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バラエティ番組
100分de名著 吉本隆明“共同幻想論”
NHK (日本放送協会 Eテレ 2020.7.6 22:25~)
傑作(30点)
2021年5月16日
戦争が終わり普通に日常生活へと戻っていく人々の姿を目の当たりにした吉本隆明が、ここまで人を従わせる国家とはなんなのか、どうやって成立していったのかを論考してまとめた本を、専門家による解説とタレントの受け答えによって読み解いていった番組。
有名な本だとは知っていたけれど学生の頃には読む気になれず、もっぱら引用によって分かった気になっていたのであらためて内容を知っておきたいと思い、この解説番組を録画していたのを見てみた。そこそこ面白かった。
全4回に分かれていて、まず第1回はそもそも作者がこの本を書くにいたった背景から丁寧に説明していっている。あれだけみんな熱狂して戦争をやっていたのに急に熱がさめてしまったのを見て、作者は自分もその中にいた一人として衝撃を受け、なぜ自分やみんながそうなったのかを考えようと思った。本の内容に入る前にたっぷりと背景を説明しており、興味をひかれるのでとてもいいと思った。
以前同番組で取り上げられていたロジェ・カイヨワ「戦争論」と入口は似ているけれど、カイヨワが人類学者として人間の営みに答えを求めたのに対して、吉本隆明は古事記や遠野物語といった日本の神話から探っていこうとした。つまり社会科学ではなく人文科学的なアプローチなのだった。というのが第2回になっていて、いきなり本書の4章に飛んでいる。
というかこの番組では4章だけしか解説していない。4章は「母制論」「対幻想論」「罪責論」に分かれていて、国家の成り立ちについて考察している。自分はこの本を読んだことがないのでひょっとしたらもっと重要な部分が抜けているのかもしれないけれど、自分が知りたいと思っていたことはカバーしていたしエッセンスをうまく抜き出していると思う。
作者が自分とは対照的な考え方として「資本論」を書いたマルクスの相方エンゲルス「家族・私有財産・国家の起源」と比較している。エンゲルスによれば、原始社会には私有財産がなく乱交当たり前な平等社会だったけれど、家畜を飼うようになってからは不平等社会になり国家が生まれたのだと言っている。実に経済学者らしいアプローチだと思う。
それに対して吉本隆明は、人と人との関係の中で互いに思い描く身近な幻想(対幻想)が集団へと拡大していき(共同幻想)、村から始まって国家まで行き着いたのだと考える。その根拠として、原初人々が好き勝手に振る舞っていたのが社会化されていった過程が神話の中に残っているのだと言っている。
遠野物語の鳥御前の話が取り上げられていて、山で赤い顔をした男女を見かけたので怪しかったから斬りかかったら逆に突き飛ばされて谷へ転落し、気絶しているところを知り合いに発見されて村に連れ帰られたものの、目を覚ました彼がこのことで自分は死ぬかもしれないと言ってその後ほんとうに死んでしまう。死という分かりやすい出来事によって共同体の中での幻想の共有が行われたのだと言う。
このあと伊集院光が祖母とインコの話をするのだけど、祖母が死んだあとのゴタゴタでみんながインコの世話を忘れて死なせてしまっただけなのに、祖母が大好きだったインコが祖母のあとを追っていったのだという美談にされたという話をしていて、ほんとこれ以上にないほど見事な話でちょっと感動した。後ろで先生がメモを取っていたのもウケた。
第3回では古事記でのスサノオの話が出てきて、最初は海を支配するよう言われたけれど、寂しくなって姉のアマテラスのもとへ行き、大暴れしたので罰を受けて追放される。特にこの罰を受ける部分が重要で、旧約聖書でもアダムとイブが蛇にそそのかされて知恵の実を食べて楽園を追放される話があるように、人々を無意識に従わせるための「罪」の概念から、それに対して「罰」を与えるための存在を認めさせるという流れになっている。
ちょっと伊集院光に習って自分も例をつけ足すと、虐待された子供が自分は悪いことをしたから罰を受けているのだという理屈を生み出して現況を受け入れるようになるのと同じで、日本の場合は村落が大和朝廷の支配を受けるようになる中で暴力にさらされ秩序に組み込まれていった過程が神話という形で人々の間で自然と語り継がれ、そしてそれがまた国家による支配のツールとしても使われていったのだと言っている。
