マンガ
おやすみプンプン
浅野いにお (小学館 ヤングサンデーコミックス)
傑作(30点)
2016年4月4日
それぞれ欠陥を抱えた家族や人々の中で、必然的に自身も欠陥を抱えつつそれなりに一生懸命生きている少年を中心にした、やるせない人生の物語。青年マンガ。
同じ作者の「ソラニン」を読んで、なにか考えさせられるように思いつつも、ちょっと違う感が拭えなかったので、もう一作なにか読んでみたくてこの作品を手に取った。結論から言うとやっぱり何か違う気がするのだけど、前にも増して色々と考えさせられた。
第一話でいきなり家庭が崩壊する。主人公プン山プンプンが家に帰ると、居間が荒れている中で母親がたんこぶを作って気絶していて、父親は「強盗が入った」と言う。警察は父親を容疑者として逮捕する。まだプンプンは小学生だった。
主人公プンプンおよびその親族は、読者が外見から余計なイメージを持たないようにするためか、ヒヨコのような形のシンプルな線で描写されている。最初ほんとうにヒヨコみたいなやつが生活しているのかと思ったら違った。名前もわざとテキトーというか周りから浮かせている。
主人公らがヒヨコみたいな絵で描かれているのは、主人公を純真な少年ということにして、このいびつな世界を描写していくためなのかと思っていたのだけど、主人公プンプンもまたこのいびつな世界を構成する一要素に過ぎなくて、どうしてこうなったのだろうと自問しつつも色々と間違ったことをしつづけてしまう。
プンプン少年を突き動かすのは、小学生の頃に転校してきた田中愛子ちゃん。歯の抜けた愛らしい顔に魅了され、彼女と仲良くなろうとするプンプンだったが、彼女のぶっ飛んだ言動に振り回される。田中愛子の母親は新興宗教にハマっていて、いつも愛子を連れて近所を布教して迷惑がられては引っ越しを繰り返していた。愛子はそんな母親のことが大嫌いで、最終的に愛子はプンプンに対して自分を福岡の親戚のところまで連れ出してくれと言い出す。
色々あっていったん愛子と離れ離れとなったプンプンだったが、中学に入ってからちょっと大人びてかわいくなった彼女と再会する。バドミントン部に入ったプンプンは、部の矢口先輩が彼女と付き合っていると聞かされる。矢口先輩の「物語」に飲み込まれて感動しつつ当惑するプンプンだったが、少し大人びたように見えた愛子は相変わらず小学生のときの愛子のままだった。それに対して己の無力さを再認識し、再び別れが訪れる。
いびつな自分を自覚し、なんとか世の中にあわせて生きようとするプンプンだったが、なかなか思うようにいかない。そんな中で、やはり自分には愛子ちゃんが必要なのだと思い、あてどなく彼女の姿を探すようになる。そしてプンプンは奇跡的に彼女と再会する。噂では小さな芸能事務所に所属してモデル活動をしているといい、中学の頃よりもさらにかわいくなった彼女に対して、プンプンは自分のみっともなさを痛いほど自覚しており、虚勢を張って彼女と接してしまう。しかし彼女はやはり彼女なのだった。
読んでいてひたすらやるせない。主人公と自分自身にやるせないのではなく、世の中全体に対してやるせなくなる。この作品にはいくつかのサイドストーリーがあって、プンプンの叔父の雄一の物語だったり、母親の物語だったり、プンプンの同級生の仲良しコンビの小松と清水の物語だったりなんかが挿入されているのだけど、みんな大体そんな感じ。
一般論として、色々考えさせられる作品はいい作品だと思うのだけど、この作品についてはなんともいえない。ちょっと深読みして敢えてテーマを抜き出すとすれば、「正しいこと」に振り回される人々、ってところだろうか。田中愛子は一貫して救いを求めていたのに、プンプンは無力でそれに応えられなかった。雄一は紆余曲折ありながらせっかくゴールにたどり着いたのに、それが正しいことのように思えずに沈んでしまった。プンプンは愛子以外の女の子とも仲良くなるのだけど、その女の子は結局「正しいこと」を振りかざしてプンプンを拒絶する。
というか、私自身がそれに近いテーマを持っているから、作品をそのように解釈してしまうのかもしれない。
