マンガ
逃げるは恥だが役に立つ
海野つなみ (講談社 KC Kiss)
最高(50点)
2017年3月26日
就職活動に失敗して派遣社員になったものの、派遣切りにあって無職となった森山みくりは、父親の元部下の津崎平匡のもとで家事代行の仕事をすることになる。京都大学出身で独身生活の長い津崎は、みくりが若い女性であるにも関わらずドライに接し、大学院を出ているみくりもそれに応えたので、二人の間に信頼関係が芽生える。そのうち二人は「就職としての結婚」を選ぶ。人気テレビドラマの原作マンガ。
NHKのクローズアップ現代プラスで非婚についての特集をやっていて、この作品が軽く取り上げられていたのを見て読んでみた。ドラマ化されてヒットしたらしい。題はハンガリーのことわざからとっているとのこと。非常に覚えにくい題で、人に勧めるときに少し難儀した。とても面白かった。
ポイントはいくつかあって、まずヒロインの森山みくりが冒頭で自分の身を嘆くところからいきなり面白かった。「誰にも必要とされないって」「つらーい」とコミカルなタッチであけすけに独白する。その後、妄想癖を発揮して、「徹子の部屋」風のインタビュー番組が脳内で繰り広げられ、自分の境遇について語られていく。おちゃめなヒロインみくりをすぐに好きになった。
一方の津崎は34歳独身でいままで誰とも付き合ったことがなく、口数の少ない非モテ系の男子。詳しくは語られていないけれど、若い女性と仲良くなって付き合おうという気がなく、みくりのことも女として見ていなかった。でもそれは決して女に興味がないわけではなく、ただあきらめているだけなのだった。みくりが好意を示すと内心喜ぶが、少しでもそっけなくされるとすぐに感情をシャットアウトする。
二人は互いのメリットのために、形だけ結婚をしようとしたり、互いの親への体面で新婚旅行に見せかけて旅行したりする。二人はミーティングを重ねて実行に移し、新婚旅行も「社内旅行」という体で進めるのが面白すぎる。それが最終的には、みくりは恋愛がしたい、それなら手近な津崎がいいとか言い出して、どんどん本物の夫婦みたいになっていく。なんだろう。普通ならこんな関係の深まり方なんて全然ロマンチックじゃないはずなんだけど、妙にドキドキした。これはすごくアリだと思ったし、こんな恋愛してみたいと思った。妙に事務的な「ハグ(抱擁)」の「儀式」がじんわりくる。
ただ、冷静に考えるとこの恋愛にはいくつかの無理がある。このような状況に至るまでには、みくりが生活に困り、津崎のような事務的な男と共同生活し、あげく彼と恋愛することを選択しなければならない。派遣切りにあったって若ければなにかしら仕事は見つかるし、東京で暮らしていくことだってできる。そうなるとわざわざ手近なところで恋愛相手を妥協することなんてないし、そもそもみくりには大学時代の男友達とつながりがあったんじゃないだろうか。だからこれは一つの心地よいファンタジーなんだなと思う。
まあとはいっても、一昔前の日本は女性が一人で自活することが難しかったので、一周まわって見合い結婚に戻ってきたようなものかもしれない。なにせ最初は父親の紹介なのだし、まず結婚してから愛を育むという形が。
なにかのSF作品で、結婚するには多額の金が必要な社会の話で、金のない男のためにレンタル奥さんみたいな感じのサービスがあって、それを頼んだ男が派遣されてきた「奥さん」と本当の結婚生活みたいなのを送るのだけど、お金を貯めた男が最終的にその「奥さん」を買い取って本当の結婚をしようとしたときに、もうお金が貯まったのでイケメン見つけて結婚しますと言ってその「奥さん」が辞めてしまうというオチで終わるのだった。なんだっけなあこれ草上仁だったかなあ、それとも星新一かなあ。自由度の高いシステムは安定しないものなので、津崎とみくりみたいな関係は本来なら長続きしないものかも。
この作品にはもう一つテーマがあって、家事は無償でやって当然のものなのか?みたいな。ちょっと違うかな?ともかく森山みくりは最初津崎のもとで、仕事として家事をやるときはお金をもらっているのだからと納得して家事をやるわけだけど、それが結婚して自分の役割になるのは違うと言い出す。津崎と本当に結婚しようという前になって、みくりは自分も就職して家事は二人で分担、というか自分のことは基本自分でやってあとは互いの好意ってことにしようと言う。
家事ってそんなにイヤなんだろうか?
