テレビドラマでみた |
かなり熱いコメントを垂れ流すので、そういうの苦手な人は
この先を読むのをやめてくださいw
テレビドラマ版が完結するようで、ダイジェスト版ふくめた最終回が
3時間スペシャルで放送されていたので、鑑賞してみた。
正直者とウソツキをテーマにした作品だった。
「バカ正直」であるということ「ウソツキ」であるということ、
「信じる」ということ「疑う」ということ、
これら2系統がそれぞれ、「バカ正直:信じる」「ウソツキ:疑う」
という図式でお話が展開されているように感じたが、
私には若干の違和感があった。
だまされるバカ正直者は、
「この人は私にとってよいことをもたらしてくれるのだろう」
と信じて、罠にかかる。
だますウソツキは、
「この人は罠にひっかかって私によいことをもたらしてくれるだろう」
と信じて、罠にかける。
どちらも相手に何かを期待して、信じて行動しているのだ。
逆に、「疑う」という感情は、どうやって湧き上がるかというと、
「信じたい」と思うからであると思う。
こんなメールを受け取ったことはないだろうか?
「セックスさせてくれるうえにお金がもらえます!」みたいなタイトル。
こんなメールを受け取って、あなたは「疑い」ますか?
そう、「無視」をするだろうw
「疑う」という段階までに至らないのだ。
バカ正直な主人公の女の子も、うそをついてだましてくる対戦相手も、
本質は同じなのだろうと思う。
対峙する相手を信じて、あるいは信じたくて、体当たりでぶつかっている。
私が思うに、「信じる」ということと「依存する」ということを
はき違えて解釈している人が多いように感じる。
先ほどのメールの件も、
セックスがしたくて死にそうな人や、お金がなくて追い詰められているひとならば
「無視」をすることができずに、次の段階に進んでしまうだろう。
「これはウソなのかホントなのか!?」という風に。
そして、信じるなり疑うなりして、その先の結末に進むのだ。
切羽詰っている弱い人間は、依存を求める。
そして、相手が正直者かウソツキかで、それぞれの結末にたどり着く。
とてもマニアックな例になってしまうが、わかる人にはわかると思うので挙げるが
「花の慶次」という漫画の「尚寧王」を思い出して欲しい。
彼は腹心に謀反を起こされてしまったが、最後まで彼を信じ、
だが、その思惑にはまることなく、その腹心を斬り捨てた。
「信じる」ということ「疑う」ということ、
それらはどちらも「信じる」ことに起因しており、
そこに悪意が介在していた場合には、「依存心」が結論を導き出す。
わたしは、、人は強くなければならないのだと思う。
バカ正直な主人公が、あらゆる人を信じた結果、ハッピーエンドになるというのは、
カタルシスであると思う。
・・・だが、それは、人が誰かに依存し続ける世の中を礼賛しているようにみえる。
誰かにもたれ、もたれられ、、そういうことをしていると、
絶対に悪意を介在してくる人間が現れるだろう。
抜け駆けして甘い汁をすすりたくなる人間がいないわけがない。
人は、強ければだまされることがない。
強ければ依存しないからである。
現実世界は、ライアーゲームのような高度な心理戦なんぞない。
いかに相手を「弱く」するか、あるいは「弱い」と自覚させるかなのだ。
それは、「世論」などのような数の暴力で作り出されることが多い。
最近、テレビコマーシャルをみると、やたらと攻撃的なものが多いと感じる。
「これを買うとこんないいことがありますよ。」というメリットを語るのではなく、
「これを買わないと、あなた、恥ずかしい人ですよ。」みたいにデメリットを語り、
消費をあおっているように感じる。
「ライアーゲーム」・・・。
こんなものが世の中をよい方向に導くわけがないと思うw
目先の詐欺師みたいな小悪党をスケープゴートにして、
巨悪の存在をごまかしているような、そんな悪意すら感じてしまう。 |
|
|
題名 | | * |
| コメントを一言で要約して題をつけて入力してください。 | |
ファイル | | |
| アップロードしたい画像ファイルを入力してください。 | |
中身 | | * |
| 必ず日本語を入れてください(SPAM対策)。 | |
| コメントを書いてください。 | |
続きリンク | | |
| 上に URL を入力しておくと、上の文章のあとにその URL に飛ぶ「続き」というリンクが作成されます。読者を他のページに案内したい場合に利用してください。 | |
評価 |
| * |
| この事物に明確な評価を与えてください。現在のところ 最高(+50) 傑作(+30) まあまあ(+10) いまいち(-10) 駄作(-30) 最低(-50) の六段階評価となっています。0 つまり平凡だという評価を下すことはできませんが、省略することもできます。 | |