深遠なテーマから離れて、この作品の表層的なところで別の話をすると、主人公周辺がヒヨコ風の絵で描かれている以外にも、シュールな演出が随所で行われている。ものすごい俗っぽい外見をしたヒゲオヤジのプリント絵の姿で登場する「神様」が、プンプンに対して何の救いにもならないようなことを随所で語りかけてくる。校長と教頭がかくれんぼしていたり、担任教師が舌をぴょろぴょろ出していたり。ちょっとだけ面白いけど、やっぱりしょうもなさのほうが強かった。
同じ作者の「ソラニン」を読んでいた時も思ったのだけど、ブスかわいい女の子の描写が相変わらず素晴らしい。かわいい女の子をかわいく描く人よりもすごい画力だと思うし、画力だけじゃなく作中のふるまい込みで魅力的に感じた。ただ、田中愛子のあの結末には納得がいかなかった。福岡に行くという発想を小さいころから持ちながら、なぜあの程度のことで色々とあきらめてしまうのかがよく分からなかった。
プンプンは結局どうしたかったのだろう。たとえば中学の頃の小松先輩は、スポーツでがんばって彼女に認められたいという物語を持っていたので部活をがんばった。しかしプンプンにとっては、というか彼女の本当の願いは違っていた。じゃあその願いをかなえるにはどうしたらよかったのか。その答えの一つには簡単にたどり着けたと思う。お金だ。でも結局プンプンはフリーターを選んで細々と暮らすことしか出来なかった。
他にもプンプンが世の中を渡っていくために使えそうな物語はいっぱいあったはずで、女の子にモテるために活動したりとか、勉強をがんばっていい会社に入って地道に稼ごうとか、一発逆転を狙おうとか、色々と選べなかったんだろうか。何度もつまずき、何も出なかったってことなんだろうか。
ペガサス合奏団がほんと意味わからなかった。毎度毎度出てくるなよと思った。Wikipediaにはこの首魁のことを狂言回しと誰かが書いていたけれど、なんにも役に立っていないどころか作品の邪魔だと思う。まあ一応、このどうしようもない世界を描写するためのBGMみたいにはなっていると思うけれど。
なんだかんだで自分はこの作品を熱心に読んだと思うのだけど、自分の本棚には置いておきたくないし、人に勧めたくもないという、自分にとって不思議な作品だった。明らかに読ませる作品だと思うのだけど、そんなに広まっていないのはきっとそんな理由からだと思う。ただ、主人公プンプンの結末は良かった。だからいっそう、なぜ「おやすみプンプン」なのかが分からないのだった。
同じ作者の「ソラニン」を読んで、なにか考えさせられるように思いつつも、ちょっと違う感が拭えなかったので、もう一作なにか読んでみたくてこの作品を手に取った。結論から言うとやっぱり何か違う気がするのだけど、前にも増して色々と考えさせられた。
第一話でいきなり家庭が崩壊する。主人公プン山プンプンが家に帰ると、居間が荒れている中で母親がたんこぶを作って気絶していて、父親は「強盗が入った」と言う。警察は父親を容疑者として逮捕する。まだプンプンは小学生だった。
主人公プンプンおよびその親族は、読者が外見から余計なイメージを持たないようにするためか、ヒヨコのような形のシンプルな線で描写されている。最初ほんとうにヒヨコみたいなやつが生活しているのかと思ったら違った。名前もわざとテキトーというか周りから浮かせている。
主人公らがヒヨコみたいな絵で描かれているのは、主人公を純真な少年ということにして、このいびつな世界を描写していくためなのかと思っていたのだけど、主人公プンプンもまたこのいびつな世界を構成する一要素に過ぎなくて、どうしてこうなったのだろうと自問しつつも色々と間違ったことをしつづけてしまう。
プンプン少年を突き動かすのは、小学生の頃に転校してきた田中愛子ちゃん。歯の抜けた愛らしい顔に魅了され、彼女と仲良くなろうとするプンプンだったが、彼女のぶっ飛んだ言動に振り回される。田中愛子の母親は新興宗教にハマっていて、いつも愛子を連れて近所を布教して迷惑がられては引っ越しを繰り返していた。愛子はそんな母親のことが大嫌いで、最終的に愛子はプンプンに対して自分を福岡の親戚のところまで連れ出してくれと言い出す。
色々あっていったん愛子と離れ離れとなったプンプンだったが、中学に入ってからちょっと大人びてかわいくなった彼女と再会する。バドミントン部に入ったプンプンは、部の矢口先輩が彼女と付き合っていると聞かされる。矢口先輩の「物語」に飲み込まれて感動しつつ当惑するプンプンだったが、少し大人びたように見えた愛子は相変わらず小学生のときの愛子のままだった。それに対して己の無力さを再認識し、再び別れが訪れる。
