ノンフィクション
歴史
神聖ローマ帝国
菊池良生 (講談社現代新書)
まあまあ(10点)
2007年6月28日
世界史の教科書でおなじみの神聖ローマ帝国の歴史についてざっと説明した新書。この緩やかな帝国のことを、ほぼドイツと言っていいのに歯切れが悪くなる理由がよく分かる。
作者はオーストリア文学者(?)の菊池良生という人。序章でゲーテのファウストを引用していることから、このあたりの文学とか歴史が好きな人っぽい。
ヨーロッパ史と言えばまずギリシャ・ローマときて、ローマ帝国が東西に分裂して西側は暗黒時代が入ったあとでフランク王国、さらにこれが三つに分裂してフランスやドイツの原型となる。ここまではなんとなく高校の頃の世界史で習って理解していた。
ところがそんなに簡単には今の世界地図のようにはならなくて、大小さまざまな国が割拠する中で、いまのドイツを中心としたところに神聖ローマ帝国が生まれていく。教科書のこのへんからの記述の歯切れが悪いせいで、私はいままでまぼんやりと年表としての知識しか持ってもっていなかった。事実絶対主義で物語の入る余地のない日本の教科書が悪いのだと、ロシア語通訳者の米原万理が言っていたことに大いにうなずく。
この本の著者も、神聖ローマ帝国という掴み所の難しい存在について書くことを困難に思っていたようだ。それを歴史的な記録の中でも文学に近いものから説明していこうと試みているのは、まさに作者の経歴からすると得意とするところだろうし、史学というものが文学に近いということも分からせてくれる。たとえばヨーロッパ生まれのある偉人がキリスト教世界に生れ落ちたことを誇りとしていると語っている文献を引用し、彼らがいかにローマ帝国を偉大に思ってきたかを説明しているところは、世界史を語る上で欠かせないことであり、感覚的に非常に分かりやすく説明していると思う。主観が混じるからという理由で日本の歴史教科書には書けないことだ。
だからその後の歴史として、その偉大なローマ帝国を再建するという力学が働いていることが分かると、ヨーロッパ史への理解が楽になる。帝国の皇帝の位は教皇が授けるものだという理屈が生まれることで、ヨーロッパ大陸の覇者となろうとする者はイタリア半島にも影響を持たなければならなくなる。封建諸侯の世襲による権力の地方への固定化を防ぐために聖職者の領主である大司教などが生まれ、世俗国家とカトリックの複雑な力学が発生する。
皇帝と諸侯の微妙な力関係は、ハプスブルグ家のような帝国すらまたがった不思議な諸侯・皇帝を作ったり、スウェーデンなどのように外国の国王なのに帝国の諸侯でもあるという妙な構造まで出来た。ヨーロッパの有力な諸侯・王族が、跡継ぎの途絶えた国の継承をめぐって戦争をする。皇帝の座を求めて権力闘争したかと思ったら、皇帝の力を弱めて自身は有力な諸侯として地元に根を下ろすことに専念することを繰り返す。最終的にルターから始まった宗教対立から30年戦争を経てウエストファリア条約が結ばれたところで、帝国は大小の諸侯に主権を認めて事実上バラバラになる。
そんなまさに中世封建制の群雄割拠の時代に、いち早く専制により王権を強化して諸外国を圧したのがオスマン・トルコとフランスだった。さらに時代がくだり、ナポレオンが国民国家の概念を生み出した頃にはとうに神聖ローマ帝国は形骸化しており、ヨーロッパ各国は現在の版図に収束していく。そして現代になり再びEUがヨーロッパを統一する。入れてもらえないトルコ(笑)。歴史から考えると自明だ。キリスト教世界の境界、ハプスブルグ家などとの争い。ビザンチンをもっと前面に出せば行けなくもないかも。
という全体の流れを理解するにはとても良い本だと思う。だが個々の皇帝についての描写は時に退屈に感じる。恐らくもう私がこういう中世の細かい歴史に興味がないからだと思う。語り口は軽妙で愉快だが調子に乗りすぎだと感じるところも目立った。この人はヨーロッパ史が大好きなんだろうな。だからかこの本も読んでいて少し楽しくはあった。学生の頃にこの作者のような先生がいたら授業が面白かったなと思う。しかし、本としてまとまった著作を読むならもうちょっとしっかりした人のほうがいいと思わなくもない。
