映画、テレビ番組、舞台芸術
テレビドラマ
ダウントン・アビー 第5期まで
ジュリアン・フェロウズ他、カーニヴァル・フィルムズ、ITV
まあまあ(10点)
2017年3月15日
ボーア戦争が終わり、自らの領地に帰ってきたイギリス貴族グランサム伯爵は、生死を共にして足が不自由になった元部下ベイツを連れて帰り、従者として雇うことにする。しかし足の悪い従者なんて役に立たないと使用人たちから嫌がらせを受ける。貴族の時代が終わろうとしているイギリスの貴族一家と使用人たちを描いたイギリスのテレビドラマ。
NHKで放映が予告されていて(NHKは番組宣伝がウザい)、イギリスの貴族社会にとても興味があったので見てみた。まあ面白かったけれど思っていたよりゲスかった。題の「ダウントン・アビー」とは伯爵のカントリー・ハウス(貴族や地主の持つ大邸宅)の名称で、ダウントンという領地に建つ邸宅という意味らしい。
なぜグランサム伯爵がダウントンという地を領有しているのかというと、グランサム伯爵はダウントン子爵でもあるからなのだそうだ。ダウントンやグランサムは領有している地名であり、彼ら一族自体はクローリー家なので注意。
クローリー家には爵位を継げる男子がおらず、その代わりに娘が三人いた。そうなると伯爵家を存続させるためには婿を取ることにはなるが、新たに一族に迎え入れる婿に領地や財産を引き継がせて一家を守っていくはずだった。ところが伯爵の長女メアリーの婚約者はタイタニック号の沈没により亡くなってしまう。そんな中、遠い血筋に中産階級で弁護士をしているマシューという若者がいることが分かる。このままでは見知らぬ他人に財産をすべて奪われてしまう。
財産に執着する伯爵夫人コーラだったが、当の伯爵はそんなことよりも貴族の伝統を重んじ、ルールに従ってその若者に爵位と財産を引き継ぐことに決める。実際に会ってみると好青年であり、何の問題もないかのように思われたが、当の青年マシューには貴族になる気はなかった。しかし彼の母親は上流階級についての素養があり、息子に爵位を継がせることを望んだ。青年マシューが長女メアリーと結婚すればすべて丸く収まるのだが…。
という様々な人々の思惑が絡んだドロドロした歴史ドラマになっている。優雅な物語を期待すると完全に裏切られる。自分はそこまで期待していたわけではなかったけれど、こんな下世話な話だったことにちょっとうんざりした。
何が一番イヤって、伯爵の長女メアリーがわがままで気まぐれなおばさんなこと。行き遅れ寸前のくせにフラフラとあっちこっちの男に手を出したり気を持たせたりする。で、この女がモテるモテる。まあ女相続人だからってのもあるんだろうけれど、いい女だから、っていう設定がウザい。でも主な視聴者層はきっと主婦だから狙ってるんだろうなあ。いい話もあったけど、しょうもない脚本にうんざりすることのほうが多かった。
伯爵家の娘たちは良縁に恵まれず、次女も三女も一波乱あり、貴族のしきたりや時代の流れに翻弄される。いちいち説明しているとキリがないので飛ばす。
伯爵には母親バイオレットが健在で、冗談が好きなとぼけた老女として場にたびたびユーモアをもたらす。そんな彼女も青年マシューの母親イザベルとは衝突し、貴族と中流上層(アッパーミドル)との価値観の違いやイザベルが元看護師であることから病院をめぐる主導権争いなんかがあるものの、長い付き合いを経てかけがえのない友人になっていくところは涙腺が緩んだ。
貴族とは別に、ダウントン・アビーでは多数の使用人が働いている。すべてを取り仕切る執事のカーソンを筆頭に、女使用人を束ねる家政婦長ヒューズ、主人の身の回りの世話をする従者ベイツ、厨房を任されている料理長パットモアや厨房メイド、メイドの頭であるメイド長アンナとメイドたち、給仕など下働き全般をする下僕トーマスたち、と役割や頭数が多くて最初は整理する必要がある。