第4回ではそんな共同幻想に対して個人幻想のほうにも目を向け、共同幻想が必ずしも人を縛るだけのものではないことも言っている。ここで自殺した作家である芥川龍之介の例を挙げていて、彼は共同幻想が希薄で世の中の枠組みから足を踏み外して個人幻想を膨らませ過ぎたから自死を選ばざるをえなかったのであり、一方で遠野物語に出てくる普通の村人は個人幻想が膨らんでしまっても三途の川で祖母がまだ来るなと手を振ったからと言って迷信のような共同幻想で踏みとどまることが出来た。
逆に戦争のように共同幻想が暴走したときには、個人幻想によって集団に流されず自分を守ることが出来るとも言っている。いくらみんなが崇高な理想に流されても腹が減ったら食べなきゃいけないとか生活していかなければならないとかそんな感じ。一見完璧な共同幻想の中にほころびを見ることを「裂け目」といっていて作者はことさら重視した。
番組中で俳優の柄本明が朗読をしていて、ちょっと無機質に思える文章が表情を持って入ってくる感じがして良かった。半沢直樹で悪役の幹事長をやっていたのを見てめっちゃ迫力あるなあと思っていた。
第1回で興味をひかせ、第2~3回で分かりやすく解説し、第4回ではいかに身近に役立てていくかで締めている。内容的にすごくまとまっているし、あるべき教養の理想的な形だなと思った。
自分は精神分析学者の岸田秀が言っている共同幻想のほうが好きで、そっちのほうがより原理的で真理に近いと思ったけれど、脳科学がもっと発展しないと証明できないので理論なのに偽科学扱いされているように思う。吉本隆明の共同幻想論も文学的アプローチなのでそんなの妄想じゃんと言われかねないところだけど、日本の神話を元にしている上に安保闘争の中で国家に逆らう学生運動といった世相の後押しを受けており、だいぶ扱いがいいように思う。
じゃあいまの世相はどうなのかというと、SNSにより逆に社会が村化しているとか色々言われているけれど、もう面倒くさいのでまたの機会にする。
まあこういういい番組も作るNHKだけど、テレビを設置した全家庭から強制的に受信料を徴収し、潤沢な予算により普通のサラリーマンよりはるかに高い給料を出し、会計の不透明な子会社に仕事を発注して多額のお金が闇に消えていっている。早く電波をスクランブル化し、見たい人だけ金を払うというごく当たり前の方法に変えさせなければならない。
有名な本だとは知っていたけれど学生の頃には読む気になれず、もっぱら引用によって分かった気になっていたのであらためて内容を知っておきたいと思い、この解説番組を録画していたのを見てみた。そこそこ面白かった。
全4回に分かれていて、まず第1回はそもそも作者がこの本を書くにいたった背景から丁寧に説明していっている。あれだけみんな熱狂して戦争をやっていたのに急に熱がさめてしまったのを見て、作者は自分もその中にいた一人として衝撃を受け、なぜ自分やみんながそうなったのかを考えようと思った。本の内容に入る前にたっぷりと背景を説明しており、興味をひかれるのでとてもいいと思った。
以前同番組で取り上げられていたロジェ・カイヨワ「戦争論」と入口は似ているけれど、カイヨワが人類学者として人間の営みに答えを求めたのに対して、吉本隆明は古事記や遠野物語といった日本の神話から探っていこうとした。つまり社会科学ではなく人文科学的なアプローチなのだった。というのが第2回になっていて、いきなり本書の4章に飛んでいる。
というかこの番組では4章だけしか解説していない。4章は「母制論」「対幻想論」「罪責論」に分かれていて、国家の成り立ちについて考察している。自分はこの本を読んだことがないのでひょっとしたらもっと重要な部分が抜けているのかもしれないけれど、自分が知りたいと思っていたことはカバーしていたしエッセンスをうまく抜き出していると思う。
作者が自分とは対照的な考え方として「資本論」を書いたマルクスの相方エンゲルス「家族・私有財産・国家の起源」と比較している。エンゲルスによれば、原始社会には私有財産がなく乱交当たり前な平等社会だったけれど、家畜を飼うようになってからは不平等社会になり国家が生まれたのだと言っている。実に経済学者らしいアプローチだと思う。
それに対して吉本隆明は、人と人との関係の中で互いに思い描く身近な幻想(対幻想)が集団へと拡大していき(共同幻想)、村から始まって国家まで行き着いたのだと考える。その根拠として、原初人々が好き勝手に振る舞っていたのが社会化されていった過程が神話の中に残っているのだと言っている。
