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バラエティ番組
100分de名著 ロジェ・カイヨワ“戦争論”
Eテレ (日本放送協会 Eテレ 2019.8.5 22.25~)
まあまあ(10点)
2020年12月7日
なぜ人類が戦争をエスカレートさせていくのかを、人類学者ロジェ・カイヨワが考察しまとめた本について、イラストとナレーションで分かりやすく解説し、タレントの伊集院光が大学の先生に色々聞いて理解していく番組。
なんとなく面白そうだから録画しておいたのだけど、すぐに見る気になれずずっと放置していたら、山川直輝・奈央晃徳「100万の命の上に俺は立っている」を読んだせいかなんとなく気になってきたので見てみた。そんなに面白くはなかった。
戦争が起きる原因は限られたものを奪い合うからだと自分は思っていて、一握りの人間が自分たちの経済的利益のために民衆を扇動して起きるものだと考えているのだけど、それはそれとしてもっと根本的な問題があるのだというのが今回のテーマらしい。
作者はこの本を第二次世界大戦が始まった頃に書き始めている。まず戦争の形態が「全体戦争(総力戦)」つまり国民国家がその生産力と国民のすべてを動員して行うようになった歴史の話から始めている。
戦争には大きく三段階あり、部族同士の縄張り争いから始まり、封建制の頃の領主同士の争いになり、国家間の全面戦争に至ったと言っている。その大きな違いは、民衆のやる気にあるのだという。封建制の頃の民衆は嫌々参加させられていたのでやる気がなかったし、実際大した戦力になっていなかったけれど、ナポレオン戦争になって自分たちの手で自分たちの国を守るんだということになり、銃によって誰でも十分戦えるようになったことからエスカレートした。
作者のロジェ・カイヨワは人類学者として考察した結果、戦争とは祭りと同じ「聖なるもの(実利的ではないもの)」だと言っている。ワショーイ!
番組では伊集院光が最後に結論めいたことを言う形になっていて、戦争は悲惨だから絶対ダメと言うだけでは防げないんだと言っている。なぜなら人々の中に戦争を求める情動があるから。それは祭りで盛り上がり熱狂したい気持ちと一緒なのだという。確かに祭りで人が死ぬことはあっても祭り自体をやめることはないので分かる気がする。
大規模化していく戦争によって人々がゴミのように死んでいく時代になっても、「無名戦士」の名誉を国家が称えるようになり人々がそれに乗っかっていくというのを、作者は別の作家の書いた従軍記録をヒントに発見する。他にも、人には他人の尊厳を無視して蹂躙したがるという欲望があるなど話を広げている。
こういう話は身近なことからも考えていかないと実感がわかないので、現代日本を取り巻く状況についても考察して比較して欲しかったのだけど、さすがに政治的になりすぎるし番組の主旨からも外れていくので仕方がなかったんだろうか。
韓国が竹島を不法占拠していることについて言うと、幼少からの教育によって国民に感情を植え付けて自分たちの領土だと言い張っているのを見ると、やっぱり一部の人たちが戦争を扇動しているんじゃないかと言いたくなるけれど、経済的利益がほとんどないのに一体誰が得をするんだという疑問もある。たぶん同じ民族である北朝鮮に対してなるべく国民の敵意を向かわせず日本に向けたいという政治的な理由があるんだと思うけれど、そもそも日本に敵意を向けていたいというのは教育するまでもなく国民感情として元から持っているんじゃないだろうか。なにせ韓国はいったん日本に取り込まれかけたのだから。
