マンガ
学園もの
青い花
志村貴子 (太田出版 fx comics)
傑作(30点)
2014年12月8日
引っ込み思案で内気な女の子の万城目ふみは、大好きだった従姉が結婚することになって意気消沈していたが、幼い頃に仲良しだった同い年の小さくて元気な女の子の奥平あきらと鎌倉の町で再会して元気づけられる。従姉から同性愛の手ほどきを受けていた万城目ふみは、進学先の女子高で魅力的な先輩・杉本恭己から口説かれ、付き合い始める。杉本は奥平あきらが通うお嬢様学校の演劇部に客演として呼ばれ、万城目ふみもついていくが、その学校にはかつて杉本と付き合っていた井汲京子がいて想いを引きずっていた。百合マンガ。
2009年にアニメ化されたのを見て、百合もの(女の同性愛)が大好きな自分にとってとても楽しめたので、アニメが終わるとすぐに既刊分の原作を読んだのだけど、まだまだ話が途中だったのでいったんそれっきりになっていた。ふと思い出して調べてみたらいつのまにか完結していたので、今回改めて全部読んでみた。
前半は、図体が大きいのにおとなしい女の子の万城目ふみが、文芸部の部室に出入りしていた少々強引なバスケ部部長の杉本恭己に迫られ、戸惑いながらも女の子同士で付き合って仲を深めていくさまが描かれる。そんな二人に、近所にあるお嬢様学校の生徒でかつて杉本と付き合っていたという井汲京子が未練がましく横恋慕してきたり、まだ恋も知らない小柄で元気な女の子の奥平あきらが相談に乗られて戸惑ったりして、周囲の人間関係が動いていく。
この作品の面白いところは、舞台が結構広いこと。万城目ふみと杉本恭己が在籍している進学校の松岡女子高等学校は、万城目ふみの幼馴染である奥平あきらや杉本恭己の元恋人である井汲京子が在籍する藤が谷女学院と演劇部同士で交流があり、人が互いに行き来しあっている。また、それぞれの登場人物には家族や親戚がいて、許婚やら友達やらで色々なつながりがある。
自分は正直言って主人公格の万城目ふみのことがあまり好きになれなかった。基本的に流されてばっかりで受け身だから。でもって重要なところでは自分の意見をはっきり言えるのだけど、自分で何かを決めるというより人に流されそうになったときに拒否することで発揮される。杉本恭己からぐいぐい迫られて頬を赤らめたりドキドキしたりするのはいいのだけど、ちょっとあらがって約束をすっぽかしたり、相手の心に何か違うものがあることが分かったときに拒絶したりと、相手のためよりも自己愛が強い感じがする。まあでもそれは無理もなくて、大好きだった従姉に捨てられた経験があることから、相手の心情を確かめて自分の心を守ろうとするのだろう。
万城目ふみがド直球の百合キャラなのに対して、小柄で元気な三つ編み少女の奥平あきらはまだ恋も知らない子供っぽい女の子で、ちょっと異常なシスコンの兄貴に付きまとわれながら途中編入したお嬢様学校でなんちゃってお嬢様として過ごしている。ちょっとお転婆してシスターに怒られるのが面白い。幼馴染の万城目ふみと杉本恭己が自分とこの学校の演劇部にやってきたので、友達と一緒にそれを見守っている。杉本恭己の元カノ(?)の井汲京子とは先輩後輩として仲良くしていて、百合(女の子同士の同性愛)の世界って本当にあるんだあと少々戸惑っている。かわいい。
作者の志村貴子はこの作品を描くにあたって、百合もの小説の金字塔である今野緒雪「マリア様がみてる」に負けない作品にしたいとインタビューで語っていたらしい。「マリみて」の大ファンである自分からすると、「マリみて」に続く作品がもっと増えてほしいと思っていて、この作品もそんな作品の一つとしてとても楽しめたのだけど、まだまだ及んでいないと思う。でもこの「青い花」は登場人物の世代交代が非常に見事で、新しい登場人物が魅力的なのに加えて、これまでの登場人物に新たに魅力的な側面が見えてくるのが素晴らしい。「マリみて」はこの点だけが残念で、主人公の祐己が頼りがいのある先輩に成長するところが妙に不自然だったり、新たな登場人物がいまいちだったりして、シリーズが尻すぼみになっていく。その点、志村貴子の紡ぎ出す物語は活き活きとしていて、巨匠の風格が漂っているように思える。ただ、同じ作者の「放浪息子」を読んだときも思ったのだけど、話の起伏に乏しい点がちょっと残念な感じがする。まあでもそれは味わい深いとも言えるわけで、読み手が噛みしめればいいんじゃないだろうか。作られた展開に乗せられていない分、登場人物がより自然に動いているように思う。
