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続 ものぐさ精神分析 笑いについて

岸田秀 (中公文庫)

最高(50点)
2007年11月14日
ひっちぃ

人類がネオテニー化による現実喪失から共同幻想を作って生理・社会生活を維持しているという精神分析学の理論をフロイトの延長線上に打ち立てて主張し続けている作者による70年代に流行した最初の一連の著作の後半部分から、笑いについて作者が述べた部分。

文庫本一冊ながら私の尊敬する先生によるバイブルと言っても過言ではない著作を一度に解説するのは重いのであえてこの部分だけ抜き出して説明する。

この部分は文庫本にしてたった8ページなのであるが、かつて笑いについて説明した有名な言葉をいくつも引いて反証し、最後に自分の考え方を述べている。

まずベルグソンは、人間という生き物が機械的に単純なことをするから面白いのだと言っているらしい。神父が屁をこくと笑えるのは屁が機械的だからだという説明らしい。だが屁をしても当たり前の人がしても全然面白くないから違うと言っている。

パニョルという人は優越感によるものだと言っているらしい。神父が屁をこくと神父が子供みたいに思えて優越感で笑うという説明だ。だが優越感がそのまま笑いにつながるなら子供を見ているだけでずっと笑えるはずだ。それに優越感が友好的な潤滑油につながることも説明がつかない。

フロイトは落差が笑いにつながると言っているらしい。神父が子供のようなことをするという落差が笑えるのだという説明だ。エネルギー状態が上から下になることによって吐き出される差分が笑いになるという考え方は当時の学問のトレンドに縛られすぎていると批判している。

一方で梅原猛は上下の差ではなくコントラストつまり純粋な違いからくるのだと言っているらしい。これだと子供が大人のフリをするという笑いも説明できるし、物まねが面白い理由も説明できそうだ。

これらを受けて作者は自説を披露している。曰く笑いとは「共同幻想(擬似現実)の崩壊または亀裂によって起こる、それが要求していたところの緊張からの解放」の表現なのだそうだ。

作者の持論として、人間は共同幻想によって外向けの役割を演じているというので、そこにはおのずと緊張を強いられる。この緊張が破られて弛緩することが笑いにつながり、だからこそ友好的な表現にもなるのだという。なるほど。もっともな説明だと思う。物まねが面白いのはこの説明だと他人の緊張を揶揄して破壊しているからなんだろうなと思う。

じゃあいわゆる「天丼」が面白いのはどういうことなのだろう。おんなじギャグを何度も繰り返しているうちに面白くなっていくアレである。うーん。緊張を破壊するためのギャグ自体を、お約束という新たな緊張に仕立て上げてそれを破壊しようとするからだろうか。わざとすべってウケを狙う手法もこういう風に説明できるのかもしれない。

人をおちょくる系の笑いが最近多いのとか、物まねが広くお笑いの中でメジャーな理由とか、結構説明できてしまうので素晴らしいと思う。ちょっと意地になって、この理論で説明できそうにない例を見つけて新たな説を打ち出したいようにも思うが、すぐには考えられなかった。

というわけでこの本にはこういう面白い文章がいくつもあって、私にとっては再読なのだが何度も感動した。この本は学問系の本では私のバイブルであり続けると思う。また時間が出来たら他の論文(?)も解説する。

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