青い壺
有吉佐和子 (文藝春秋 文春文庫)
まあまあ(10点)
2026年2月27日
陶芸家の牧田省造は古物商の注文に従って自分の焼いた陶器に薬を掛けて年代物っぽく見せかけて卸していた。あるとき自分用に焼いた青磁器が会心の出来だったのでとてもいい気分になっていたのだが…。省造の焼いた青い壺が巡り巡って様々な人々の人生を垣間見る連作短編小説。
作者の有吉佐和子といえば、老人介護の問題を扱った「恍惚の人」や嫁姑戦争を描いた「華岡青洲の妻」なんかが有名だけど、近年復刊して大ヒットしたのがこの作品で、母親が買って読んでおもしろかったので読めと手渡してきたから読んでみた。まあまあおもしろかった。復刊で五十万部売れたと去年とても話題になった本らしい。
でも正直言ってそこまでおもしろくはなかった(!)。途中だいぶ手が止まった。その間、NHK「100分de名著」という番組で取り上げられていたのを録画していたことに気づいたので先に見てみたりもした。
自分が一番楽しめた話は、キャリアウーマンで小さなマンションの一室を買った独身女性が目の悪い老母を引き取る話だった。なにせこの作品は五十年前に書かれているため、この話のベースにある独身のキャリアウーマンがマンションを買うというのは当時の社会現象として目新しく、それをあざやかに短編小説にしてみせているのだと思う。
老いた母親を引き取るという一見マイナスなイベントから始まったこの話は、一人暮らしだった女性と老人にとっては新たな発見の連続だった。目の見えない老婆にとってはマンションの狭さが気にならないどころか快適な空間となり、花を差して香りを楽しんだりベランダから自然を感じたりしていた。一方の女性のほうもそんな母親の感覚を新鮮に感じ、一人では味わえなかった生活の彩りを感じるのだった。
老母の目は本当にどうにもならないのか一度調べてもらった方がいいということで公営の病院で診てもらったところ、片方の目は緑内障なのでどうにもならなかったが、もう片方の目は白内障なので治療可能だと言われる。思いもかけずあっさりと目が見えるようになり、お金もほとんど掛からなかったことに感激よりも当惑した老母は、見えるようになった目で見て感動した青い壺を医者にお礼に持っていくよう言い出す。要するにここでもう一つ、日本の医療保険制度についての話も挟んでくるのだった。
あとの話はいちいち説明しないけれど、こういう話が全部で13本収録されていて、題にある青い壺が人から人へとわたっていくので登場人物が重なっているのもちょっとおもしろかった。
この作品を芸人コンビ爆笑問題の太田光がラジオで取り上げて賞賛していたらしい。太田光は以前劇団ひとりの処女小説「陰日向に咲く」も褒めており、こういう連作短編が好きなのかなと思った。
逆に自分がなぜこの作品をそこまで楽しめなかったのかいろいろ考えてみたんだけど、ノンフィクションでよくね?っていうのと、短編なので人物に深く感情移入する前に話が終わってしまうのが理由だろうか。前述のキャリアウーマンと老母の話は短くても彼女たちの喜びが伝わってくるようで良かったんだけど。
たぶん一番胸糞が悪くて拍子抜けする話は、若い男が女と付き合っていて別れようと思っていても、自分から別れを切り出さずに相手が自分のことを嫌いになってくれるまで辛抱強く待つ話だと思う。この話は実際に男と女のやりとりが描かれるのではなくて、男が親戚の女につらつらとそういう話をするだけだった。これもやはり世相を斬っていて個人的には興味深い話ではあったけど、これを小説として楽しみたいかというとそうは思えなかった。
一番笑ったのは、長年勤めた会社を定年退職した男が、奥さんに言われて会社で世話になった副社長にお礼として青い壺を渡しに行き、ついでに元の職場のフロアを見ていくといいと言われ、そのまま自分の元いた席に座って仕事を始めてしまった話だった。もうボケているというw
NHK「100分de名著」で一番大きく取り上げられていたのは、老婆が女学校の同窓会に行く話だった。長いこと会っていなかった昔の知り合いと会うという期待と不安や、年をとってからの健康への心配、途中で合流する友人との子供や孫についての隠れた張り合い、新幹線を使ってはるばる旅をする面倒くささと楽しみといった、様々なことがないまぜになった老婆の感情が活き活きと描かれていた。まあ逆に言うとこれが楽しめない人にとっては老婆の話を延々聞かされるだけの話になっちゃうんだけどw
この話のなかでさらっと描かれていてハッとさせられたのは、縁日みたいなところで開かれている骨董市が実は盗品を売りさばく場であることがほのめかされていることだろうか。祭りの日に出ている屋台が実はやくざのしのぎであることは今日のネット社会では徐々に広く知られることとなっているけれど、五十年前はそれを小説で描いていた。まあ掲載誌である文藝春秋はノンフィクションでも伝えていそうだけど。
