晏子 |
古代中国の春秋時代、かつて覇権を握っていた斉の国が中堅国家に落ちぶれていた頃に、道と礼を重んずる偉大な宰相が現れた。晏嬰とその父である晏弱の二代にわたる物語。歴史小説。
作者は古代中国を扱った小説ばかり書いている歴史小説家の宮城谷昌光。本作品は直木賞受賞後の処女長編連載らしい。
新潮社の宣伝がうまかったのか、私が雑誌の広告でこの作品を初めて見たときは、もう堂々たる大河小説が出たといわんばかりだったので、いずれ読んでみようと思って、しかし単行本はスルーした。分厚くて高い単行本なんてよっぽどのものじゃないと買わない。で、めでたく文庫化され、しかも図書館に置いてあったので借りて読んだ。
一応何も知らない人のために簡単にこの作品の背景を説明しよう。古代中国で最初の王朝は夏で(実在不明)、その次が商(殷)、そして周へと続く。周の力が衰えて諸侯が独立して春秋時代を迎え、諸子百家と呼ばれるあまたの思想家、孔子や孫子などが活躍する、まさに中国で一番の黄金期が到来する。なんとまだ紀元前の話だ。
周の武王に軍師として仕えた太公望こと呂尚(エサも針もついていない釣竿で糸をたらして釣りをしていたことで有名な人)が封じられて興ったのが斉の国。斉には中国随一の名宰相として名高い管仲がいたが、ヘロドトスと並び称される古代中国の大歴史家の司馬遷が自分の編纂した歴史書「史記」の中でこの人の御者になりたいとまで書いて惚れて管仲と同じ章に書いたのが本作品の主人公である晏嬰なのだった。ちなみに宰相とは総理大臣みたいなもの。
もうこうなると期待が高まってしょうがない。
…だから読んだあとの肩すかし感が大きかった。
肝心の晏嬰はほとんど活躍しない。文庫本四分冊のうち、最初の二冊は父親の晏弱の話といっていい。ガキの頃の晏嬰が小生意気なことを言っている描写がちょこちょこあるだけ。三冊目から本格的に晏嬰の話が始まるのかと思ったら、父親の死によって喪に服するとかいって三年間もあばら家で祈る毎日を送る。そのあいだ、斉を国難が襲い、荒れ狂う描写が続く。
さあこれから晏嬰が活躍するぞと楽しみにして読み進めてみたら、この人は結局のところ道と礼の人、つまり今で言うところの道徳の人なので、王様に対してとんち的に過去の故事を引いて諌めるエピソードばかりで、しかもそれがそんなに大して気が利いているとも思えない。
作者も言っているように、大歴史家の司馬遷が晏嬰のことを崇めているのは、司馬遷自身が自分の仕える王から宮刑つまり去勢されるという屈辱的な刑罰を受けたことから、王に諫言しつづけた晏嬰を持ち上げることで狭量な王を暗に批判しているのではないかということ。だから、司馬遷が身びいきするほどには晏嬰という人は歴史的に見て大した人物ではなかったんじゃないかと思う。それにもし本当に偉大な人物であったとしても、徳の高い人物を小説として面白く描くのは難しいんじゃないかと思う。
確か単行本の広告だか書評で、上司の言うことを聞かなければいけないサラリーマンなんかの手本にどうたらとか書かれていたけれど、そんな要素はあんまりないと思う。晏嬰が王に抱く気持ちというのは、現代からすればキチガイじみている。あ、うまいこと喩えてやんわりと抗議するやりかたについてのヒントぐらいにはなるか。
じゃあこの本は全然面白くないのかというとそんなことはなくて、晏嬰を除けば十分面白かった。基本的には吉川英治の三国志みたいなあっさりした書き方なので、普通の小説と同じ感覚で読むと淡泊な感じがして物足りないかもしれない。しかし我慢して読み進めるような箇所はまったくなく、どの部分もだいたいまんべんなく面白い。それはこの作品が書下ろしではなく連載作品だったからなんじゃないかとも思う。どこを読んでもだいたい戦争か政争か対話で、なにかしら展開が楽しみなので読み進んでしまう。
