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スピルバーグその他
まあまあ(10点)
2005年3月9日
人類史上初の愛を求める子供型ロボットが、すれ違いの中で人間の里親に捨てられ、人間にならなければ母に愛されないと考え、人間にしてもらうために旅をする話。
2001年宇宙の旅で有名なSF映画の巨匠スタンリー・キューブリックがアイデアを考え、ハリウッドの大監督スピルバーグが作ったにしては、やけに日本臭い感傷的な話に仕上がっている。
スピルバーグの歴史的大ヒット作品 E.T. は、藤子不二夫のドラえもんの映画一作目「のび太と恐竜」との類似性を指摘されるのだから、この監督は日本の要素を取り入れるのが好きなのだろうか。欧米ではロボットと言えば人間味のない存在とされ、人類の友人のようなロボットは日本独特のものと言われている。ブレードランナーとして映画化されたSF作家ディックの作品には、人間味のあるロボット(区別してアンドロイドと言うらしい)が出てくるが、人間っぽい子供ロボットの代表作といえばやはり手塚治虫の鉄腕アトムだろう。アストロボーイという名前でアメリカでアニメ放映されたこともあるのだから、何かしら影響を与えたのかもしれない。
能書きは後回しにして、率直に言わせてもらえば、この映画かなりつまらなかった。主人公の子供ロボットのひたむきさに涙が出たり、時折考えさせられるシーンが出てきたりするのだが、全編を通じていまいちな感じが漂っている。硬派なSFがもともとベースにあって、人情味の部分を増幅させ、エンタテインメントを振りかけたのだと思うが、統一感のないモヤモヤした作品になってしまっているように思う。
三つの要素に分けて分析してみよう。
まず硬派なSFの部分だ。ロボットが人間の職や尊厳を奪うという理由で、狂ったような人間賛歌とロボット破壊の祭りが描かれる。吹き替えではジャンクフェアとなっていたが、元はフレッシュフェアだろう。フレッシュ=生身は分かりにくいという吹き替え版スタッフの配慮か。この祭りでは、人間のような感情を持ったロボットたちが次々とひどい方法で壊されていく。人情味その他わかりやすい要素を超越したこの描写こそが、センスオブワンダーたるSFの真骨頂だろう。ネタバレになりそうなのでボカすが、大衆の最後の判断はある種の皮肉がこめられていると思う。
続いて人情味の部分。主人公がロボットではなくても成り立っていただろう。主人公がロボットだからこそ描かれる部分もあるが、そんなに大きくはないと思う。逆に、主人公がロボットであるがゆえに、人情味の部分がうそ臭さに脅かされてしまう。例えば、この映画を一緒に見に行ったカップルがいたとしよう。女の方は、ロボットの主人公が愛を求める姿に大きな感動を覚えたのに、男の方は、愛とはひょっとして機械的に作られてしまうあやういものなのではないだろうか、と逆方向の感動を受けてしまい、観たあとの会話が全然成り立たなかったりすることもあるのではなかろうか。
エンタテインメント。主人公の随伴者となる男娼ロボットがその中の一番大きな要素なのだろう。処女を手ほどきするシーンはなんとも微妙な…。これが女ロボットだったら、相当露骨でヤバくなっていたのだろうから、男娼でも相当挑戦的だ。エンタテインメントに分類してみたが、これもかなりSFだなぁ。
このように、要素要素を取り上げるとかなりいい感じになりそうなものなのだが、なぜ全体としていまいちなのだろうか。それは多分、ウソ臭いタネ明かしが一点と、それをスルーして続くひどく感傷的な結末を冗長に描いてしまったからだと思う。
比較的ディープなSF作品を、バカ映画にせずにうまいこと娯楽性をつけて映画にするのは難しいのだろう。理屈で考えればこの映画は結構がんばっているように思えるのだが、壁を越えることは出来なかったようだ。観客が最大限の努力をすれば色んな味わいを得られる濃度の高い作品だと言うことも出来るが、いくら素材がよくてもチョコうどんを味わうのは無理だ。