ちょっと作品から離れてしまうけれど、なんで家事がイヤなんだろう。結婚している夫婦というのは、法的には二人の稼ぎは平等に発生しているものとされる。たとえば年収一千万の旦那と結婚した女性の場合、男五百万に女五百万の収入とされ、離婚した場合は結婚後の収入を山分けすることになっている。年収一千万の旦那の稼ぎをサポートするために家事をしているわけだから当然だと思う。でもそれじゃ納得できないんだろうか。養われているって思いたくないからだろうか?
自分が特に理解できないのは、せっかく旦那が家の外で一千万稼いでいるにも関わらず、奥さんがしょうもないパートタイマー労働を始め、共働きなんだから家事も分担ね!とか言い出して帰宅後の旦那を家事に引っ張り出すという現象。もはや旦那に家事をさせたいだけなんじゃないか。家事を屈辱的な無償労働だと思っているからやりたくないんだろうか。消費者である旦那に奉仕している感じがイヤなんだろうか。家計に関してある程度好きなように出来るのに。
世の主婦の多くがこのような不満を持っているのは事実なので、この作品でももっと切り込んで欲しかったのだけど、みくりの考えは結局よく分からなかった。男に対して自立していたいということなんだろうか。主婦として「必要とされる」のは違うんだろうか。意地の悪い言い方をすると、お金に換えられることをしたいんだろうか。
ついでに言うと、よく2ちゃんねるで言われていることなのだけど、稼ぐ女性は主夫を養いたがらず、自分より稼ぐ旦那と結婚したがる、というもの。ここであえて「養う」という言葉を使ったのだけど、自分が大黒柱として働く気はなく、仕事は好きなときに辞めたいけれど(当然好きな仕事しかしない)、家事を全部やるのもイヤだというのがいまの日本の女性だと思う。母子家庭の女性はよく働いているみたいだけどそれは例外で、男と女が食うに困ったら男の方がどんなイヤな仕事でもやらなければならないという不平等に女は目をつむっていたいのだろうか。
みくりには50代独身のキャリアウーマンの叔母である「百合ちゃん」がいる。「叔母さん」と呼んだら嫌がられたので名前で呼ぶ仲ということらしい。こいつが二十代だか三十代だかのイケメンに惚れられるというのも無理がありすぎると思う。五十代の男が二十代の女と恋愛することはあっても、その逆は現実にはまずない。まあでも、読んでいてこの「百合ちゃん」は好感が持てたし、男並みに稼いでいてがんばっているので、こういう女性が社会に向いていない若い男性と結婚するような世の中になってほしいと思う。
そうだ忘れていたけれど、百合ちゃんに惚れるイケメンを通じて、作者は結婚という制度そのものに疑問を投げかけている。こいつはモテるから一人の女と結婚する意味がない。結婚を迫る女を論破するのが面白い。ただ上には上がいて、物語終盤になって登場する「ポジティブモンスター」という二つ名をもらう帰国子女の女は、イケメンのことを恋人候補だとして積極的に口説き、たくみな論理でイケメンをたじろがせる。
自分の尊敬する精神分析学者・岸田秀に言わせれば、結婚制度なんてものは恒久的な売春契約であってそれ以外の何物でもない。だからいまさら「結婚ってなんだ」と言われても自分はぜんぜん知的好奇心をくすぐられないのだけど、性の価値が大きく下がった現代でこれから何が起きるのかというのはすごく気になる。普通に考えれば買い手市場になるはずなのだけど、少なくともいまのメディアの中ではネットのごく一部以外にまだ大きな動きは出ていない。現実は明らかに変わってきているのだけど。
「互いに甘えられる恋人関係」を結婚のウリだとか自分の価値だとか思っている女性はまだ多いと思うけれど、男が必死に口説く理由には決してなりえない。男の方から積極的に口説いてくるのを待つのは売春婦に等しい精神であり、対等の関係は対等の求愛から生まれるのだということを理解し、みくりのように自分の方が不利な状況であれば自分から動いていくべきではないだろうか。