父親の晏弱編では、覇権国である晋の参集に応じて同盟国の王や大臣たちが集まる場に、斉の国だけは晋の同盟国であるにも関わらず晋の有力者を辱めたばかりに恨みをかっていたため、王がじきじきに行くのを避けて大臣が代わりに行くことになり、その一行に副官として晏弱がついていく話から始まる。晋の軍隊から陰で襲われて殺される危険がある中を、晏弱は胆力と統率力と機転で乗り越えて名を成す。
晏弱編のもう一つの目玉は、莱の国を攻めるところなのだけど、作者が単行本のあとがきで言うところによると、莱を攻めた将軍が晏弱であるかどうかは確定的ではないらしい。文献には別人の名前が書いてあったそうだ。それをなぜ晏弱としたかというと、そもそも晏という姓は食邑姓つまり晏という地域の領主をやっていたからついた姓なので、それ以前の姓で表記されることもあるらしい。姓だけじゃなく名も違うじゃないかという疑問については、やはりこれも字(あざな)だとか送り名(戒名?)とかその他の呼称があってややこしいので、どれが本当の名なのかよく分からない。古代の文献を読み解くというのは、こういう人物の同定から必要になってくるので、読者に届くまでに大変な手間が掛かっている。…と分かっていても腑に落ちないものがある。まあ小説なんだし割り切っちゃえばいいんだけど。
晏弱編と晏嬰編の両方にわたって活躍するイケメン謀臣の崔杼(さいちょ)のほうが最初から最後まで主役っぽいんだよなあ。晏弱も晏嬰も魅力に乏しい。晏弱のほうは自分で道を切り開いていくところとか、部下への思いやりなんかがあって少し愛着が持てたけれど、描写に勢いとか一貫性がないように思えてならなかった。晏嬰のほうはもう完全にいけすかない人物にしか思えず、特に死んだ王の頭を自分の膝に抱えて慟哭するシーンなんかは特に引いた。でも晏嬰のことを好きになる人もいるとは思った。屁理屈ばっかこねるなと言われて育ったような人とか。
晏嬰が孔子の仕官(求職活動)を断ったエピソードが面白かった。儒者は虚礼ばかりはびこらせるので国が亡ぶ、みたいなことを言ったそうだ。そんなことを言うお前は父親の喪に三年も服したじゃないかと言いたくなる。ちなみに孔子の方はというと晏嬰のことをケチだと言っていたらしい。家族や家臣にまで粗食させていたのだそうだ。なにしろ来客がないと豚肉すら料理に入れなかったらしい。
これを言うと身も蓋もないのだけど、歴史小説一般って作者が作者の器で歴史上の偉大な人物を描くので、すごく傲慢に思えてならない。そのときそのときにその人物がどう思ったかなんてことを独白する描写があると、それはお前の勝手な想像だろ、と突っ込みたくなる。それはこの作品についてもやはり感じてしまったけれど、控えめなのでそんなには気にならない。
かといって解説文みたいなもので書かれると物足りなくもあるんだよなあ。これはもう読者の勝手なんだろうか。いや、歴史小説は円熟した作家しか書かないようにすればいいんじゃないかと思うんだけど、好みやタイプだってあるだろうしなあ。北方謙三の三国志なんて読みたいと思わないし。ただ、この作品について言えば、宮城谷昌光という人は小説が下手だなあと単純に思った。
正直言うと、1/4分冊を読み終わった段階で、もう読むのをやめようかと思った。たしかに面白かったけれど、自分にとっては読んでも読まなくてもいい本だと思った。その思いは全部読み終わったいまでも変わらない。
この作者の代表作ってわけでもないので、代表作をいくつか読んで好きになったら読めばいいぐらいの作品なんじゃないかと思う。広告につられて単行本で買って読んでいたらガッカリしていただろうなあ。
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