作者はオーストリア文学者(?)の菊池良生という人。序章でゲーテのファウストを引用していることから、このあたりの文学とか歴史が好きな人っぽい。
ヨーロッパ史と言えばまずギリシャ・ローマときて、ローマ帝国が東西に分裂して西側は暗黒時代が入ったあとでフランク王国、さらにこれが三つに分裂してフランスやドイツの原型となる。ここまではなんとなく高校の頃の世界史で習って理解していた。
ところがそんなに簡単には今の世界地図のようにはならなくて、大小さまざまな国が割拠する中で、いまのドイツを中心としたところに神聖ローマ帝国が生まれていく。教科書のこのへんからの記述の歯切れが悪いせいで、私はいままでまぼんやりと年表としての知識しか持ってもっていなかった。事実絶対主義で物語の入る余地のない日本の教科書が悪いのだと、ロシア語通訳者の米原万理が言っていたことに大いにうなずく。
この本の著者も、神聖ローマ帝国という掴み所の難しい存在について書くことを困難に思っていたようだ。それを歴史的な記録の中でも文学に近いものから説明していこうと試みているのは、まさに作者の経歴からすると得意とするところだろうし、史学というものが文学に近いということも分からせてくれる。たとえばヨーロッパ生まれのある偉人がキリスト教世界に生れ落ちたことを誇りとしていると語っている文献を引用し、彼らがいかにローマ帝国を偉大に思ってきたかを説明しているところは、世界史を語る上で欠かせないことであり、感覚的に非常に分かりやすく説明していると思う。主観が混じるからという理由で日本の歴史教科書には書けないことだ。
だからその後の歴史として、その偉大なローマ帝国を再建するという力学が働いていることが分かると、ヨーロッパ史への理解が楽になる。帝国の皇帝の位は教皇が授けるものだという理屈が生まれることで、ヨーロッパ大陸の覇者となろうとする者はイタリア半島にも影響を持たなければならなくなる。封建諸侯の世襲による権力の地方への固定化を防ぐために聖職者の領主である大司教などが生まれ、世俗国家とカトリックの複雑な力学が発生する。
皇帝と諸侯の微妙な力関係は、ハプスブルグ家のような帝国すらまたがった不思議な諸侯・皇帝を作ったり、スウェーデンなどのように外国の国王なのに帝国の諸侯でもあるという妙な構造まで出来た。ヨーロッパの有力な諸侯・王族が、跡継ぎの途絶えた国の継承をめぐって戦争をする。皇帝の座を求めて権力闘争したかと思ったら、皇帝の力を弱めて自身は有力な諸侯として地元に根を下ろすことに専念することを繰り返す。最終的にルターから始まった宗教対立から30年戦争を経てウエストファリア条約が結ばれたところで、帝国は大小の諸侯に主権を認めて事実上バラバラになる。
そんなまさに中世封建制の群雄割拠の時代に、いち早く専制により王権を強化して諸外国を圧したのがオスマン・トルコとフランスだった。さらに時代がくだり、ナポレオンが国民国家の概念を生み出した頃にはとうに神聖ローマ帝国は形骸化しており、ヨーロッパ各国は現在の版図に収束していく。そして現代になり再びEUがヨーロッパを統一する。入れてもらえないトルコ(笑)。歴史から考えると自明だ。キリスト教世界の境界、ハプスブルグ家などとの争い。ビザンチンをもっと前面に出せば行けなくもないかも。
という全体の流れを理解するにはとても良い本だと思う。だが個々の皇帝についての描写は時に退屈に感じる。恐らくもう私がこういう中世の細かい歴史に興味がないからだと思う。語り口は軽妙で愉快だが調子に乗りすぎだと感じるところも目立った。この人はヨーロッパ史が大好きなんだろうな。だからかこの本も読んでいて少し楽しくはあった。学生の頃にこの作者のような先生がいたら授業が面白かったなと思う。しかし、本としてまとまった著作を読むならもうちょっとしっかりした人のほうがいいと思わなくもない。