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1300年前、中国の属国に成り下がった「新羅」から"韓国病”の悲劇が始まった
高句麗で隆盛を誇った韓国が、その後いかに没落していったかを語った、日本に併合される李朝までの歴史の概観。

作者は、日本統治時代を見直すべきだという強い主張を持った韓国の学者、加耶大学客員教授・崔基鎬。

まず最初に高句麗がいかに強く影響力のある国だったかを語っている。隋や唐の大軍を何度も破ったくだりは、私もアメリカ系韓国人が得意げに BBS で語っているのを見たことがある。

ところが 668年、新羅が隋・唐に援軍を要請し、勝ったあかつきには自ら唐の属国となることを約束し、ついには統一してしまう。ちなみにこのとき滅びた百済は、朝鮮半島の文化を日本に伝えてきた文化的に優れた国家で、日本から百済に援軍を送って破れたのが白村江の戦いだ。

それから面白いことに、朝鮮半島ではこのときまで日本と同様に漢字二文字の性を持っていたが、新羅が中国式に一文字の性にしてしまったそうだ。作者は、日本統治時代の創氏改名で元の二文字の性に戻ったのだとか、日本人と韓国人は同根なので満州国建国は高句麗の失った土地を回復したのだと主張している。

新羅のあとで高麗が興ったが、高麗もまた、「韓族にとって第二の歴史的痛恨」と作者が表現する出来事が起きてしまう。高麗の一人の軍司令官が、明に遠征に行くはずの軍をとってかえして高麗を滅ぼし、李王朝を立てたのが 1392年。せっかく高麗が高句麗の後継を自負して栄えていたのを台無しにして、また明に下ってしまった。

李王朝はその後だらだらと五百年続き、最後は日本に併合されるのだが、作者は辛らつな筆致でいかにこの王朝がダメな統治をしてきたのかを述べている。こんな李王朝を今の韓国の教科書は美化し、韓国は歴史を直視せず歪曲していると主張している。

ハングル文字を民衆に最初に広めたのが日本だったと言っている。1911年の朝鮮教育令によって、初等・中等・高等学校で必修科目となったそうだ。

欧米の列強が東アジアに進出してきて、日本が対抗できて朝鮮が対抗できなかったのは、徳川三百年と李朝五百年の違いが大きい、と作者は言う。

それから写真のキャプションとして小さく書かれていて今やっと気がついたが、1930年代の京城つまりいまのソウルは、人口63万人の「日本」第七の大都市だったと書いている。

私はこの作者のことをよく知らない。経歴を見ると、大学院の経営科と司法大学院を修了したとしかかかれていないので、少なくとも歴史を学んできて専門としている学者ではないことが分かる。つまり、客員教授というのは歴史学とは関係ない肩書きであることは確かだ。

私はこの文章を非常に興味深く読んだし、書かれていることは本当だと信じている。が、私以外に、読む人がこれをどう思うのかまでは入り込まないことにする。ただ、歴史的事実を並べてみると、明らかに朝鮮半島は高句麗以降は中国の強い影響下にあったことは確かだ。歴史学で食べている韓国の学者が変わっていくことを期待するしかあるまい。
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