ノンフィクション
社会科学
ほぼ日刊イトイ新聞の本
糸井重里
まあまあ(10点)
2005年6月5日
人気コピーライターとして、徳川埋蔵金の企画者や大ヒットゲームソフトMOTHERシリーズの作者として、バス釣りを流行らせた人として有名な糸井重里が発行するインターネットマガジン「ほぼ日刊イトイ新聞」の内幕を描いた本。
私は糸井重里が嫌いだ。何故かを突き詰めると多分それは嫉妬だと思う。時代からもてはやされ、テレビの企画をやって出演し、ゲームのデザインまでした。数々の有名人との幅広い付き合いを持つクリエイター。私の中の理想的なクリエイター像とほぼ合致するというか、糸井重里という存在が理想像を作り上げたといっていいほどだ。
そんな糸井重里がインターネットに乗り込んできた。決して早くは無かったが、遅くもないタイミングだった。さすが時代を見る目があるというか、交友が広くてアンテナが強いのだろう。なにせ事務所のケーブル引きを現任天堂社長の岩井聡がやったというのだから。とこの本には書いてある。
私が初めてこのほぼ日刊イトイ新聞のページを見たとき、私は読者としてではなくアマチュアクリエイターというアイデンティティでもってビビビッと来た。そんな私とは対照的に、私の周りの知り合いの反応は薄かった。ちょこちょこっと面白いコンテンツのある単なるホームページじゃん、これのどこが取り立てて面白いのだと。
まあそれも無理のない話だ。インターネットの魅力とは色々あるけれど、総合雑誌をインターネットでやる意味なんてほとんどない。速報サイトとか、ごくピンポイントを狙った情報サイトとかコミュニティサイトなど、革新的なメディアとしてのインターネットの可能性から考えれば、ほぼ日刊イトイ新聞はかなりの時代遅れだからだ。
いまインターネットではブログが流行っている。個人の日記にみんなでコメントできるような個人サイトだ。色んな人がいるから面白い。アイドルからサッカー選手などの有名人もいれば、文才のあるにいちゃんや個人投資家や技術者など。従来のメディアではありえないものだ。
では私はほぼ日刊イトイ新聞のどこに魅力を感じたのか。それは、糸井重里が自分の人脈を使って面白い情報を持っている人に執筆を頼むという、編集側にまわったことだ。俺が私がの世界で、自分ではなく他人の持っている情報をかき集めて編集して提供する側にまわったことに衝撃を受けた。
前置きはこのぐらいにして、本の内容に入ろう。
私は最初見たとき、どうせ糸井重里は余技でやってるんだろうな、と想像してますます嫉妬をつのらせていた。しかしこの本を読むとどうやらそうではないらしい。自分がいかに行き詰っていたか、クリエイター主導で何かやれないのかを真剣に考えていたということが、比較的長々と最初に説明している。これを読むまで私はこんなことを想像していなかった。何でも自分の好きなことが出来るごくごく一握りのクリエイター、それが糸井重里だと思っていたのだ。
しかしそのあとはやはり選ばれた者のみが歩く光る道だ。インターネットの可能性について具体例とともに説明してみせたり、ほぼ日刊イトイ新聞が成功していくまでを気持ちよく書いている。サッカー日本代表を応援するサイトやジーンズのサイトはまさにインターネットの力だと思うが、立花ゼミなんてものは既存のメディアとのつながりなしには考えられなかったと思う。それに、ほぼ日刊イトイ新聞も結局は糸井重里の持っている依存のメディアと関係の深い知り合いを動員し、収支も一枚二千三百円のシャツから始まった物販でまかなっていることをぶっちゃけている。
インターネットは、クリエイターが既存のメディアに縛られずに伸び伸びと活動できる場所であるという以上に、彼らにとっては既存のメディアとの駆け引きの道具に過ぎないのではないかと思えてくる。
成功譚として聞けば面白いサクセス・ストーリーであるし、正直に打ち明けている部分があって興味深いところがいくつかあったが、私にとってはガッカリしたことのほうが多かった。
おっと。深く考えると、創造活動のあるべき姿ということまで考えてしまう。
とまあ否定的なことを書いてしまったが、糸井重里が自分のやりたいことをやっているという姿勢には好感が持てる。私にとってほぼ日は今は全然面白くないネットマガジンだが(読んでた当時も一部企画だけ面白いと思っていた)、こういうことを思いついて行動に移した様子を見るのはそれなりに楽しいものだった。