この作品を確実に評価していいのは、SF愛好者人口をわずかでも増やしたであろうことか。
2001年宇宙の旅で有名なSF映画の巨匠スタンリー・キューブリックがアイデアを考え、ハリウッドの大監督スピルバーグが作ったにしては、やけに日本臭い感傷的な話に仕上がっている。
スピルバーグの歴史的大ヒット作品 E.T. は、藤子不二夫のドラえもんの映画一作目「のび太と恐竜」との類似性を指摘されるのだから、この監督は日本の要素を取り入れるのが好きなのだろうか。欧米ではロボットと言えば人間味のない存在とされ、人類の友人のようなロボットは日本独特のものと言われている。ブレードランナーとして映画化されたSF作家ディックの作品には、人間味のあるロボット(区別してアンドロイドと言うらしい)が出てくるが、人間っぽい子供ロボットの代表作といえばやはり手塚治虫の鉄腕アトムだろう。アストロボーイという名前でアメリカでアニメ放映されたこともあるのだから、何かしら影響を与えたのかもしれない。
能書きは後回しにして、率直に言わせてもらえば、この映画かなりつまらなかった。主人公の子供ロボットのひたむきさに涙が出たり、時折考えさせられるシーンが出てきたりするのだが、全編を通じていまいちな感じが漂っている。硬派なSFがもともとベースにあって、人情味の部分を増幅させ、エンタテインメントを振りかけたのだと思うが、統一感のないモヤモヤした作品になってしまっているように思う。
三つの要素に分けて分析してみよう。
まず硬派なSFの部分だ。ロボットが人間の職や尊厳を奪うという理由で、狂ったような人間賛歌とロボット破壊の祭りが描かれる。吹き替えではジャンクフェアとなっていたが、元はフレッシュフェアだろう。フレッシュ=生身は分かりにくいという吹き替え版スタッフの配慮か。この祭りでは、人間のような感情を持ったロボットたちが次々とひどい方法で壊されていく。人情味その他わかりやすい要素を超越したこの描写こそが、センスオブワンダーたるSFの真骨頂だろう。ネタバレになりそうなのでボカすが、大衆の最後の判断はある種の皮肉がこめられていると思う。
続いて人情味の部分。主人公がロボットではなくても成り立っていただろう。主人公がロボットだからこそ描かれる部分もあるが、そんなに大きくはないと思う。逆に、主人公がロボットであるがゆえに、人情味の部分がうそ臭さに脅かされてしまう。例えば、この映画を一緒に見に行ったカップルがいたとしよう。女の方は、ロボットの主人公が愛を求める姿に大きな感動を覚えたのに、男の方は、愛とはひょっとして機械的に作られてしまうあやういものなのではないだろうか、と逆方向の感動を受けてしまい、観たあとの会話が全然成り立たなかったりすることもあるのではなかろうか。
エンタテインメント。主人公の随伴者となる男娼ロボットがその中の一番大きな要素なのだろう。処女を手ほどきするシーンはなんとも微妙な…。これが女ロボットだったら、相当露骨でヤバくなっていたのだろうから、男娼でも相当挑戦的だ。エンタテインメントに分類してみたが、これもかなりSFだなぁ。
このように、要素要素を取り上げるとかなりいい感じになりそうなものなのだが、なぜ全体としていまいちなのだろうか。それは多分、ウソ臭いタネ明かしが一点と、それをスルーして続くひどく感傷的な結末を冗長に描いてしまったからだと思う。
比較的ディープなSF作品を、バカ映画にせずにうまいこと娯楽性をつけて映画にするのは難しいのだろう。理屈で考えればこの映画は結構がんばっているように思えるのだが、壁を越えることは出来なかったようだ。観客が最大限の努力をすれば色んな味わいを得られる濃度の高い作品だと言うことも出来るが、いくら素材がよくてもチョコうどんを味わうのは無理だ。
この作品を確実に評価していいのは、SF愛好者人口をわずかでも増やしたであろうことか。