他にもいわゆる「北方領土」をめぐるロシアとの問題について考えると、そもそもロシア国民が領土の放棄を嫌がっているという事実に行き当たる。実際はどうなのか分からないけれど、あれだけ権力のあるプーチンですら国民感情を無視することが出来ない(というのは見せかけか?)。いまのロシアの権力者にとって日本と仲良くしたほうが明らかに得だと思うのになかなかそうはならないのが不思議だ(欧米からも中国からも圧力を受けていて日本とは距離もあって補完しあえて仲良くできそうなのにまあアメリカの妨害か)。
日本は日露戦争あたりから国民が暴走し始めたと言われており、コミュニストによるスパイ活動のせいもあるけれど国民自体が戦争を望んでいた。マスコミが戦争を煽ったと言う人もいるけれど、マスコミは国民が望んだものを提供した。
アメリカだと戦争広告代理店なんていう人々を煽る広告屋が暗躍したことが知られており、クウェートでイラク兵が新生児を殺しただの鳥が油まみれになった映像を流すだのして国民の世論を戦争へと導いたし、常備軍を維持するために貧困層が軍隊へ志願するよう仕向けてもいる。人々の情動だなんだというのは隠れ蓑に過ぎないという疑念も晴れない。
いまはどうなのだろう。公園の危険な遊具が撤去されていき、遊園地のとしまえんが経営不振もあるだろうけれど子供の事故死により閉園されるこの時代に、果たして人々は戦争という祭りをやろうと思うだろうか?それに軍隊も高度化し、銃を持ったぐらいでは一般人は戦力にならなくなってきた。
一方でSNSによるいじめからの自殺という新たな問題が生まれており、リアリティショーと呼ばれる番組で悪役を演じるよう言われていた人が視聴者からの悪意の書き込みにより自殺に追い込まれたことは、人々の祭りを求める情動が新たな形となって噴出したと見るべきだと思う。というような点についても番組で触れてほしかったけれど、あくまで本を解説する番組なので仕方ないのかもしれない。
それでも、戦争が人々の情動から生まれるという作者の主張は色あせていないように思える。
先日内閣官房参与の高橋洋一がEテレ(NHK教育テレビ)を売却すれば受信料を半額できるという主張をして話題になった。NHK改革に切り込んだという点では良いけれど、Eテレは採算になりにくいので最後の最後まで残すべきだと思う。まずバラエティ、ドラマ、スポーツから切り売りすべき。Eテレはとりあえず国営化して外部発注の内訳を透明にする必要がある。きっとザルだし子会社にじゃぶじゃぶ金が流れていると思う。
なんとなく面白そうだから録画しておいたのだけど、すぐに見る気になれずずっと放置していたら、山川直輝・奈央晃徳「100万の命の上に俺は立っている」を読んだせいかなんとなく気になってきたので見てみた。そんなに面白くはなかった。
戦争が起きる原因は限られたものを奪い合うからだと自分は思っていて、一握りの人間が自分たちの経済的利益のために民衆を扇動して起きるものだと考えているのだけど、それはそれとしてもっと根本的な問題があるのだというのが今回のテーマらしい。
作者はこの本を第二次世界大戦が始まった頃に書き始めている。まず戦争の形態が「全体戦争(総力戦)」つまり国民国家がその生産力と国民のすべてを動員して行うようになった歴史の話から始めている。
戦争には大きく三段階あり、部族同士の縄張り争いから始まり、封建制の頃の領主同士の争いになり、国家間の全面戦争に至ったと言っている。その大きな違いは、民衆のやる気にあるのだという。封建制の頃の民衆は嫌々参加させられていたのでやる気がなかったし、実際大した戦力になっていなかったけれど、ナポレオン戦争になって自分たちの手で自分たちの国を守るんだということになり、銃によって誰でも十分戦えるようになったことからエスカレートした。
作者のロジェ・カイヨワは人類学者として考察した結果、戦争とは祭りと同じ「聖なるもの(実利的ではないもの)」だと言っている。ワショーイ!
