私の嫌いな10の人びと |
こういう人のことが嫌い、という具体例を十通り挙げながら、日本人が無意識に従っている文化を否定的に考察したエッセイ。
作者は元電気通信大学教授で「戦う哲学者」の中島義道。日本の街頭にあふれる案内放送や掛け声や標語などはすべて親切の押し売りであり騒音以外のなにものでもないとして実際に担当者に直接訴えてやめさせようとした実録ものがウケて世に広く知られるようになった人の偏屈な考察集。
最初が「笑顔の絶えない人」。悲しいときでもとにかく笑うことを我々は美徳としているけれど、そんな人の笑顔を見ると居心地が悪いと言っている。無理に笑うのではなく自然に笑う方が良いとされるがそれもダメ。みんな結局自分の利益になるからこのルールに従っているだけではないかと言っている。ついでに同じ哲学者の梅原猛の笑顔にも突っ込みを入れていて、あれはああいう顔面の筋肉なんだろうと突っ込んでいるのがウケた。ほかに海外のスポーツ中継では事実の描写が中心なのに日本だとやたら選手の内面にまで踏み込んで勝手に想像してなおかつ前向きな方向に持っていこうとするだとか、男は笑顔の絶えない女が好きだけど女はずっと笑顔の男よりもふとしたことで相好を崩す男のほうが好きだとか考察している。
「常に感謝の気持ちを忘れない人」。この感謝の心を持つことがまるで「人間性指数」のように扱われていて、日本の社会はこの気持ちが欠如している人をつるし上げるように出来ている。作者は感謝を強要してくる人が嫌いなだけでなく、感謝されるのも嫌いらしい。作者がこんな風になったのは、この日本的な風習に染まった母親の影響らしく、本人も最初はどっぷり染まっていたのだけど、虚礼にくたびれ果ててついにやめてしまったそうだ。
そんな作者だから、立場上書かなければならない卒業生へのはなむけの言葉なんていう虚飾に満ちた挨拶文を一体どうするのか。正直に書いてボツを食らったことがあるらしい。普通のあいさつ文の一文一文の間に「どうせ死んでしまうのですが」を挿入すると本当の気持ちに近い、なんて言って実際にその文章を例示していて笑った。
「みんなの喜ぶ顔が見たい人」。それだけで十分だ、と言う人は謙虚なのではなく、とことんエゴイストで不可能を要求する人だと言っている。ここでは笑顔の押し付けという方向ではなく、「みんな」を喜ばせるのはとても無理だし、みんなが喜ぶと思っていること自体がマイノリティへの無自覚な弾圧だと言っている。例として朝ドラのヒロインを挙げていて、みんなのために粉骨砕身するヒロインの言うことを聞かない人がいると、怒るのではなく「悲しい顔」をする。結局物事がすべてこのヒロインの思う方向へと進んでめでたしめでたし。
こんな身も蓋もないことを言う作者が、ふとした縁で評論家の福田和也が主催する慶応大学のゼミで一回だけ講演したことがあるらしいのだけど、そのあとで女子学生三人が精神に変調をきたしたと言われたらしい。
「いつも前向きに生きている人」。まあ大体予想はつくと思うけれど、後ろ向きなのがなぜ悪いのかを問うていて、くよくよしたいときは思いっきり泣けばいいし、前向きを強要されることに腹を立てている。前向きというのは自己暗示であり、弱者や女に多いと言っている。
「自分の仕事に誇りを持っている人」。世の中の多くの仕事はまったく価値がないと断じている。まず自分の畑で哲学者を例に挙げていて、日本哲学会には二千人ほど登録されているが百人もいれば十分だし、哲学なんて家でやればいいと言っている。基礎研究も東大京大だけで十分だと。ここから大学批判に入り、教科書出版社と呼ばれるとこから教科書を出して学生に買わせて生計を立てる大学教師だとか、一般教養とか外国語や体育なんて大学には要らんからやめろまたは外注しろと言っている。
また、作者は油絵を十二年学んでいるそうで展覧会にも行くらしいのだけど、素人からみて非常にうまい無名の人々の絵が五千点余りもあるのにそのほとんどが社会的に無価値であることを認識して心が疲れたと言っている。この点については異論を挟みたいのは、裾野が広いからこそ頂点が高くなるのであり、たとえば日本の野球が強いのは高校野球という裾野があるからだ。でも作者が言うように、芸術分野だと判定が難しいし、運不運が絡む要素が大きいのだから、勝ち抜いても誇りを持つにはあたらないだろうと言っている。でも技術を持った仕事人は別だと言っている。パイロットやバスの運転手や消防士なんかを挙げている。
「『けじめ』を大切にする人」。けじめってなんですかと訊いても答えられないし訊くことすら拒絶するような思考停止した人であり、一見筋が通っているように見えてなんだかんだで社会を利用して自分に従わせようとする人だと言っている。類義語で「曲がったことが大嫌い」「おまえが情けない」などがあるとのこと。
ここから話が派生して、日本的な譲り合いの精神みたいなものがある影響で、儀礼的ではなく本当に譲りたいときにも分かってもらえないと言っている。ここは自分が払ってもいいと思っているのに儀礼的に受け取られて、本当にそれでいいのか?としつこく訊かれることに首をかしげている。まあ最近は変わりつつあって、ダチョウ倶楽部の上島竜平の「どうぞどうぞ」のネタみたいに揶揄されるようになっている。そういえば松本人志も、先輩芸人からの理屈じゃない圧力をバカにしたようなコントをいくつも作っている。
「喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人」。喧嘩なんてすればいいじゃないかと言っている。回転寿司屋で客に一つ席をずれてくれるよう頼めば三人連れが座れるようになるのに店員が何も言わないので作者がズレるよう言ったら渋々席を移動したものの睨まれ、店員も見てみぬふりをしていたという。女を殴らないという美徳があるが殴っておおいに結構だと言って三島由紀夫の著作を引いている。強い女だっているのだし、女が男を叩いても男は反撃してはいけないというのはおかしいと言っている。
同じ文筆業者と誌上で喧嘩をすることがあるらしい。この例では、なぜ喧嘩をするのかという点について違った見方をしている。こういう場合の喧嘩は、相手を従わせるためにやっている人よりも、単に自分の正しさとやらをアピールするために行っている人ばかりだと言っていて、そんな喧嘩は無意味だから自分はやらないと言っている。実際に二人の人と喧嘩をしたときのことをそのまま書いていて面白い。小野谷敦に対して「彼は私が大学の常勤の職にあることが気に入らないようだが、私は彼が常勤であろうと非常勤であろうと、どうでもいい。私の粗製乱造ぶりにカチンと来るようだが、私は彼がゴミのような本を山のように書いても気にならない」と書いたそうであまりにストレートで笑った。このとき小野谷敦は作者のことを「カントからは程遠い卑怯者の不道徳漢」と書いたそうなのだが、作者は同じ雑誌でカントのことを巧妙で狡猾だと主張する文章を書いており、まるで人の話を聞いていない無意味な非難だと言っている。
そんな作者は、小浜逸郎との書簡集の企画を始めるにあたって相手の著作三十冊程度すべて読んだらしい。このときは幾度かのやりとりのあと議論は無意味だと悟った作者は、無意味だという理由をなるべく正直に相手に伝えようとするあまり、誠実でありながら相手の神経を逆なでするとしか思えない文章を書き続けている。よく私たちも議論が平行線に陥ることがあり、その場合多くの人は一見相手を尊重するフリをしつつ結局自分を高みに置いて相手をバカにしたようなことを言って話を終えようとする。でも作者のように本当に心から議論が無駄なのでやめたいと思い、自分の正しさなんてどうでもいいと思っていかに双方にとって議論が無意味なのかを説得しようとしても結局話がこじれるだけなのだということが分かって面白い。
「物事をはっきり言わない人」。まず第一に責任逃れだと言っている。第二に無意味に過剰な演出を仕掛けるような例を挙げている。第三に「ここだけの話だからな」と言ってどうでもいい話をされてなおかつ強制的に道連れにされるようなケースを挙げている。最後に作者が勤務先の大学ではっきりと物事を言って周りの人を困惑させる一方で信頼も得て学科長にもなったとか、就職率が非常に高い大学で自分の担当する学生の就職率が50%そこそこでなおかついったん就職してもやめてしまう人が多いとか言っている。
「『おれ、バカだから』と言う人」。じつはほんとうにバカなのです、と斬り捨てている。「『あなたがバカであることは、とうにわかっているのです。さっきから、バカにもわかるように話しているのです』と言いたくなる」と言っていてウケる。要は偉ぶっている人が嫌いとのこと。男と女とでこれは微妙に異なるということを与謝野晶子の以下の短歌を引いて説明している。「やは肌のあつき血汐に触れも見で さびしからずや 道を説く君」自分は男の言っていることがよく分からないけれど結局あんたは女の柔肌が好きなんでしょ?と核心を突いていて、このような女を利口だと言いつつも嫌いだと言っている。
最後が「『わが人生に悔いはない』と思っている人」。もう大体予想通りの内容。小津安二郎の映画「東京暮色」を引いて、悔いのない人生なんてあるわけがない、と言っている。
最後のサプライズ、この本の解説をなんとあの最近寝取られ騒動のあったインテリ系女性タレントの麻木久仁子が書いている。この人、本当に頭良さそうで文章うまい。作者がこの本や他の本で書いてきたことをそのとおりに受け止めていると思うし、それを嫌味にならないようきっちりまとめている。まあ作者からすればこんな文章要らないと思っているには違いないわけだけど、日本的な文化に染まっている私のような読者が思わずニヤリとしてしまうような内容だった。作者はそんな空気が嫌いだと散々この本で書いているわけなのだけど。麻木久仁子が転落したのも作者の中島義道の影響なのかなあと邪推する。
そんな危険なこの本をおいそれと人に勧めるのは良くないのかもしれないけれど、この文章を最後まで読んでくれたような人はきっと多かれ少なかれ世の中から浮いていそうだから、いまさら読んだところで大したことはないだろうし、自分の立ち位置を確認する意味でもこの偏屈な哲学者の言葉に耳を傾けたらどうかと思う。
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