ノンフィクション
社会科学
田中角栄失脚
塩田 潮 (文春新書)
まあまあ(10点)
2005年3月10日
田中角栄を失脚させた決定的な記事となった文藝春秋の田中角栄研究という二本の特集記事が出来た裏側を、田中角栄内閣の成立にいたったいきさつから記事の影響までを含めた一本のストーリーとして、関係者たちの証言を集めてまとめた本。
新書の中では厚みがあるほうだ。記事の裏側だけで一冊分、田中角栄の説明に半冊分ぐらい使っている。
前半部は、田中角栄という政治家についてかいつまんで説明している。私はいままでたいした関心を持っていなかったので知らないことが多くそれなりに読めたが、ちょっと年のいった人や政治が好きな人には多分目新しいところはあまり無いと思う。掘り下げた描写も少ない。政治力学は正直この本に必要なのかと思った。
記事の裏側のほうは、立花隆と児玉隆也というそれぞれの特集記事の執筆者の活動を描いている。二人の名前しか表に出ていないが、それぞれの記事にはそれぞれの取材班が組まれており、まったくタイプの違う二つの記事がどのようにして出来たのかというのが面白かった。
立花隆のほうは、文藝春秋の来年新卒採用者をバイトとして雇って土地の謄本などの地味な資料を人数で調べさせ、集まった資料を立花隆が分析して吟味した上で文章にまとめていくという方式だったという。要するに立花隆自身は取材にはまったく出かけていない。どういう資料に着目するか、そして集めた資料をどう分析するかが彼の仕事だった。
児玉隆也という人は、もともと別の雑誌で取材していて、いったんお蔵入りしてしまったネタを縁あって文藝春秋で記事にすることになったらしい。こちらは立花隆と違って直接関係者にインタビューに行くタイプの人なのだが、フィールドワーク的な取材やアポ取りなんかは雑誌社と契約しているフリーの記者たちを使ってやっていたという。なんというか、分業体制が確立しているというか、私がいままでに描いていたマスコミ像は古すぎるのかと思った。
そうして出来た二本の記事に掛かった経費は大体五百万円くらいだったという。内閣を倒すのにたった五百万で済んだのかという驚きの声が政界にはあったのだそうだ。
田中角栄の失脚には、石油メジャーなんかの陰謀があったとか、色々言われている。その点についてこの本は何かを答えているのか。田中健五編集長がたまたま政治的嗜好があったからというのが答えなのだろうか。立花隆に至っては、本社ビルのロビーで編集長が偶然会って世間話的に政治関係の記事が欲しいと振ったらやることになったとある。児玉隆也のほうは、角栄が政治生命を捨てても死守するとした女性を直接交渉の中で手打ちで捨てて、佐藤昭で妥協したという事実が語られている。
記事が出た当初、田中角栄とその周辺は、このくらいなら乗り切れると判断していたのだという。現に最初はそれなりに放置していたのだというが、たまたま年に一回の外国人記者協会だかの集まりがあって、そのときに守りの弱さを露呈して弱気になったのだと説明している。なるほど、こういう説明をもってきたいからこそ、角栄について半冊分も記述する必要があったのかと納得する。
既にこの記事が出る前から内閣支持率は18%程度だったそうだ。田中内閣は、日本列島改造論で盛り上がったあと、オイルショックとその対処で急激に失速し、田中角栄研究でとどめを刺されたのだという。とはいってもあのロッキード事件はさらにこのあとである。文藝春秋が月刊誌ナンバーワンである事実を汲んでも、これらの特集記事が何かの陰謀であったとは考えにくいと思う。
読んでいてちょっと面白かったのは、一番忙しいときは何日も徹夜したりろくに睡眠時間を取らなかった日々を送り、無理を言って締め切りを延ばしてもらった立花隆が、実は裏で他の雑誌に記事を書いていたということだろうか。あと考えさせられたのは、世に残る仕事というのは劣悪な労働環境のもとでしか行なわれないのだろうかということか。
正直人に勧めたくなるような本ではない。内容は散漫だし、メインテーマは地味だ。ただ一応この本は、文藝春秋の田中角栄研究という記事が出た内幕について書かれた最初の本のようなので、新書ではあるが今のところオンリーワンのようだ。ベタベタしたノンフィクションだが、意外に臨場感というか雰囲気が伝わってくる。散漫ではあるが、取材して手に入れた証言をなるべく余すところなく使おうとした結果だとしたら、まあ悪くないと思う。