番組では伊集院光が最後に結論めいたことを言う形になっていて、戦争は悲惨だから絶対ダメと言うだけでは防げないんだと言っている。なぜなら人々の中に戦争を求める情動があるから。それは祭りで盛り上がり熱狂したい気持ちと一緒なのだという。確かに祭りで人が死ぬことはあっても祭り自体をやめることはないので分かる気がする。
大規模化していく戦争によって人々がゴミのように死んでいく時代になっても、「無名戦士」の名誉を国家が称えるようになり人々がそれに乗っかっていくというのを、作者は別の作家の書いた従軍記録をヒントに発見する。他にも、人には他人の尊厳を無視して蹂躙したがるという欲望があるなど話を広げている。
こういう話は身近なことからも考えていかないと実感がわかないので、現代日本を取り巻く状況についても考察して比較して欲しかったのだけど、さすがに政治的になりすぎるし番組の主旨からも外れていくので仕方がなかったんだろうか。
韓国が竹島を不法占拠していることについて言うと、幼少からの教育によって国民に感情を植え付けて自分たちの領土だと言い張っているのを見ると、やっぱり一部の人たちが戦争を扇動しているんじゃないかと言いたくなるけれど、経済的利益がほとんどないのに一体誰が得をするんだという疑問もある。たぶん同じ民族である北朝鮮に対してなるべく国民の敵意を向かわせず日本に向けたいという政治的な理由があるんだと思うけれど、そもそも日本に敵意を向けていたいというのは教育するまでもなく国民感情として元から持っているんじゃないだろうか。なにせ韓国はいったん日本に取り込まれかけたのだから。
他にもいわゆる「北方領土」をめぐるロシアとの問題について考えると、そもそもロシア国民が領土の放棄を嫌がっているという事実に行き当たる。実際はどうなのか分からないけれど、あれだけ権力のあるプーチンですら国民感情を無視することが出来ない(というのは見せかけか?)。いまのロシアの権力者にとって日本と仲良くしたほうが明らかに得だと思うのになかなかそうはならないのが不思議だ(欧米からも中国からも圧力を受けていて日本とは距離もあって補完しあえて仲良くできそうなのにまあアメリカの妨害か)。
日本は日露戦争あたりから国民が暴走し始めたと言われており、コミュニストによるスパイ活動のせいもあるけれど国民自体が戦争を望んでいた。マスコミが戦争を煽ったと言う人もいるけれど、マスコミは国民が望んだものを提供した。
アメリカだと戦争広告代理店なんていう人々を煽る広告屋が暗躍したことが知られており、クウェートでイラク兵が新生児を殺しただの鳥が油まみれになった映像を流すだのして国民の世論を戦争へと導いたし、常備軍を維持するために貧困層が軍隊へ志願するよう仕向けてもいる。人々の情動だなんだというのは隠れ蓑に過ぎないという疑念も晴れない。
いまはどうなのだろう。公園の危険な遊具が撤去されていき、遊園地のとしまえんが経営不振もあるだろうけれど子供の事故死により閉園されるこの時代に、果たして人々は戦争という祭りをやろうと思うだろうか?それに軍隊も高度化し、銃を持ったぐらいでは一般人は戦力にならなくなってきた。
一方でSNSによるいじめからの自殺という新たな問題が生まれており、リアリティショーと呼ばれる番組で悪役を演じるよう言われていた人が視聴者からの悪意の書き込みにより自殺に追い込まれたことは、人々の祭りを求める情動が新たな形となって噴出したと見るべきだと思う。というような点についても番組で触れてほしかったけれど、あくまで本を解説する番組なので仕方ないのかもしれない。
それでも、戦争が人々の情動から生まれるという作者の主張は色あせていないように思える。
先日内閣官房参与の高橋洋一がEテレ(NHK教育テレビ)を売却すれば受信料を半額できるという主張をして話題になった。NHK改革に切り込んだという点では良いけれど、Eテレは採算になりにくいので最後の最後まで残すべきだと思う。まずバラエティ、ドラマ、スポーツから切り売りすべき。Eテレはとりあえず国営化して外部発注の内訳を透明にする必要がある。きっとザルだし子会社にじゃぶじゃぶ金が流れていると思う。
[参考]
https://www.nhk.or.jp/meicho/
famousbook/90_sensouron/
index.html