序盤のストーリーを引っ張っていく杉本恭己がかっこいい。偏差値の高い女子高でバスケ部の部長として活躍し、お嬢様学校の演劇部に「嵐が丘」のヒースクリフとして男役で主演する。積極的に万城目ふみを口説いてリードする。でもそんな彼女も過去に泣いたことがあった。そういえば回想シーンみたいな描写はなかったな。過去の出来事についての言及と、過去を引きずっていることによって現在形で起きることを描写している。かっこいいだけじゃなくてちょっとわがままっぽいところも良かった。
そんな杉本恭己に惚れていた井汲京子は、女子高生でまだ若いのにちょっと妖艶な顔つきをしていて、でも惚れた弱みで常に憂いを表情に湛えている。こいつが時々未練がましく杉本恭己に復縁を求めるのだけど、みっともないほどではなく半分あきらめてる感じ。一方で前向きに演劇部を引っ張っていっているし、後輩の奥平あきらと仲良くしているのがよかった。
一年が過ぎて、お嬢様学校に入ってきた新入生の大野春花が面白すぎ。こいつの物怖じしないで何にでも切り込んでいくキャラが、ちょっと沈んでいたこれまでの登場人物たちを元気にしていき、新たな側面を見せていくところがすごく活き活きしていて、読んでいて楽しかった。また、進学校の松岡女子高等学校のほうも、演劇部の変わり者三人組がフィーチャーされていき出番が増える。
物語の後半は、万城目ふみの愛情が奥平あきらのほうに向いていく。万城目ふみは奥平あきらのことを大切な友人だと思っていて、友情を壊したくないので万事控え目。でも我慢することで気持ちが引き裂かれるかといった感じではなく、希望にすがるように奥平あきらに対して何度か告白をする。そのたびに奥平あきらは混乱する。そして…。
万城目ふみは淫乱だと思う。
そして物語は終盤にめまぐるしい展開をして、よく分からないうちに終わってしまう。これが多くの読者にとって都合のいい結末だからだろうか。
今野緒雪「マリア様がみてる」では、百合的な関係は純粋に美しく昇華されることで肯定された。女の子同士は好きあっていても、最終的にはそれがガチの恋愛関係にはならず、美しい関係ということであいまいにされていた。その点、この「青い花」の中の百合的な関係というのは、ドロドロしていて嫉妬や期待と拒絶や代償といった醜くも美しい感情に彩られていて、良くも悪くも恋愛そのものになっている。そして作者は否定も肯定もせず淡々と描いている。語り手の意志としては多分ニュートラルなんだと思う。「マリみて」にも「レイニーブルー」という鬱展開があるのだけど、あれは今から考えるとちょっとシチュエーション的に不自然な上に、心変わりとかじゃなくあくまで状況が状況だったというだけなので、最終的にはなんとかなってしまう。いま流行りの言葉で言えば「やさしい世界」だろうか。
すごく安易に考えると、奥平あきらが万城目ふみを受け入れて終わりにするのが一番無難だったと思う。その後のことを書かなくて済むし。でもそうしなかった。作者は絵物語的な百合じゃなくてリアルな恋愛の百合を描こうとしたんだと思う。でも結局ボカして描いて終わらせてしまった。奥平あきらが最後なにを思ってああしたのか、そしてそれを万城目ふみがどう思ったのか、もっと分かるように描いてほしかった。
同じ作者による「放浪息子」を読んでいるときも思ったのだけど、百合とか社会的性別なんていうものは作者にとってそれほど重要なテーマではないと思う。あとがきだか欄外だかで作者が言うには、前に描いた作品で百合が面白かったから描いただけらしい。描くからには本気で描いたとは思うのだけど、この人自身の中に百合というテーマがあるわけではないと思う。少なくともそう思えるほどに突き放して描かれているようにしか思えなかった。もっと突き詰めて描いてほしかったのだけど、作者の「まあこんなものだよね」的な悪い意味でも超然さがにじみ出ているように見えて、微妙に好きになれない。