いびつな自分を自覚し、なんとか世の中にあわせて生きようとするプンプンだったが、なかなか思うようにいかない。そんな中で、やはり自分には愛子ちゃんが必要なのだと思い、あてどなく彼女の姿を探すようになる。そしてプンプンは奇跡的に彼女と再会する。噂では小さな芸能事務所に所属してモデル活動をしているといい、中学の頃よりもさらにかわいくなった彼女に対して、プンプンは自分のみっともなさを痛いほど自覚しており、虚勢を張って彼女と接してしまう。しかし彼女はやはり彼女なのだった。
読んでいてひたすらやるせない。主人公と自分自身にやるせないのではなく、世の中全体に対してやるせなくなる。この作品にはいくつかのサイドストーリーがあって、プンプンの叔父の雄一の物語だったり、母親の物語だったり、プンプンの同級生の仲良しコンビの小松と清水の物語だったりなんかが挿入されているのだけど、みんな大体そんな感じ。
一般論として、色々考えさせられる作品はいい作品だと思うのだけど、この作品についてはなんともいえない。ちょっと深読みして敢えてテーマを抜き出すとすれば、「正しいこと」に振り回される人々、ってところだろうか。田中愛子は一貫して救いを求めていたのに、プンプンは無力でそれに応えられなかった。雄一は紆余曲折ありながらせっかくゴールにたどり着いたのに、それが正しいことのように思えずに沈んでしまった。プンプンは愛子以外の女の子とも仲良くなるのだけど、その女の子は結局「正しいこと」を振りかざしてプンプンを拒絶する。
というか、私自身がそれに近いテーマを持っているから、作品をそのように解釈してしまうのかもしれない。
深遠なテーマから離れて、この作品の表層的なところで別の話をすると、主人公周辺がヒヨコ風の絵で描かれている以外にも、シュールな演出が随所で行われている。ものすごい俗っぽい外見をしたヒゲオヤジのプリント絵の姿で登場する「神様」が、プンプンに対して何の救いにもならないようなことを随所で語りかけてくる。校長と教頭がかくれんぼしていたり、担任教師が舌をぴょろぴょろ出していたり。ちょっとだけ面白いけど、やっぱりしょうもなさのほうが強かった。
同じ作者の「ソラニン」を読んでいた時も思ったのだけど、ブスかわいい女の子の描写が相変わらず素晴らしい。かわいい女の子をかわいく描く人よりもすごい画力だと思うし、画力だけじゃなく作中のふるまい込みで魅力的に感じた。ただ、田中愛子のあの結末には納得がいかなかった。福岡に行くという発想を小さいころから持ちながら、なぜあの程度のことで色々とあきらめてしまうのかがよく分からなかった。
プンプンは結局どうしたかったのだろう。たとえば中学の頃の小松先輩は、スポーツでがんばって彼女に認められたいという物語を持っていたので部活をがんばった。しかしプンプンにとっては、というか彼女の本当の願いは違っていた。じゃあその願いをかなえるにはどうしたらよかったのか。その答えの一つには簡単にたどり着けたと思う。お金だ。でも結局プンプンはフリーターを選んで細々と暮らすことしか出来なかった。
他にもプンプンが世の中を渡っていくために使えそうな物語はいっぱいあったはずで、女の子にモテるために活動したりとか、勉強をがんばっていい会社に入って地道に稼ごうとか、一発逆転を狙おうとか、色々と選べなかったんだろうか。何度もつまずき、何も出なかったってことなんだろうか。
ペガサス合奏団がほんと意味わからなかった。毎度毎度出てくるなよと思った。Wikipediaにはこの首魁のことを狂言回しと誰かが書いていたけれど、なんにも役に立っていないどころか作品の邪魔だと思う。まあ一応、このどうしようもない世界を描写するためのBGMみたいにはなっていると思うけれど。
なんだかんだで自分はこの作品を熱心に読んだと思うのだけど、自分の本棚には置いておきたくないし、人に勧めたくもないという、自分にとって不思議な作品だった。明らかに読ませる作品だと思うのだけど、そんなに広まっていないのはきっとそんな理由からだと思う。ただ、主人公プンプンの結末は良かった。だからいっそう、なぜ「おやすみプンプン」なのかが分からないのだった。
(最終更新日: 2016年4月10日 by ひっちぃ)