というわけで、それなりには楽しめたけど別にこういう作品はたまに読む程度でいいなあと思った。
作者の有吉佐和子といえば、老人介護の問題を扱った「恍惚の人」や嫁姑戦争を描いた「華岡青洲の妻」なんかが有名だけど、近年復刊して大ヒットしたのがこの作品で、母親が買って読んでおもしろかったので読めと手渡してきたから読んでみた。まあまあおもしろかった。復刊で五十万部売れたと去年とても話題になった本らしい。
でも正直言ってそこまでおもしろくはなかった(!)。途中だいぶ手が止まった。その間、NHK「100分de名著」という番組で取り上げられていたのを録画していたことに気づいたので先に見てみたりもした。
自分が一番楽しめた話は、キャリアウーマンで小さなマンションの一室を買った独身女性が目の悪い老母を引き取る話だった。なにせこの作品は五十年前に書かれているため、この話のベースにある独身のキャリアウーマンがマンションを買うというのは当時の社会現象として目新しく、それをあざやかに短編小説にしてみせているのだと思う。
老いた母親を引き取るという一見マイナスなイベントから始まったこの話は、一人暮らしだった女性と老人にとっては新たな発見の連続だった。目の見えない老婆にとってはマンションの狭さが気にならないどころか快適な空間となり、花を差して香りを楽しんだりベランダから自然を感じたりしていた。一方の女性のほうもそんな母親の感覚を新鮮に感じ、一人では味わえなかった生活の彩りを感じるのだった。
老母の目は本当にどうにもならないのか一度調べてもらった方がいいということで公営の病院で診てもらったところ、片方の目は緑内障なのでどうにもならなかったが、もう片方の目は白内障なので治療可能だと言われる。思いもかけずあっさりと目が見えるようになり、お金もほとんど掛からなかったことに感激よりも当惑した老母は、見えるようになった目で見て感動した青い壺を医者にお礼に持っていくよう言い出す。要するにここでもう一つ、日本の医療保険制度についての話も挟んでくるのだった。
あとの話はいちいち説明しないけれど、こういう話が全部で13本収録されていて、題にある青い壺が人から人へとわたっていくので登場人物が重なっているのもちょっとおもしろかった。
この作品を芸人コンビ爆笑問題の太田光がラジオで取り上げて賞賛していたらしい。太田光は以前劇団ひとりの処女小説「陰日向に咲く」も褒めており、こういう連作短編が好きなのかなと思った。
逆に自分がなぜこの作品をそこまで楽しめなかったのかいろいろ考えてみたんだけど、ノンフィクションでよくね?っていうのと、短編なので人物に深く感情移入する前に話が終わってしまうのが理由だろうか。前述のキャリアウーマンと老母の話は短くても彼女たちの喜びが伝わってくるようで良かったんだけど。
たぶん一番胸糞が悪くて拍子抜けする話は、若い男が女と付き合っていて別れようと思っていても、自分から別れを切り出さずに相手が自分のことを嫌いになってくれるまで辛抱強く待つ話だと思う。この話は実際に男と女のやりとりが描かれるのではなくて、男が親戚の女につらつらとそういう話をするだけだった。これもやはり世相を斬っていて個人的には興味深い話ではあったけど、これを小説として楽しみたいかというとそうは思えなかった。
一番笑ったのは、長年勤めた会社を定年退職した男が、奥さんに言われて会社で世話になった副社長にお礼として青い壺を渡しに行き、ついでに元の職場のフロアを見ていくといいと言われ、そのまま自分の元いた席に座って仕事を始めてしまった話だった。もうボケているというw
NHK「100分de名著」で一番大きく取り上げられていたのは、老婆が女学校の同窓会に行く話だった。長いこと会っていなかった昔の知り合いと会うという期待と不安や、年をとってからの健康への心配、途中で合流する友人との子供や孫についての隠れた張り合い、新幹線を使ってはるばる旅をする面倒くささと楽しみといった、様々なことがないまぜになった老婆の感情が活き活きと描かれていた。まあ逆に言うとこれが楽しめない人にとっては老婆の話を延々聞かされるだけの話になっちゃうんだけどw
この話のなかでさらっと描かれていてハッとさせられたのは、縁日みたいなところで開かれている骨董市が実は盗品を売りさばく場であることがほのめかされていることだろうか。祭りの日に出ている屋台が実はやくざのしのぎであることは今日のネット社会では徐々に広く知られることとなっているけれど、五十年前はそれを小説で描いていた。まあ掲載誌である文藝春秋はノンフィクションでも伝えていそうだけど。
というわけで、それなりには楽しめたけど別にこういう作品はたまに読む程度でいいなあと思った。