と、作品を利用して自説を語ってしまったけれど、面倒なこと抜きにこの作品は一つのラブコメとしてとても面白いので、多くの人に勧める。
NHKのクローズアップ現代プラスで非婚についての特集をやっていて、この作品が軽く取り上げられていたのを見て読んでみた。ドラマ化されてヒットしたらしい。題はハンガリーのことわざからとっているとのこと。非常に覚えにくい題で、人に勧めるときに少し難儀した。とても面白かった。
ポイントはいくつかあって、まずヒロインの森山みくりが冒頭で自分の身を嘆くところからいきなり面白かった。「誰にも必要とされないって」「つらーい」とコミカルなタッチであけすけに独白する。その後、妄想癖を発揮して、「徹子の部屋」風のインタビュー番組が脳内で繰り広げられ、自分の境遇について語られていく。おちゃめなヒロインみくりをすぐに好きになった。
一方の津崎は34歳独身でいままで誰とも付き合ったことがなく、口数の少ない非モテ系の男子。詳しくは語られていないけれど、若い女性と仲良くなって付き合おうという気がなく、みくりのことも女として見ていなかった。でもそれは決して女に興味がないわけではなく、ただあきらめているだけなのだった。みくりが好意を示すと内心喜ぶが、少しでもそっけなくされるとすぐに感情をシャットアウトする。
二人は互いのメリットのために、形だけ結婚をしようとしたり、互いの親への体面で新婚旅行に見せかけて旅行したりする。二人はミーティングを重ねて実行に移し、新婚旅行も「社内旅行」という体で進めるのが面白すぎる。それが最終的には、みくりは恋愛がしたい、それなら手近な津崎がいいとか言い出して、どんどん本物の夫婦みたいになっていく。なんだろう。普通ならこんな関係の深まり方なんて全然ロマンチックじゃないはずなんだけど、妙にドキドキした。これはすごくアリだと思ったし、こんな恋愛してみたいと思った。妙に事務的な「ハグ(抱擁)」の「儀式」がじんわりくる。
ただ、冷静に考えるとこの恋愛にはいくつかの無理がある。このような状況に至るまでには、みくりが生活に困り、津崎のような事務的な男と共同生活し、あげく彼と恋愛することを選択しなければならない。派遣切りにあったって若ければなにかしら仕事は見つかるし、東京で暮らしていくことだってできる。そうなるとわざわざ手近なところで恋愛相手を妥協することなんてないし、そもそもみくりには大学時代の男友達とつながりがあったんじゃないだろうか。だからこれは一つの心地よいファンタジーなんだなと思う。
まあとはいっても、一昔前の日本は女性が一人で自活することが難しかったので、一周まわって見合い結婚に戻ってきたようなものかもしれない。なにせ最初は父親の紹介なのだし、まず結婚してから愛を育むという形が。
なにかのSF作品で、結婚するには多額の金が必要な社会の話で、金のない男のためにレンタル奥さんみたいな感じのサービスがあって、それを頼んだ男が派遣されてきた「奥さん」と本当の結婚生活みたいなのを送るのだけど、お金を貯めた男が最終的にその「奥さん」を買い取って本当の結婚をしようとしたときに、もうお金が貯まったのでイケメン見つけて結婚しますと言ってその「奥さん」が辞めてしまうというオチで終わるのだった。なんだっけなあこれ草上仁だったかなあ、それとも星新一かなあ。自由度の高いシステムは安定しないものなので、津崎とみくりみたいな関係は本来なら長続きしないものかも。
この作品にはもう一つテーマがあって、家事は無償でやって当然のものなのか?みたいな。ちょっと違うかな?ともかく森山みくりは最初津崎のもとで、仕事として家事をやるときはお金をもらっているのだからと納得して家事をやるわけだけど、それが結婚して自分の役割になるのは違うと言い出す。津崎と本当に結婚しようという前になって、みくりは自分も就職して家事は二人で分担、というか自分のことは基本自分でやってあとは互いの好意ってことにしようと言う。
家事ってそんなにイヤなんだろうか?
