはり画一的な化粧が流行っていたらしい。
美人や不美人が社会に及ぼす影響、みたいな内容は一切ない。そういうものを期待する人にはまったく期待外れな本だ。
不美人でもいいんだ、とか、不美人がいいんだ、という安易な道に逃げないところは実はもっと評価していいのではないか。たとえば、三島由紀夫などの言葉を引用して、見た目重視の世の中になるだろう、だとか、外見も人間の重要な要素なのだと紹介している。
もっと刺激的な美人論はないものだろうか。美人論と聞くともっと突っ込んだ話を期待してしまう。読者もそういったものを期待して手を取るのだと思う。
そういえば、小谷野敦「もてない男」といういわゆる男版・不美人論があり、こちらはモテない男そのものを深く考察して評判だったが、この作者自体はそんなにもてないというわけでもなく、いつ自分がもてないって言いました?とあとで開き直っていたそうだ。
美人やもてる男が美人論を書くことはないだろう。なぜなら、相手に不自由していなければ他のことに注ぐ努力なんて必要ないからだ。林真理子が大胆にも「美女入門」というシリーズを出しているが、こちらは美女じゃない作者が美女をきどってその気になるような本みたいだ。なにかを深く考察してくれるのは、美しくない者の仕事らしい。
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