使用人同士の争いが見てられない。足の悪いベイツを追い出そうと、執事カーソンは主人の目が離れた隙に足をかけて転ばせるし、下僕トーマスらは従者ベイツに盗みの疑いを掛けようとモノを隠したり、裏で本当にワインを何本も盗んでいたりする。それだけならまあそんな悪い奴もいるよねってだけで済むのだけど、そういうのも人間らしさとして当たり前のように描いていて、悪いことをしても断罪されずに違うエピソードではいい人に描かれる。いまのモノがあふれる平和で豊かな世の中に暮らす自分たちだからこそ持ち得るこの感覚こそが異常であり、人を出し抜いたり出し抜かれたりするほうがむしろ人間のありかたなのだと突き付けているのだろうか。そういう意味ではこの作品は本当の人間ドラマなのかもしれない。
クソホモ…もといゲイキャラ好きならば、下僕トーマス・バローは見る価値ありだと思う。イケメンで狡猾で敵に回すと恐ろしいが、孤独で頼られると人助けもする。こいつがタバコを吸う姿がすごくさまになっていてかっこいい。ちょっとノブコブ吉村に顔の感じが似てる気がする。いま見比べてみたら大して似てなかったけど、なぜか彷彿とさせるものがある。
このドラマの特徴は、貴族社会とその下の使用人の世界を扱っているというだけでなく、時代の境目をうまく切り取っている点にある。貴族の時代が終わりつつあり、政治的には労働党が力をつけてきて、戦争は近代化し、新しい産業が興り、医療技術が進歩し、女性の権利も勝ち取られていき、電話やラジオも普及しだす。コンドームを買いに行く話があって少しウケた。そうすることで逆に当時はこうだったというのがよく分かるし、時代の波に翻弄される人々の描写が豊かでいいと思った。
しかし全体を通じてなんか安っぽい感じがして、こんなくだらない人間劇なんてこれ以上見てもしょうがないんじゃないかと思って途中で見るのをやめようとしたことが数度あったのだけど、ゲームをやりながらダラダラと見ているうちに完走できた。
美術がすごい。本物の大邸宅(ハイクレア城)の内外で撮っているらしく、内装外装がとてもリアル。ファンタジーの世界を楽しむのにイメージを膨らませるために見ておいて損はないと思う。といっても自分は全然詳しくないので本当に本物そっくりなのかどうかは分からないのだけど。貴族の晩餐会での正装はホワイトタイなのだとキレるシーンがあって、ブラックタイだと本物の貴族からするとこっけいに見えるのだそうで、こだわってるなあと思った。
語ろうと思えば色々と語れるのだけど、それほど語りたいと思えるような作品でもないというか、実況向きというか、それでいて不思議な魅力も感じる。なんというか、人に勧めたくなる作品じゃないと思うけれど、同じ見た人同士では話題を共有できそうな、テレビドラマとしてはいい作品なのかなと思う。
NHKで放映が予告されていて(NHKは番組宣伝がウザい)、イギリスの貴族社会にとても興味があったので見てみた。まあ面白かったけれど思っていたよりゲスかった。題の「ダウントン・アビー」とは伯爵のカントリー・ハウス(貴族や地主の持つ大邸宅)の名称で、ダウントンという領地に建つ邸宅という意味らしい。
なぜグランサム伯爵がダウントンという地を領有しているのかというと、グランサム伯爵はダウントン子爵でもあるからなのだそうだ。ダウントンやグランサムは領有している地名であり、彼ら一族自体はクローリー家なので注意。
クローリー家には爵位を継げる男子がおらず、その代わりに娘が三人いた。そうなると伯爵家を存続させるためには婿を取ることにはなるが、新たに一族に迎え入れる婿に領地や財産を引き継がせて一家を守っていくはずだった。ところが伯爵の長女メアリーの婚約者はタイタニック号の沈没により亡くなってしまう。そんな中、遠い血筋に中産階級で弁護士をしているマシューという若者がいることが分かる。このままでは見知らぬ他人に財産をすべて奪われてしまう。
財産に執着する伯爵夫人コーラだったが、当の伯爵はそんなことよりも貴族の伝統を重んじ、ルールに従ってその若者に爵位と財産を引き継ぐことに決める。実際に会ってみると好青年であり、何の問題もないかのように思われたが、当の青年マシューには貴族になる気はなかった。しかし彼の母親は上流階級についての素養があり、息子に爵位を継がせることを望んだ。青年マシューが長女メアリーと結婚すればすべて丸く収まるのだが…。
という様々な人々の思惑が絡んだドロドロした歴史ドラマになっている。優雅な物語を期待すると完全に裏切られる。自分はそこまで期待していたわけではなかったけれど、こんな下世話な話だったことにちょっとうんざりした。