遠野物語の鳥御前の話が取り上げられていて、山で赤い顔をした男女を見かけたので怪しかったから斬りかかったら逆に突き飛ばされて谷へ転落し、気絶しているところを知り合いに発見されて村に連れ帰られたものの、目を覚ました彼がこのことで自分は死ぬかもしれないと言ってその後ほんとうに死んでしまう。死という分かりやすい出来事によって共同体の中での幻想の共有が行われたのだと言う。
このあと伊集院光が祖母とインコの話をするのだけど、祖母が死んだあとのゴタゴタでみんながインコの世話を忘れて死なせてしまっただけなのに、祖母が大好きだったインコが祖母のあとを追っていったのだという美談にされたという話をしていて、ほんとこれ以上にないほど見事な話でちょっと感動した。後ろで先生がメモを取っていたのもウケた。
第3回では古事記でのスサノオの話が出てきて、最初は海を支配するよう言われたけれど、寂しくなって姉のアマテラスのもとへ行き、大暴れしたので罰を受けて追放される。特にこの罰を受ける部分が重要で、旧約聖書でもアダムとイブが蛇にそそのかされて知恵の実を食べて楽園を追放される話があるように、人々を無意識に従わせるための「罪」の概念から、それに対して「罰」を与えるための存在を認めさせるという流れになっている。
ちょっと伊集院光に習って自分も例をつけ足すと、虐待された子供が自分は悪いことをしたから罰を受けているのだという理屈を生み出して現況を受け入れるようになるのと同じで、日本の場合は村落が大和朝廷の支配を受けるようになる中で暴力にさらされ秩序に組み込まれていった過程が神話という形で人々の間で自然と語り継がれ、そしてそれがまた国家による支配のツールとしても使われていったのだと言っている。
第4回ではそんな共同幻想に対して個人幻想のほうにも目を向け、共同幻想が必ずしも人を縛るだけのものではないことも言っている。ここで自殺した作家である芥川龍之介の例を挙げていて、彼は共同幻想が希薄で世の中の枠組みから足を踏み外して個人幻想を膨らませ過ぎたから自死を選ばざるをえなかったのであり、一方で遠野物語に出てくる普通の村人は個人幻想が膨らんでしまっても三途の川で祖母がまだ来るなと手を振ったからと言って迷信のような共同幻想で踏みとどまることが出来た。
逆に戦争のように共同幻想が暴走したときには、個人幻想によって集団に流されず自分を守ることが出来るとも言っている。いくらみんなが崇高な理想に流されても腹が減ったら食べなきゃいけないとか生活していかなければならないとかそんな感じ。一見完璧な共同幻想の中にほころびを見ることを「裂け目」といっていて作者はことさら重視した。
番組中で俳優の柄本明が朗読をしていて、ちょっと無機質に思える文章が表情を持って入ってくる感じがして良かった。半沢直樹で悪役の幹事長をやっていたのを見てめっちゃ迫力あるなあと思っていた。
第1回で興味をひかせ、第2~3回で分かりやすく解説し、第4回ではいかに身近に役立てていくかで締めている。内容的にすごくまとまっているし、あるべき教養の理想的な形だなと思った。
自分は精神分析学者の岸田秀が言っている共同幻想のほうが好きで、そっちのほうがより原理的で真理に近いと思ったけれど、脳科学がもっと発展しないと証明できないので理論なのに偽科学扱いされているように思う。吉本隆明の共同幻想論も文学的アプローチなのでそんなの妄想じゃんと言われかねないところだけど、日本の神話を元にしている上に安保闘争の中で国家に逆らう学生運動といった世相の後押しを受けており、だいぶ扱いがいいように思う。
じゃあいまの世相はどうなのかというと、SNSにより逆に社会が村化しているとか色々言われているけれど、もう面倒くさいのでまたの機会にする。
まあこういういい番組も作るNHKだけど、テレビを設置した全家庭から強制的に受信料を徴収し、潤沢な予算により普通のサラリーマンよりはるかに高い給料を出し、会計の不透明な子会社に仕事を発注して多額のお金が闇に消えていっている。早く電波をスクランブル化し、見たい人だけ金を払うというごく当たり前の方法に変えさせなければならない。
[参考]
https://www.nhk.or.jp/meicho/
famousbook/99_yoshimoto/
index.html