ところで、あまりにお金やコネでガチガチの今のメディアはなんとかならないものだろうか。
私は糸井重里が嫌いだ。何故かを突き詰めると多分それは嫉妬だと思う。時代からもてはやされ、テレビの企画をやって出演し、ゲームのデザインまでした。数々の有名人との幅広い付き合いを持つクリエイター。私の中の理想的なクリエイター像とほぼ合致するというか、糸井重里という存在が理想像を作り上げたといっていいほどだ。
そんな糸井重里がインターネットに乗り込んできた。決して早くは無かったが、遅くもないタイミングだった。さすが時代を見る目があるというか、交友が広くてアンテナが強いのだろう。なにせ事務所のケーブル引きを現任天堂社長の岩井聡がやったというのだから。とこの本には書いてある。
私が初めてこのほぼ日刊イトイ新聞のページを見たとき、私は読者としてではなくアマチュアクリエイターというアイデンティティでもってビビビッと来た。そんな私とは対照的に、私の周りの知り合いの反応は薄かった。ちょこちょこっと面白いコンテンツのある単なるホームページじゃん、これのどこが取り立てて面白いのだと。
まあそれも無理のない話だ。インターネットの魅力とは色々あるけれど、総合雑誌をインターネットでやる意味なんてほとんどない。速報サイトとか、ごくピンポイントを狙った情報サイトとかコミュニティサイトなど、革新的なメディアとしてのインターネットの可能性から考えれば、ほぼ日刊イトイ新聞はかなりの時代遅れだからだ。
いまインターネットではブログが流行っている。個人の日記にみんなでコメントできるような個人サイトだ。色んな人がいるから面白い。アイドルからサッカー選手などの有名人もいれば、文才のあるにいちゃんや個人投資家や技術者など。従来のメディアではありえないものだ。
では私はほぼ日刊イトイ新聞のどこに魅力を感じたのか。それは、糸井重里が自分の人脈を使って面白い情報を持っている人に執筆を頼むという、編集側にまわったことだ。俺が私がの世界で、自分ではなく他人の持っている情報をかき集めて編集して提供する側にまわったことに衝撃を受けた。
前置きはこのぐらいにして、本の内容に入ろう。
私は最初見たとき、どうせ糸井重里は余技でやってるんだろうな、と想像してますます嫉妬をつのらせていた。しかしこの本を読むとどうやらそうではないらしい。自分がいかに行き詰っていたか、クリエイター主導で何かやれないのかを真剣に考えていたということが、比較的長々と最初に説明している。これを読むまで私はこんなことを想像していなかった。何でも自分の好きなことが出来るごくごく一握りのクリエイター、それが糸井重里だと思っていたのだ。
しかしそのあとはやはり選ばれた者のみが歩く光る道だ。インターネットの可能性について具体例とともに説明してみせたり、ほぼ日刊イトイ新聞が成功していくまでを気持ちよく書いている。サッカー日本代表を応援するサイトやジーンズのサイトはまさにインターネットの力だと思うが、立花ゼミなんてものは既存のメディアとのつながりなしには考えられなかったと思う。それに、ほぼ日刊イトイ新聞も結局は糸井重里の持っている依存のメディアと関係の深い知り合いを動員し、収支も一枚二千三百円のシャツから始まった物販でまかなっていることをぶっちゃけている。
インターネットは、クリエイターが既存のメディアに縛られずに伸び伸びと活動できる場所であるという以上に、彼らにとっては既存のメディアとの駆け引きの道具に過ぎないのではないかと思えてくる。
成功譚として聞けば面白いサクセス・ストーリーであるし、正直に打ち明けている部分があって興味深いところがいくつかあったが、私にとってはガッカリしたことのほうが多かった。
おっと。深く考えると、創造活動のあるべき姿ということまで考えてしまう。
とまあ否定的なことを書いてしまったが、糸井重里が自分のやりたいことをやっているという姿勢には好感が持てる。私にとってほぼ日は今は全然面白くないネットマガジンだが(読んでた当時も一部企画だけ面白いと思っていた)、こういうことを思いついて行動に移した様子を見るのはそれなりに楽しいものだった。
ところで、あまりにお金やコネでガチガチの今のメディアはなんとかならないものだろうか。