マンガ
学園もの
俺を好きなのはお前だけかよ コミカライズ版 3巻まで
原作: 駱駝, 作画: 伊島ユウ, キャラクター原案: ブリキ
まあまあ(10点)
2024年6月25日
高校二年生の男の子である如月雨露には、幼馴染の元気な女の子の日向葵と、年上の生徒会長の秋野桜という、二人の仲のいい女の子がいた。普段の彼は鈍感で気のいいキャラを演じていたが、裏ではきっとこの二人は自分のことが大好きに違いないとほくそ笑んでいた。ライトノベルが原作の青春ラブコメマンガ。
テレビ録画用のHDDの容量が少なくなってきたので、5年前に途中まで見て放置していたこれのアニメ版を見るのを再開したのだけど、話がうろ覚えだったのでいったんこのコミカライズ版を読み返してみた。おもしろいんだけど、なぜ途中で放置したのか思い出した。
主人公の如月雨露ことジョーロくん(如雨露だから)は、モテモテの鈍感系主人公を気取っていたのに、次々と冷淡でこっけいな現実を突きつけられていく。二人の女の子が思い詰めた顔をして話しかけてくるので告白されるのかと思ったら…。
すべては親友の応援のため駆け付けた球場から始まっていた。なにかと不自然に現れる謎のベンチなど、お笑い用語で言うところの「天丼」のように同じ状況の中で笑いと涙とツッコミが繰り返されていく。そして彼は逃げ場所となった図書室で一人のメガネ地味女と出会う。ジョーロくんの裏を見透かしたようにいじわるなことを言う彼女だったが…。
原作者はこの作品の受賞インタビューで、いわゆる鈍感系主人公に対する疑問が創作のきっかけとなったと言っていたらしい。だからか本作では、鈍感系主人公なんてきっと裏でよこしまなことを考えているに違いない、そんなやつをイヤな目に合わせてやろう、と思ったかどうかは知らないけれど、序盤はそんな流れになっている。
しかしこの作品はそれだけに留まらず、彼が実は非常に友達思いであることが語られる。被害者ぶっていた女の子たちや親友の男の子もそのことに気づかされていく。図書室のメガネ地味女こと三色院菫子によって。
筋書がまるで作られたようにきっちりとしていて(そりゃ作り話だからなんだけど)、会話のやりとりが綿密に組み合わされていることにより、隙のない物語が練り上げられているんだけど、そのせいでどこか登場人物が演じさせられている感じがして、あまり思い入れることができなかった。
アニメは3話まででいったんきっちり話が終わるんだけど、ここでこの物語は終わるべきだったんだと思う。続きはいらなかった。少なくとも自分はそう思ったのでアニメを五年も放置してしまったんだと思う。
で今回このコミカライズ版とアニメ版を並行して続きを見たんだけど、新たな登場人物を加えてまた同じようなことを繰り返していたので、もういいかなと思って見るのをやめた。これ以上続いてもこのキャラの続きには興味が持てなかった。
原作小説はもっと自然に登場人物に思い入れできるんだろうか。でもここまできっちりした物語、作り上げられた脚本の中で、登場人物の自然な描写なんてできるんだろうか。少なくとも自分にはそうは思えなかったので、原作小説も読む気にもなれなかった。
正ヒロイン(?)のメガネ地味女こと三色院菫子が実は美人だという設定もあざとくてダメだった。また、主人公が自分を犠牲にしてでも友だちのために動く点も、どこか浮世離れしているというか、共感を妨げる理由となっているように思う。
絵はキャラクター原案を描いている有名絵師ブリキの特徴を活かしつつというかほぼそのままにマンガ表現も加わって表情豊かに描かれていてよかった。
というわけで、少なくともアニメ版の3話目、コミカライズ版の2巻目、原作小説の1冊目まではぜひ読んでみるといいと思うけれど、その後はお好みで。
テレビ録画用のHDDの容量が少なくなってきたので、5年前に途中まで見て放置していたこれのアニメ版を見るのを再開したのだけど、話がうろ覚えだったのでいったんこのコミカライズ版を読み返してみた。おもしろいんだけど、なぜ途中で放置したのか思い出した。
主人公の如月雨露ことジョーロくん(如雨露だから)は、モテモテの鈍感系主人公を気取っていたのに、次々と冷淡でこっけいな現実を突きつけられていく。二人の女の子が思い詰めた顔をして話しかけてくるので告白されるのかと思ったら…。
すべては親友の応援のため駆け付けた球場から始まっていた。なにかと不自然に現れる謎のベンチなど、お笑い用語で言うところの「天丼」のように同じ状況の中で笑いと涙とツッコミが繰り返されていく。そして彼は逃げ場所となった図書室で一人のメガネ地味女と出会う。ジョーロくんの裏を見透かしたようにいじわるなことを言う彼女だったが…。
原作者はこの作品の受賞インタビューで、いわゆる鈍感系主人公に対する疑問が創作のきっかけとなったと言っていたらしい。だからか本作では、鈍感系主人公なんてきっと裏でよこしまなことを考えているに違いない、そんなやつをイヤな目に合わせてやろう、と思ったかどうかは知らないけれど、序盤はそんな流れになっている。
しかしこの作品はそれだけに留まらず、彼が実は非常に友達思いであることが語られる。被害者ぶっていた女の子たちや親友の男の子もそのことに気づかされていく。図書室のメガネ地味女こと三色院菫子によって。
筋書がまるで作られたようにきっちりとしていて(そりゃ作り話だからなんだけど)、会話のやりとりが綿密に組み合わされていることにより、隙のない物語が練り上げられているんだけど、そのせいでどこか登場人物が演じさせられている感じがして、あまり思い入れることができなかった。
アニメは3話まででいったんきっちり話が終わるんだけど、ここでこの物語は終わるべきだったんだと思う。続きはいらなかった。少なくとも自分はそう思ったのでアニメを五年も放置してしまったんだと思う。
で今回このコミカライズ版とアニメ版を並行して続きを見たんだけど、新たな登場人物を加えてまた同じようなことを繰り返していたので、もういいかなと思って見るのをやめた。これ以上続いてもこのキャラの続きには興味が持てなかった。
原作小説はもっと自然に登場人物に思い入れできるんだろうか。でもここまできっちりした物語、作り上げられた脚本の中で、登場人物の自然な描写なんてできるんだろうか。少なくとも自分にはそうは思えなかったので、原作小説も読む気にもなれなかった。
正ヒロイン(?)のメガネ地味女こと三色院菫子が実は美人だという設定もあざとくてダメだった。また、主人公が自分を犠牲にしてでも友だちのために動く点も、どこか浮世離れしているというか、共感を妨げる理由となっているように思う。
絵はキャラクター原案を描いている有名絵師ブリキの特徴を活かしつつというかほぼそのままにマンガ表現も加わって表情豊かに描かれていてよかった。
というわけで、少なくともアニメ版の3話目、コミカライズ版の2巻目、原作小説の1冊目まではぜひ読んでみるといいと思うけれど、その後はお好みで。