間接的なセックス描写がある。びっくり。裸で抱き合う絵は出てこないけれど、行為をしたという説明がなされるし、キスだけじゃなくておっぱいを吸ったとか出てくる。ごくわずかなんだけど。絵柄が健全(?)なのに。自分はこの作品を「ソフト百合」に分類したいところだけど、賛否が分かれそう。おっぱいをもむ描写が面白かった。
この作品を読んで「なにこれ?」って思う人もいると思う。こういう作品をじっくり読んで味わえる人に楽しんでもらいたい。
2009年にアニメ化されたのを見て、百合もの(女の同性愛)が大好きな自分にとってとても楽しめたので、アニメが終わるとすぐに既刊分の原作を読んだのだけど、まだまだ話が途中だったのでいったんそれっきりになっていた。ふと思い出して調べてみたらいつのまにか完結していたので、今回改めて全部読んでみた。
前半は、図体が大きいのにおとなしい女の子の万城目ふみが、文芸部の部室に出入りしていた少々強引なバスケ部部長の杉本恭己に迫られ、戸惑いながらも女の子同士で付き合って仲を深めていくさまが描かれる。そんな二人に、近所にあるお嬢様学校の生徒でかつて杉本と付き合っていたという井汲京子が未練がましく横恋慕してきたり、まだ恋も知らない小柄で元気な女の子の奥平あきらが相談に乗られて戸惑ったりして、周囲の人間関係が動いていく。
この作品の面白いところは、舞台が結構広いこと。万城目ふみと杉本恭己が在籍している進学校の松岡女子高等学校は、万城目ふみの幼馴染である奥平あきらや杉本恭己の元恋人である井汲京子が在籍する藤が谷女学院と演劇部同士で交流があり、人が互いに行き来しあっている。また、それぞれの登場人物には家族や親戚がいて、許婚やら友達やらで色々なつながりがある。
自分は正直言って主人公格の万城目ふみのことがあまり好きになれなかった。基本的に流されてばっかりで受け身だから。でもって重要なところでは自分の意見をはっきり言えるのだけど、自分で何かを決めるというより人に流されそうになったときに拒否することで発揮される。杉本恭己からぐいぐい迫られて頬を赤らめたりドキドキしたりするのはいいのだけど、ちょっとあらがって約束をすっぽかしたり、相手の心に何か違うものがあることが分かったときに拒絶したりと、相手のためよりも自己愛が強い感じがする。まあでもそれは無理もなくて、大好きだった従姉に捨てられた経験があることから、相手の心情を確かめて自分の心を守ろうとするのだろう。
万城目ふみがド直球の百合キャラなのに対して、小柄で元気な三つ編み少女の奥平あきらはまだ恋も知らない子供っぽい女の子で、ちょっと異常なシスコンの兄貴に付きまとわれながら途中編入したお嬢様学校でなんちゃってお嬢様として過ごしている。ちょっとお転婆してシスターに怒られるのが面白い。幼馴染の万城目ふみと杉本恭己が自分とこの学校の演劇部にやってきたので、友達と一緒にそれを見守っている。杉本恭己の元カノ(?)の井汲京子とは先輩後輩として仲良くしていて、百合(女の子同士の同性愛)の世界って本当にあるんだあと少々戸惑っている。かわいい。
作者の志村貴子はこの作品を描くにあたって、百合もの小説の金字塔である今野緒雪「マリア様がみてる」に負けない作品にしたいとインタビューで語っていたらしい。「マリみて」の大ファンである自分からすると、「マリみて」に続く作品がもっと増えてほしいと思っていて、この作品もそんな作品の一つとしてとても楽しめたのだけど、まだまだ及んでいないと思う。でもこの「青い花」は登場人物の世代交代が非常に見事で、新しい登場人物が魅力的なのに加えて、これまでの登場人物に新たに魅力的な側面が見えてくるのが素晴らしい。「マリみて」はこの点だけが残念で、主人公の祐己が頼りがいのある先輩に成長するところが妙に不自然だったり、新たな登場人物がいまいちだったりして、シリーズが尻すぼみになっていく。その点、志村貴子の紡ぎ出す物語は活き活きとしていて、巨匠の風格が漂っているように思える。ただ、同じ作者の「放浪息子」を読んだときも思ったのだけど、話の起伏に乏しい点がちょっと残念な感じがする。まあでもそれは味わい深いとも言えるわけで、読み手が噛みしめればいいんじゃないだろうか。作られた展開に乗せられていない分、登場人物がより自然に動いているように思う。
