僕が性別“ゼロ”になった理由 |
女として生まれたけれど5歳頃から自分は男だと思って苦しみながら生きてきた性同一性障害の人が、トランスジェンダーを受け入れてくれる高校を選んで体は女だけど男としてすごし、成人した直後に性転換手術を受けて体を男のものにし始めたものの、やっぱり自分は男でもないのだと思ってどちらでもない状態のまま生き続けている実態を追ったドキュメンタリー番組。
もともとBSで放送されたみたいだけどEテレ(NHK教育)で再放送されたのがたまたま目に留まったので録画し、しばらく放置していたけれどなんとなく見る気になったので見てみた。まあなんというか色んな意味で考えさせられた。
定時制高校の弁論大会でその人が男子の制服(学ラン?)を着て雄弁に語っているシーンから番組は始まる。しゃべりが堂々としていてかっこいい。ちょっとかわいげのあるイケメン風の見た目で、生物学的には女だというナレーションがあってなるほどなと思った。
精神医学的には0.5%つまり二百人に一人の割合でこういうふうに心と体の性別が合っていない人がいることが認められているらしい。この人の場合は5歳の頃から自分は男だと思っていたようだと親が証言している。生理がきたり胸が大きくなったりしていくのを考えたくなくて意識の外に追いやっていたとのこと。
なんだろう。男の体で女の心というケースと比べると印象が全然違う。同じくEテレで放送された海外ドラマ「ファースト・デイ わたしはハナ!」だと主人公の子が正直少し気持ち悪く感じたのだけど、女の体で男の心という今回のケースだとむしろちょっとかっこよく感じてしまう。それにこの子は割とかわいい方だと思う。男の格好をしても十分イケメンだし。
でも、番組の最後に出てきた最終形態(?)は正直醜く思えた。ホルモンバランスが崩れてブクブク太り、胸も子宮も取ったけれど男性器は形成していないというまさに性別“ゼロ”の状態。引きこもっていた頃からの夢であった声優になることもあきらめ、働けずに生活保護を受けているという。もちろん笑う気にはなれなかった。
本人はいまの状態のほうが前の自分よりも好きだと言っている。それが本心なのか強がりなのかは当人にしか分からないので置いておくとして、体を「治療」したことによって心の安定が保たれたのだろうとは思う。でももっと別の解決が出来なかったのか疑問に思った。
胸が膨らんだことすら嫌で自分が女の体を持っていることそのものを認めがたく思っていたというから、いくら周りが男扱いしても問題は解決しなかったんじゃないかと思うかもしれないが、おそらく社会がそう思わせたんじゃないかと思う。女の体を持っていれば女の役割を押し付けてくるのが社会なのだから。
もし社会が男であることや女であることをそれほど強く意識しなくていいように出来ていたとしたら、たとえ体が女であってもそのまま生きていけたんじゃないかと一瞬思ったけれど、でもそれもちょっと難しい気がした。女からは嫉妬や嫌悪されるだろうし、男からは好奇と欲望の対象にされると思う。それに体が女だと女を好きになっても受け入れられにくいんじゃないだろうか。
女のフリをして生きていくことは出来なかったんだろうか。地味な人だったらそれで良かったかもしれないけれど、クラスの中心になって活動したり恋人を作ったりするのは難しいのかなと思う。でも活発な人だったらそんな悩みなんて吹き飛ばしてしまうと思うし、そういう人がクラスの中心になるのだと思う。性同一性障害であっても明るくて人気者になる人だっているだろう。宇多田ヒカルは自らがノンバイナリー(自分が男か女か気にしてない)だとカミングアウトした。
自己っていうのは私たちが考えるほど内面から出来ているわけではなくて、他人からどう思われているのかというのもかなり大きく影響するものだ。である以上、女の体に生まれて女として扱われていたら女の自己意識を持つようになるものだと思う。でもそうならなかったのはなぜか。周囲とのかかわりのなかでなにかしら自分の中で「こうじゃない」という意識が芽生えたのだろうか。あるいはこの人の場合はフィギュアが大好きみたいだったので男のヒーローに自己を同一化していたのかもしれない。みんな多かれ少なかれ経験していることだと思うけれど人によって程度の差はあると思う。
