ノンフィクション
歴史
竹島は日韓どちらのものか
下條 正男
傑作(30点)
2004年4月30日
いわゆる竹島問題について、韓国滞在経験もある国際関係の専門家である著者が、史料を元に分析したもの。いまの韓国の悪質な恣意的解釈を痛烈に批判している。
面白かった。スムーズに読み進むことができた。江戸時代の日本と韓国の外交がとても分かりやすく描かれている。
竹島問題を現代にいたってこじらせたおおもとに、二つの歴史的事件があると作者は言う。一つは、一人の大ホラ吹きの韓国人下級兵士が独断で二回島根藩を訪れて、島根藩が扱いを間違ったこと。もう一つは、日露戦争に入る頃にアクシデントで鬱陵島を訪れた日本人一行が普通に言った一言を重大事のように太守が韓国中央政府に報告したこと。
そして全てにつながる根本的な問題として、島の呼称が国と時代によってまちまちであったこと。鬱陵島が昔は竹島だと思われていたとか、いや鬱陵島のすぐ近くにある小島が竹島だったとか、この人物がこのとき言った干山島が実は竹島のことなんじゃないかとか、この史料に書かれている松島が今の竹島なんだとか、読んでいてややこしいし、書いていてもややこしかったと思う。
まとめるのが難しいが、ここは分かりやすく私がまとめておこう。現在の竹島は、歴史上韓国が領有したことはないそうだ。韓国側は、色々な史料を曲解して、この史料にあるなになに島が現在の竹島だとか言っているが、どれもまともな解釈ではないらしい。
韓国が初めて竹島のことを問題にしたきっかけは、日露戦争が始まった頃ぐらいに鬱陵島の太守が中央に打った急報だったそうだ。アクシデントで鬱陵島を訪れた日本人が太守に向かって、これまで誰も領有したことの無かった小島について、正式に日本の領土とした、と言ったのだという。それを聞いた太守が、鬱陵島の近傍にある韓国の島を日本に取られたと勘違いして、深刻な文体の急報を送り、中央政府もそれを読んで間に受けたのだそうだ。
もう一方の、一人の大ホラ吹きの韓国人下級兵士のほうは、今の韓国政府の主張の大きな論拠となっているほか、教科書にも英雄として載せられるなど、史料的に中心となっている事件である。この男が証言したことの中に、現在の竹島と考えられる島を韓国領であると島根藩ひいては幕府が認めたのだということになっているのだそうだ。
この男は、一介の兵士でありながら、架空の官名を名乗って独断で島根藩と交渉しようとし、その事実を知った韓国の中央政府からのちに流罪(本来は死罪だったが政治的かけひきを考えて一等減じられたらしい)になっている。作者は一応この男について、領土問題がこじれたらかつて秀吉が攻めてきたときのように日本がまた韓国に攻めてくることを心配して愛国心を持って交渉に来たのではないかと、意図だけは好意的に解釈している。しかし帰国後の取調べでこの男がホラばかりを証言してそれが史料として残っていることには冷静に一つ一つ批評をして潰している。
なぜ島根藩なのか。江戸時代の韓国との外交は、対馬藩が一手に行っていた。いまの中央集権的な日本からは想像できないが、全権を任されていたらしい。竹島自体は近代になって問題化したことだが、鬱陵島の問題でかつて韓国の中央政府は、対馬藩が独断専横して幕府に媚を売ろうと領土的な陰謀をめぐらせていたのではないかと勘ぐっていたそうだ。
とダラダラと書いてきたが、この本の面白いところは事実関係よりも江戸時代の日韓外交の描写だ。日韓の史料を調べてとても詳しく書かれている。そこまではここに書いていられないので、当時の意外に高度な外交だとか、今に至る日本の腰が引けたところだとか、派閥で争っていた韓国中枢だとか、興味があれば読んでみるといい。
面白かった。スムーズに読み進むことができた。江戸時代の日本と韓国の外交がとても分かりやすく描かれている。
竹島問題を現代にいたってこじらせたおおもとに、二つの歴史的事件があると作者は言う。一つは、一人の大ホラ吹きの韓国人下級兵士が独断で二回島根藩を訪れて、島根藩が扱いを間違ったこと。もう一つは、日露戦争に入る頃にアクシデントで鬱陵島を訪れた日本人一行が普通に言った一言を重大事のように太守が韓国中央政府に報告したこと。
そして全てにつながる根本的な問題として、島の呼称が国と時代によってまちまちであったこと。鬱陵島が昔は竹島だと思われていたとか、いや鬱陵島のすぐ近くにある小島が竹島だったとか、この人物がこのとき言った干山島が実は竹島のことなんじゃないかとか、この史料に書かれている松島が今の竹島なんだとか、読んでいてややこしいし、書いていてもややこしかったと思う。
まとめるのが難しいが、ここは分かりやすく私がまとめておこう。現在の竹島は、歴史上韓国が領有したことはないそうだ。韓国側は、色々な史料を曲解して、この史料にあるなになに島が現在の竹島だとか言っているが、どれもまともな解釈ではないらしい。
韓国が初めて竹島のことを問題にしたきっかけは、日露戦争が始まった頃ぐらいに鬱陵島の太守が中央に打った急報だったそうだ。アクシデントで鬱陵島を訪れた日本人が太守に向かって、これまで誰も領有したことの無かった小島について、正式に日本の領土とした、と言ったのだという。それを聞いた太守が、鬱陵島の近傍にある韓国の島を日本に取られたと勘違いして、深刻な文体の急報を送り、中央政府もそれを読んで間に受けたのだそうだ。
もう一方の、一人の大ホラ吹きの韓国人下級兵士のほうは、今の韓国政府の主張の大きな論拠となっているほか、教科書にも英雄として載せられるなど、史料的に中心となっている事件である。この男が証言したことの中に、現在の竹島と考えられる島を韓国領であると島根藩ひいては幕府が認めたのだということになっているのだそうだ。
この男は、一介の兵士でありながら、架空の官名を名乗って独断で島根藩と交渉しようとし、その事実を知った韓国の中央政府からのちに流罪(本来は死罪だったが政治的かけひきを考えて一等減じられたらしい)になっている。作者は一応この男について、領土問題がこじれたらかつて秀吉が攻めてきたときのように日本がまた韓国に攻めてくることを心配して愛国心を持って交渉に来たのではないかと、意図だけは好意的に解釈している。しかし帰国後の取調べでこの男がホラばかりを証言してそれが史料として残っていることには冷静に一つ一つ批評をして潰している。
なぜ島根藩なのか。江戸時代の韓国との外交は、対馬藩が一手に行っていた。いまの中央集権的な日本からは想像できないが、全権を任されていたらしい。竹島自体は近代になって問題化したことだが、鬱陵島の問題でかつて韓国の中央政府は、対馬藩が独断専横して幕府に媚を売ろうと領土的な陰謀をめぐらせていたのではないかと勘ぐっていたそうだ。
とダラダラと書いてきたが、この本の面白いところは事実関係よりも江戸時代の日韓外交の描写だ。日韓の史料を調べてとても詳しく書かれている。そこまではここに書いていられないので、当時の意外に高度な外交だとか、今に至る日本の腰が引けたところだとか、派閥で争っていた韓国中枢だとか、興味があれば読んでみるといい。
(最終更新日: 2004年4月30日 by ひっちぃ)