最後に特筆すべき点として、読後感が非常に良かった。ガンに罹った児玉隆也の最期が語られる。あざといかもしれないが、これがあるのとないのとでは大違いだ。
新書の中では厚みがあるほうだ。記事の裏側だけで一冊分、田中角栄の説明に半冊分ぐらい使っている。
前半部は、田中角栄という政治家についてかいつまんで説明している。私はいままでたいした関心を持っていなかったので知らないことが多くそれなりに読めたが、ちょっと年のいった人や政治が好きな人には多分目新しいところはあまり無いと思う。掘り下げた描写も少ない。政治力学は正直この本に必要なのかと思った。
記事の裏側のほうは、立花隆と児玉隆也というそれぞれの特集記事の執筆者の活動を描いている。二人の名前しか表に出ていないが、それぞれの記事にはそれぞれの取材班が組まれており、まったくタイプの違う二つの記事がどのようにして出来たのかというのが面白かった。
立花隆のほうは、文藝春秋の来年新卒採用者をバイトとして雇って土地の謄本などの地味な資料を人数で調べさせ、集まった資料を立花隆が分析して吟味した上で文章にまとめていくという方式だったという。要するに立花隆自身は取材にはまったく出かけていない。どういう資料に着目するか、そして集めた資料をどう分析するかが彼の仕事だった。
児玉隆也という人は、もともと別の雑誌で取材していて、いったんお蔵入りしてしまったネタを縁あって文藝春秋で記事にすることになったらしい。こちらは立花隆と違って直接関係者にインタビューに行くタイプの人なのだが、フィールドワーク的な取材やアポ取りなんかは雑誌社と契約しているフリーの記者たちを使ってやっていたという。なんというか、分業体制が確立しているというか、私がいままでに描いていたマスコミ像は古すぎるのかと思った。
そうして出来た二本の記事に掛かった経費は大体五百万円くらいだったという。内閣を倒すのにたった五百万で済んだのかという驚きの声が政界にはあったのだそうだ。
田中角栄の失脚には、石油メジャーなんかの陰謀があったとか、色々言われている。その点についてこの本は何かを答えているのか。田中健五編集長がたまたま政治的嗜好があったからというのが答えなのだろうか。立花隆に至っては、本社ビルのロビーで編集長が偶然会って世間話的に政治関係の記事が欲しいと振ったらやることになったとある。児玉隆也のほうは、角栄が政治生命を捨てても死守するとした女性を直接交渉の中で手打ちで捨てて、佐藤昭で妥協したという事実が語られている。
記事が出た当初、田中角栄とその周辺は、このくらいなら乗り切れると判断していたのだという。現に最初はそれなりに放置していたのだというが、たまたま年に一回の外国人記者協会だかの集まりがあって、そのときに守りの弱さを露呈して弱気になったのだと説明している。なるほど、こういう説明をもってきたいからこそ、角栄について半冊分も記述する必要があったのかと納得する。
既にこの記事が出る前から内閣支持率は18%程度だったそうだ。田中内閣は、日本列島改造論で盛り上がったあと、オイルショックとその対処で急激に失速し、田中角栄研究でとどめを刺されたのだという。とはいってもあのロッキード事件はさらにこのあとである。文藝春秋が月刊誌ナンバーワンである事実を汲んでも、これらの特集記事が何かの陰謀であったとは考えにくいと思う。
読んでいてちょっと面白かったのは、一番忙しいときは何日も徹夜したりろくに睡眠時間を取らなかった日々を送り、無理を言って締め切りを延ばしてもらった立花隆が、実は裏で他の雑誌に記事を書いていたということだろうか。あと考えさせられたのは、世に残る仕事というのは劣悪な労働環境のもとでしか行なわれないのだろうかということか。
正直人に勧めたくなるような本ではない。内容は散漫だし、メインテーマは地味だ。ただ一応この本は、文藝春秋の田中角栄研究という記事が出た内幕について書かれた最初の本のようなので、新書ではあるが今のところオンリーワンのようだ。ベタベタしたノンフィクションだが、意外に臨場感というか雰囲気が伝わってくる。散漫ではあるが、取材して手に入れた証言をなるべく余すところなく使おうとした結果だとしたら、まあ悪くないと思う。
最後に特筆すべき点として、読後感が非常に良かった。ガンに罹った児玉隆也の最期が語られる。あざといかもしれないが、これがあるのとないのとでは大違いだ。