序盤のストーリーを引っ張っていく杉本恭己がかっこいい。偏差値の高い女子高でバスケ部の部長として活躍し、お嬢様学校の演劇部に「嵐が丘」のヒースクリフとして男役で主演する。積極的に万城目ふみを口説いてリードする。でもそんな彼女も過去に泣いたことがあった。そういえば回想シーンみたいな描写はなかったな。過去の出来事についての言及と、過去を引きずっていることによって現在形で起きることを描写している。かっこいいだけじゃなくてちょっとわがままっぽいところも良かった。
そんな杉本恭己に惚れていた井汲京子は、女子高生でまだ若いのにちょっと妖艶な顔つきをしていて、でも惚れた弱みで常に憂いを表情に湛えている。こいつが時々未練がましく杉本恭己に復縁を求めるのだけど、みっともないほどではなく半分あきらめてる感じ。一方で前向きに演劇部を引っ張っていっているし、後輩の奥平あきらと仲良くしているのがよかった。
一年が過ぎて、お嬢様学校に入ってきた新入生の大野春花が面白すぎ。こいつの物怖じしないで何にでも切り込んでいくキャラが、ちょっと沈んでいたこれまでの登場人物たちを元気にしていき、新たな側面を見せていくところがすごく活き活きしていて、読んでいて楽しかった。また、進学校の松岡女子高等学校のほうも、演劇部の変わり者三人組がフィーチャーされていき出番が増える。
物語の後半は、万城目ふみの愛情が奥平あきらのほうに向いていく。万城目ふみは奥平あきらのことを大切な友人だと思っていて、友情を壊したくないので万事控え目。でも我慢することで気持ちが引き裂かれるかといった感じではなく、希望にすがるように奥平あきらに対して何度か告白をする。そのたびに奥平あきらは混乱する。そして…。
万城目ふみは淫乱だと思う。
そして物語は終盤にめまぐるしい展開をして、よく分からないうちに終わってしまう。これが多くの読者にとって都合のいい結末だからだろうか。
今野緒雪「マリア様がみてる」では、百合的な関係は純粋に美しく昇華されることで肯定された。女の子同士は好きあっていても、最終的にはそれがガチの恋愛関係にはならず、美しい関係ということであいまいにされていた。その点、この「青い花」の中の百合的な関係というのは、ドロドロしていて嫉妬や期待と拒絶や代償といった醜くも美しい感情に彩られていて、良くも悪くも恋愛そのものになっている。そして作者は否定も肯定もせず淡々と描いている。語り手の意志としては多分ニュートラルなんだと思う。「マリみて」にも「レイニーブルー」という鬱展開があるのだけど、あれは今から考えるとちょっとシチュエーション的に不自然な上に、心変わりとかじゃなくあくまで状況が状況だったというだけなので、最終的にはなんとかなってしまう。いま流行りの言葉で言えば「やさしい世界」だろうか。
すごく安易に考えると、奥平あきらが万城目ふみを受け入れて終わりにするのが一番無難だったと思う。その後のことを書かなくて済むし。でもそうしなかった。作者は絵物語的な百合じゃなくてリアルな恋愛の百合を描こうとしたんだと思う。でも結局ボカして描いて終わらせてしまった。奥平あきらが最後なにを思ってああしたのか、そしてそれを万城目ふみがどう思ったのか、もっと分かるように描いてほしかった。
同じ作者による「放浪息子」を読んでいるときも思ったのだけど、百合とか社会的性別なんていうものは作者にとってそれほど重要なテーマではないと思う。あとがきだか欄外だかで作者が言うには、前に描いた作品で百合が面白かったから描いただけらしい。描くからには本気で描いたとは思うのだけど、この人自身の中に百合というテーマがあるわけではないと思う。少なくともそう思えるほどに突き放して描かれているようにしか思えなかった。もっと突き詰めて描いてほしかったのだけど、作者の「まあこんなものだよね」的な悪い意味でも超然さがにじみ出ているように見えて、微妙に好きになれない。
間接的なセックス描写がある。びっくり。裸で抱き合う絵は出てこないけれど、行為をしたという説明がなされるし、キスだけじゃなくておっぱいを吸ったとか出てくる。ごくわずかなんだけど。絵柄が健全(?)なのに。自分はこの作品を「ソフト百合」に分類したいところだけど、賛否が分かれそう。おっぱいをもむ描写が面白かった。
この作品を読んで「なにこれ?」って思う人もいると思う。こういう作品をじっくり読んで味わえる人に楽しんでもらいたい。