映画、テレビ番組、舞台芸術
テレビドラマ
ファースト・デイ わたしはハナ! (1)「新学期はドキドキ…」
脚本・演出:ジュリー・カルセフ, 制作:Epic Film, 日本語版:NHK (Eテレ 2021.6.4 19:25~)
いまいち(-10点)
2021年6月6日
トランスジェンダー(生物学的な性別とは異なる性別を自認している人)の少年トーマスはハナという女の子として中学校に入ることを決意するが、うまくやっていけるか不安なのだった。海外ドラマの吹き替え版。
似たような時間帯に放映されていた「ゲームシェイカーズ」みたいな海外ドラマをまた見たくなったので録画して見てみたのだけど、LGBTの問題を扱った非常に暗い作品で見ていて胸が締め付けられた。全4回らしいけどあんまり続きを見たいと思わなかったので第1回だけ見て感想とそれにかこつけて自分の考えを書いておくことにする。
学校側が受け入れに理解を示してくれるシーンから始まるのだけど、結局トイレは女子のではなく保健室の近くにある共用のトイレを使うよう言われる。女子トイレを使えないとみんなにバレるからと食い下がるけれど認められないのだった。
初日オリビアという女の子が話しかけてきてくれ、その子も含めて仲の良い四人組となり順調に中学校生活が幕を開けたかにみえたが、小学校の頃に執拗にいじってきたアマンダにまた目をつけられ、いやがらせを受ける。
自分はLGBT関係の問題に全然詳しくないし今のところ理解を深めたいとも思わない。いくつか理由があって一言では説明しきれないのだけど、自分の認識と他人の認識とが異なるなんてよくあることなのになぜ周りがそれに合わせないといけないのかというのが一番大きいと思う。
レズやゲイやバイセクシャルの気持ちをノーマルな人が理解するのは難しいけれど、トランスジェンダーだったら簡単な思考実験ができる。自分が肉体的に性転換したと仮定するだけだから。自分はおっさんなので肉体だけおばさんになったと仮定してみる。うーん、別にいままでと変わらない地味なおばさんとして生きていくだけだ。男子トイレを使いたいとも思わないだろう。スカートはちょっと抵抗あるからパンツルックにするだろうか。
この作品のハナ(トーマス)も男子の制服を着て登校すればいい。それがルールなんだし。髪を伸ばして女の子っぽくしたいんだったらそうすればいいし、女の子たちとつるみたいんならそうすればいい。でも、女子の制服を着て周りをだましてまでそれをするのは学校や社会のルールに違反しているという以前に人間としてどうかと思う。制服はまあいいとしても、せめてカミングアウトはしておくべきだろう。
普通の女の子からすれば当たり前の扱いを受けることが出来ないからおかしい!って言うかもしれないけれど、普通の女の子じゃないんだからしょうがないと思う。たとえば身長2mに生まれてしまったら普通の女の子としては扱われないだろう。身長2mの女性に対して身長のことを話題に上げずに友達付き合いするのは無理だしそもそも不自然だろう。
この作品の主人公ハナ(トーマス)は家族からは理解されており、父と母と兄からは娘や妹として扱われている。だから家の中では問題は起こらず、これから学校で問題が起きていき、そして最後に最低でもひと段落はするのだと思う。繰り返すけれど自分はそんな茶番に付き合う気がない。
自分が考えるLGBTの落としどころは、個性として認め、差別しないところまでだと思う。変わっている人が奇異な目で見られるのはしょうがない。つまり、世の中の大多数の人にとってLGBT問題は存在しないと言っていいし、余計なことにわずらわされるべきでないと思う。お金儲けのために問題化しようとしている人たちを断罪していかなければ、社会がひどいことになるだろう。
似たような時間帯に放映されていた「ゲームシェイカーズ」みたいな海外ドラマをまた見たくなったので録画して見てみたのだけど、LGBTの問題を扱った非常に暗い作品で見ていて胸が締め付けられた。全4回らしいけどあんまり続きを見たいと思わなかったので第1回だけ見て感想とそれにかこつけて自分の考えを書いておくことにする。
学校側が受け入れに理解を示してくれるシーンから始まるのだけど、結局トイレは女子のではなく保健室の近くにある共用のトイレを使うよう言われる。女子トイレを使えないとみんなにバレるからと食い下がるけれど認められないのだった。
初日オリビアという女の子が話しかけてきてくれ、その子も含めて仲の良い四人組となり順調に中学校生活が幕を開けたかにみえたが、小学校の頃に執拗にいじってきたアマンダにまた目をつけられ、いやがらせを受ける。
自分はLGBT関係の問題に全然詳しくないし今のところ理解を深めたいとも思わない。いくつか理由があって一言では説明しきれないのだけど、自分の認識と他人の認識とが異なるなんてよくあることなのになぜ周りがそれに合わせないといけないのかというのが一番大きいと思う。
レズやゲイやバイセクシャルの気持ちをノーマルな人が理解するのは難しいけれど、トランスジェンダーだったら簡単な思考実験ができる。自分が肉体的に性転換したと仮定するだけだから。自分はおっさんなので肉体だけおばさんになったと仮定してみる。うーん、別にいままでと変わらない地味なおばさんとして生きていくだけだ。男子トイレを使いたいとも思わないだろう。スカートはちょっと抵抗あるからパンツルックにするだろうか。
この作品のハナ(トーマス)も男子の制服を着て登校すればいい。それがルールなんだし。髪を伸ばして女の子っぽくしたいんだったらそうすればいいし、女の子たちとつるみたいんならそうすればいい。でも、女子の制服を着て周りをだましてまでそれをするのは学校や社会のルールに違反しているという以前に人間としてどうかと思う。制服はまあいいとしても、せめてカミングアウトはしておくべきだろう。
普通の女の子からすれば当たり前の扱いを受けることが出来ないからおかしい!って言うかもしれないけれど、普通の女の子じゃないんだからしょうがないと思う。たとえば身長2mに生まれてしまったら普通の女の子としては扱われないだろう。身長2mの女性に対して身長のことを話題に上げずに友達付き合いするのは無理だしそもそも不自然だろう。
この作品の主人公ハナ(トーマス)は家族からは理解されており、父と母と兄からは娘や妹として扱われている。だから家の中では問題は起こらず、これから学校で問題が起きていき、そして最後に最低でもひと段落はするのだと思う。繰り返すけれど自分はそんな茶番に付き合う気がない。
自分が考えるLGBTの落としどころは、個性として認め、差別しないところまでだと思う。変わっている人が奇異な目で見られるのはしょうがない。つまり、世の中の大多数の人にとってLGBT問題は存在しないと言っていいし、余計なことにわずらわされるべきでないと思う。お金儲けのために問題化しようとしている人たちを断罪していかなければ、社会がひどいことになるだろう。