何が一番イヤって、伯爵の長女メアリーがわがままで気まぐれなおばさんなこと。行き遅れ寸前のくせにフラフラとあっちこっちの男に手を出したり気を持たせたりする。で、この女がモテるモテる。まあ女相続人だからってのもあるんだろうけれど、いい女だから、っていう設定がウザい。でも主な視聴者層はきっと主婦だから狙ってるんだろうなあ。いい話もあったけど、しょうもない脚本にうんざりすることのほうが多かった。
伯爵家の娘たちは良縁に恵まれず、次女も三女も一波乱あり、貴族のしきたりや時代の流れに翻弄される。いちいち説明しているとキリがないので飛ばす。
伯爵には母親バイオレットが健在で、冗談が好きなとぼけた老女として場にたびたびユーモアをもたらす。そんな彼女も青年マシューの母親イザベルとは衝突し、貴族と中流上層(アッパーミドル)との価値観の違いやイザベルが元看護師であることから病院をめぐる主導権争いなんかがあるものの、長い付き合いを経てかけがえのない友人になっていくところは涙腺が緩んだ。
貴族とは別に、ダウントン・アビーでは多数の使用人が働いている。すべてを取り仕切る執事のカーソンを筆頭に、女使用人を束ねる家政婦長ヒューズ、主人の身の回りの世話をする従者ベイツ、厨房を任されている料理長パットモアや厨房メイド、メイドの頭であるメイド長アンナとメイドたち、給仕など下働き全般をする下僕トーマスたち、と役割や頭数が多くて最初は整理する必要がある。
使用人同士の争いが見てられない。足の悪いベイツを追い出そうと、執事カーソンは主人の目が離れた隙に足をかけて転ばせるし、下僕トーマスらは従者ベイツに盗みの疑いを掛けようとモノを隠したり、裏で本当にワインを何本も盗んでいたりする。それだけならまあそんな悪い奴もいるよねってだけで済むのだけど、そういうのも人間らしさとして当たり前のように描いていて、悪いことをしても断罪されずに違うエピソードではいい人に描かれる。いまのモノがあふれる平和で豊かな世の中に暮らす自分たちだからこそ持ち得るこの感覚こそが異常であり、人を出し抜いたり出し抜かれたりするほうがむしろ人間のありかたなのだと突き付けているのだろうか。そういう意味ではこの作品は本当の人間ドラマなのかもしれない。
クソホモ…もといゲイキャラ好きならば、下僕トーマス・バローは見る価値ありだと思う。イケメンで狡猾で敵に回すと恐ろしいが、孤独で頼られると人助けもする。こいつがタバコを吸う姿がすごくさまになっていてかっこいい。ちょっとノブコブ吉村に顔の感じが似てる気がする。いま見比べてみたら大して似てなかったけど、なぜか彷彿とさせるものがある。
このドラマの特徴は、貴族社会とその下の使用人の世界を扱っているというだけでなく、時代の境目をうまく切り取っている点にある。貴族の時代が終わりつつあり、政治的には労働党が力をつけてきて、戦争は近代化し、新しい産業が興り、医療技術が進歩し、女性の権利も勝ち取られていき、電話やラジオも普及しだす。コンドームを買いに行く話があって少しウケた。そうすることで逆に当時はこうだったというのがよく分かるし、時代の波に翻弄される人々の描写が豊かでいいと思った。
しかし全体を通じてなんか安っぽい感じがして、こんなくだらない人間劇なんてこれ以上見てもしょうがないんじゃないかと思って途中で見るのをやめようとしたことが数度あったのだけど、ゲームをやりながらダラダラと見ているうちに完走できた。
美術がすごい。本物の大邸宅(ハイクレア城)の内外で撮っているらしく、内装外装がとてもリアル。ファンタジーの世界を楽しむのにイメージを膨らませるために見ておいて損はないと思う。といっても自分は全然詳しくないので本当に本物そっくりなのかどうかは分からないのだけど。貴族の晩餐会での正装はホワイトタイなのだとキレるシーンがあって、ブラックタイだと本物の貴族からするとこっけいに見えるのだそうで、こだわってるなあと思った。
語ろうと思えば色々と語れるのだけど、それほど語りたいと思えるような作品でもないというか、実況向きというか、それでいて不思議な魅力も感じる。なんというか、人に勧めたくなる作品じゃないと思うけれど、同じ見た人同士では話題を共有できそうな、テレビドラマとしてはいい作品なのかなと思う。