誰だって自分にとって理想の体を手に入れたいと思うけれど現実はそうもいかない。こう生まれたら自分はこうなんだという意識を持つようになるのが普通である。それなのにそれを受け入れずに手術したくなるほどの嫌悪感を持つなんてやはり心の問題なんじゃないかと思う。それこそ整形手術を受けたがる人と同じなんじゃないだろうか。まあ整形に対する見方は人それぞれだし自分もでかいホクロぐらいだったらとっちゃった方がいいと思っている。
番組の内容から離れて色々と考察してしまったのでいったん戻ると、この番組ではさらにこの人以外にも二人の人を紹介していて当人同士を対話させている。
まず体は完全に女だけど男物のスーツを着てメガネをかけていてまるで男みたいな若いNGOの人が出てきた。心も体も性が一致しているいわゆる「普通」の人のことを「シスジェンダー」と呼ぶのだと啓蒙していた。同性愛者に対して異性愛者のことをホモに対してヘテロと呼ぶみたいなものか。この人は女だけどちょっと気持ち悪い(失礼)外見をしていた。女にしては背が高かったのは幸運だったと言っている。
次に戦争に行った世代の老人でいまは女として生きている人。男子校にいたみたいで同窓会の場面を撮影していた。この人のことを探ろうとする番組に対して守ろうとする人がいたのが印象的だった。時代をさかのぼるほどこういうことに寛容ではなかったのだという。この人はずっと我慢してきて確か六十過ぎてから女として生きるようになったのだという。年をとっていたので普通にちょっと男っぽいおばさんに見えてあまり違和感はなかった。
この二人を出すことによって内容に幅が出来たのだろうけど、正直あまり興味が持てなかった。自分の意志で自分の好きなように生きており、誰にも迷惑を掛けていない。まあトイレとかどうしているのかまでは知らないんだけど、社会人だったらどうとでもなると思う。
この二人と比べると最初の人は随分と不安定で即物的な対処をしたものだと思う。少なくともこの番組を見て判断すると、この人は性同一性障害を抱えた「普通にダメな人」なんじゃないかと思う。おそらくこの番組を見た人の多くは、体をいじる(手術する)のは慎重にならないといけないんだなと思うはずで、番組の真の狙い(?)はそこにあると思う。
病気とか障害を抱えた人が必ずしも精一杯努力をして何かを勝ち取るとは限らないのだから、こういう人もいて当然だと思う。むしろこういう人の方が多いんじゃないだろうか。それをあえて番組で取り上げつつダメな点について明示的に触れていないのはなぜなのだろうか。この人自身ではなく、精神医学や法律、社会や周りの人間に対して問題提起することだって出来たと思う。事実をありのままに伝えるという方法を取ったのは報道としてどうなのだろうか。
この人が自分の性別“ゼロ”を自覚した直接的なきっかけは、バイト先の主人から自分を「男の子」として紹介されたときに違和感を持ったことだと言っている。正直こんな理由だったらもっと前に気づいたはずだと思う。なにか別の記録で読んだ記憶があるのだけど、確か性転換手術の前にカウンセリングが法律で義務付けられているとかあった気がするので、そういったことで歯止めを掛けられたんじゃないだろうか。そこに触れずにこの人自身の判断として見せるのであれば番組は結果的にこの人だけを吊るし上げていることになる。
まあひょっとしたら、周囲の状況が大した歯止めにならなかったことを暗に批判しているのかもしれない。定時制高校の仲のいい同級生同士の会話が出てくるのだけど、この人にはこの人のありのまま(?)を受け入れてくれる人たちがいた。正直そのやりとりは見ていてうすら寒かったのだけど。「ボーイズトーク」って。
それとも、本人が前より良かったと言っているのだからそれでいいじゃないかと言いたいのだろうか。そういうのはちゃんと社会で自律できてから言うべきだろう。
そんなわけで番組のまとめかたには首を傾げたけれど、素材を集めた点においては色々と興味深かった。LGBT問題に興味のある人は見てみてもいいんじゃないかと思う。
先般のオリンピックでの電通による疑惑の残るコネ演出でも明らかなように、NHKもまた国民から強制的に徴収される受信料により一部の人たちが実力不相応に仕事を分け合い競争の働いていないぬるい創作物を垂れ流している。本当に実力のある人々が十分に報われない中でサブカルチャーといった隅のほうで美しい花を咲かせている。自浄できないのであれば解体し市場原理にゆだねるべきである。
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