ノンフィクション
対談・インタビュー
桑田真澄
週刊文春 2002.12.26 阿川佐和子のこの人に会いたい
傑作(30点)
2002年12月24日
故障後は敗戦処理をやっていた巨人の元エース桑田真澄が、今年は原新監督のもとで先発に復帰して 12勝を挙げ最低防御率を取った。その背景について阿川佐和子が聞き出した対談。ちょっと泣けた。
去年までの二年間は、長嶋監督のもとで先発を下ろされて中継ぎや敗戦処理を続ける日々。元エースが怪我と年齢による衰えで一線に立たせてもらえなくなる。何度野球をやめようと思ったことか。家族の支えもあり続けていくが、ついにその気力もなくなった。
シーズン終わりも間近、桑田は当時ヘッドコーチだった原辰徳にこう言った。最後の登板は同じベテランの村田さんとやりたい。それをいなした原は、新監督に内定するとすぐにプレス発表の前に桑田に電話し、来シーズンは自分が監督だ、先発で使う、と言ったのだという。
原自身も長いこと巨人の四番を打っていたが引退する前はチャンスで代打を送られたりしていたらしい。普通なら腐ってさっさと帰ってしまうだろうに、原は代打者に声を掛けるなど非常に前向きに振る舞っていたそうだ。桑田はそんな原を見て、すごい人だなと思っていたのだそうだ。
桑田は原の期待に答えて見事に成功した。まあ桑田のほうにはそんなに気負いはなくて、先発にもってきてくれたら二桁勝利する自信はあったらしい。古武術を習ってピッチングに取り入れたり努力もしたが、投げることに楽しみも見いだしたそうだ。
原はアホだとシーズン前に同じ週刊誌の報道記事で書かれていて、それとの対比も面白い。結果だけ見ると原の監督としての資質は良いようで、能天気なサラブレットといった私の中の印象はこの一年で消えた。
対談のホステス・阿川佐和子は今回もやや地味ながら上手な聞き役で話を引き出していたと思う。対談風景を一度テレビで見てみたい。
去年までの二年間は、長嶋監督のもとで先発を下ろされて中継ぎや敗戦処理を続ける日々。元エースが怪我と年齢による衰えで一線に立たせてもらえなくなる。何度野球をやめようと思ったことか。家族の支えもあり続けていくが、ついにその気力もなくなった。
シーズン終わりも間近、桑田は当時ヘッドコーチだった原辰徳にこう言った。最後の登板は同じベテランの村田さんとやりたい。それをいなした原は、新監督に内定するとすぐにプレス発表の前に桑田に電話し、来シーズンは自分が監督だ、先発で使う、と言ったのだという。
原自身も長いこと巨人の四番を打っていたが引退する前はチャンスで代打を送られたりしていたらしい。普通なら腐ってさっさと帰ってしまうだろうに、原は代打者に声を掛けるなど非常に前向きに振る舞っていたそうだ。桑田はそんな原を見て、すごい人だなと思っていたのだそうだ。
桑田は原の期待に答えて見事に成功した。まあ桑田のほうにはそんなに気負いはなくて、先発にもってきてくれたら二桁勝利する自信はあったらしい。古武術を習ってピッチングに取り入れたり努力もしたが、投げることに楽しみも見いだしたそうだ。
原はアホだとシーズン前に同じ週刊誌の報道記事で書かれていて、それとの対比も面白い。結果だけ見ると原の監督としての資質は良いようで、能天気なサラブレットといった私の中の印象はこの一年で消えた。
対談のホステス・阿川佐和子は今回もやや地味ながら上手な聞き役で話を引き出していたと思う。対談風景を一度テレビで見てみたい。