ちょっと作品から離れてしまうけれど、なんで家事がイヤなんだろう。結婚している夫婦というのは、法的には二人の稼ぎは平等に発生しているものとされる。たとえば年収一千万の旦那と結婚した女性の場合、男五百万に女五百万の収入とされ、離婚した場合は結婚後の収入を山分けすることになっている。年収一千万の旦那の稼ぎをサポートするために家事をしているわけだから当然だと思う。でもそれじゃ納得できないんだろうか。養われているって思いたくないからだろうか?
自分が特に理解できないのは、せっかく旦那が家の外で一千万稼いでいるにも関わらず、奥さんがしょうもないパートタイマー労働を始め、共働きなんだから家事も分担ね!とか言い出して帰宅後の旦那を家事に引っ張り出すという現象。もはや旦那に家事をさせたいだけなんじゃないか。家事を屈辱的な無償労働だと思っているからやりたくないんだろうか。消費者である旦那に奉仕している感じがイヤなんだろうか。家計に関してある程度好きなように出来るのに。
世の主婦の多くがこのような不満を持っているのは事実なので、この作品でももっと切り込んで欲しかったのだけど、みくりの考えは結局よく分からなかった。男に対して自立していたいということなんだろうか。主婦として「必要とされる」のは違うんだろうか。意地の悪い言い方をすると、お金に換えられることをしたいんだろうか。
ついでに言うと、よく2ちゃんねるで言われていることなのだけど、稼ぐ女性は主夫を養いたがらず、自分より稼ぐ旦那と結婚したがる、というもの。ここであえて「養う」という言葉を使ったのだけど、自分が大黒柱として働く気はなく、仕事は好きなときに辞めたいけれど(当然好きな仕事しかしない)、家事を全部やるのもイヤだというのがいまの日本の女性だと思う。母子家庭の女性はよく働いているみたいだけどそれは例外で、男と女が食うに困ったら男の方がどんなイヤな仕事でもやらなければならないという不平等に女は目をつむっていたいのだろうか。
みくりには50代独身のキャリアウーマンの叔母である「百合ちゃん」がいる。「叔母さん」と呼んだら嫌がられたので名前で呼ぶ仲ということらしい。こいつが二十代だか三十代だかのイケメンに惚れられるというのも無理がありすぎると思う。五十代の男が二十代の女と恋愛することはあっても、その逆は現実にはまずない。まあでも、読んでいてこの「百合ちゃん」は好感が持てたし、男並みに稼いでいてがんばっているので、こういう女性が社会に向いていない若い男性と結婚するような世の中になってほしいと思う。
そうだ忘れていたけれど、百合ちゃんに惚れるイケメンを通じて、作者は結婚という制度そのものに疑問を投げかけている。こいつはモテるから一人の女と結婚する意味がない。結婚を迫る女を論破するのが面白い。ただ上には上がいて、物語終盤になって登場する「ポジティブモンスター」という二つ名をもらう帰国子女の女は、イケメンのことを恋人候補だとして積極的に口説き、たくみな論理でイケメンをたじろがせる。
自分の尊敬する精神分析学者・岸田秀に言わせれば、結婚制度なんてものは恒久的な売春契約であってそれ以外の何物でもない。だからいまさら「結婚ってなんだ」と言われても自分はぜんぜん知的好奇心をくすぐられないのだけど、性の価値が大きく下がった現代でこれから何が起きるのかというのはすごく気になる。普通に考えれば買い手市場になるはずなのだけど、少なくともいまのメディアの中ではネットのごく一部以外にまだ大きな動きは出ていない。現実は明らかに変わってきているのだけど。
「互いに甘えられる恋人関係」を結婚のウリだとか自分の価値だとか思っている女性はまだ多いと思うけれど、男が必死に口説く理由には決してなりえない。男の方から積極的に口説いてくるのを待つのは売春婦に等しい精神であり、対等の関係は対等の求愛から生まれるのだということを理解し、みくりのように自分の方が不利な状況であれば自分から動いていくべきではないだろうか。
と、作品を利用して自説を語ってしまったけれど、面倒なこと抜きにこの作品は一つのラブコメとしてとても面白いので、多くの人に勧める。