ノンフィクション
政治・経済
金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った
安部芳裕 (徳間書店5次元文庫)
まあまあ(10点)
2009年10月3日
金融というしくみそのものが詐欺であり、そのしくみはユダヤ人一家ロスチャイルド家が作ったものだとして、彼らやその他の国際金融資本家たちが世界を動かしていると告発し、彼らの手口になるべく乗らずに世界を良い方向に持っていこうと主張している本。
自ら怪しさをエクスキューズするかのように5次元文庫と名乗っているレーベルの一冊。銀行家が大した努力をせずに儲けられるからくりは「利子」にある、という説明に惹かれて面白そうだから買ってみた。
銀行が果たしている重要な役割の一つに「信用創造」がある。銀行が自分で持っているお金だけでなく、預金者から集めたお金も一緒に誰かに貸し付け、その分も利子収入を得る。預金者がいっぺんに「やっぱり金返して」と言ってくると成り立たなくなるが、そんなことは普通はない。また、預金者へ渡す以上の利子を貸し付けた相手からもらうので、銀行は他人の金で何の苦労もなく儲けられる。と作者は言う。
その例として、これまで物々交換で成り立っていた閉鎖的な村に銀行家がやってきて、貨幣という媒体をつかって価値を交換しあうと便利だといって村人に貨幣を貸していく。10万貸すので来年までに11万返してください、もし返せなかったら家財道具を貰い受けます、と言い残して。
それから一年の間、村人たちは自分が借りた10万円を返すために、他の村人からなんらかの形でお金をもらい、自分のお金を11万円以上にして銀行家に返さなければならない。お金の量は限られているから、村人の中には逆に自分のお金を減らしてしまい、銀行家にお金を返せなくなってしまう人が出てくる。
一年がたって銀行家が戻ってきたとき、銀行家はこう言う。しょうがないのでまた来年まで待ちますが、そのときは12万円にして返してください、と。こうして銀行家は、労せずに村人からお金を取立て、お金を払えない村人からは家財道具を奪う。つまり、利子こそが銀行家の詐欺そのものだと。
この話、どこかおかしくないだろうか。
まず、事業を拡大するわけでもない村人もなぜか利子つきでお金を借りていること。決済のためだけなら利子は関係ないはずだ。現に銀行の決済口座には利子がつかないし銀行に万が一のことがあってもお金は守られる。
銀行家は本当に濡れ手に粟で楽に儲けられるのだろうか。もし私が村長だったら、一年後にやってきた銀行家に対して「お金は全部自分が独り占めした」と言って自分だけ11万返す。銀行家が他の村人からの返済の受け取りを諦めて家財道具を没収しようとしたら、それらの家財道具は既に村長の自分が借金のかたにもらって貸し与えているものなので村人のものではないと言って断固として渡さない。そうすると銀行家は村全体からたったの11万円しか受け取れず、村には沢山のお金が残る。そのお金は当然、外の経済系と物品の交換に使うので村は潤う。銀行家が何か言ってきたら言いがかりだといってはねつければいいだけの話だし、こちらには沢山の村人がいて武力があるので返り討ちに出来る。
こんな分かりやすい例を持ち出すまでもなく、銀行家からすれば貸し倒れの危険が伴う。貸し倒れの危険を考える労力その他が結局は利子の裏づけになっているわけである。もちろん銀行家がもたらした貨幣によって村人同士が便利に決済を行うことが出来るので、ちゃんと銀行家も役立っているからその分の手間賃はもらってしかるべきだろう。
じゃあ銀行家は悪くないのかというとそういうわけではなく、最初に言ったように本来有利子で借りる必要のない金を借りさせられている村人からお金を騙し取っていることは確かである。そしてそれは、日本という国が多額の国債を発行しながら運営されていることと深く関係している。国債は回りまわって国民自体が買っているのであるが、金融屋はそれに介在し寄生し多くの利益を得ている。
こうして本書は、ロスチャイルド家を始めとした一部のユダヤ人や国際金融資本家たちが、金融というしくみを利用して人々を支配しているということを主張していっている。都市伝説で有名になった芸人コンビのハローバイバイが最近テレビ東京のやりすぎコージーなんかでよくやっているフリーメーソンとかイルミナティなんていう話につながっていく。
よく陰謀論という言葉で片付けられてなかなか表に出てこない話なのだが、ネットの発達とともに人々のあいだでじわじわと知られていっているように思う。テレビで面白おかしくオカルトじみて放送されるだけでなく、こうして怪しいレーベル名を冠しつつも出版物として出るようにもなった。
じゃあこれらの話は本当かというと首を縦に振るには多少の抵抗がある。彼らがやっていることは経済活動の範囲内で行われており、それ以外の点については証拠に乏しい。また、陰謀を企てているかどうかなんて、本人たちの口から説明されない限り証明のしようがない。
ただ、いくつかの確たる事実はある。中でも一番大きな事実は、彼らが互いに姻戚関係を結んでいることである。私は立ち読みしかしたことがないのだが、それは広瀬隆の「赤い盾」という本にまとめられている。また、陰謀とは断定できないまでも、陰謀なんじゃないかと推測できる様々な事実が沢山ありすぎる。
という怖い話を知るための入門本としてこの本は一通り分かりやすくまとめられていて良いと思う。しかしガッカリなことに、この本の参考文献としてネット上にあるこの手の内容の有名サイトの名前が堂々と上がっている。書籍にする以上、裏づけは取ったのかもしれないが、その割にいままでどこかで読んだ内容ばかりのように思えるし、作者独自の視点が少ないようにも思う。
使われている写真が不必要に大きすぎる上に、大した必然性も感じない。プラザ合意を主導したジェイムズ・ベイカー財務長官、というキャプションでわざわざ文庫の1ページにでかでかとポートレートを載せる必要があるのだろうか。
内容と語りが野心的すぎる。題名を「金融のしくみは…」としているなら、もっと金融に絞って掘り下げて欲しかった。
でも私たちに何が出来るのかということを最後にポジティブに書いて結んでいる点には好感が持てる。暗くなりがちなこの手の話で、いたずらに無力感だけ抱いてしまうと困る。一部の人々がいくら陰謀をめぐらせたところで、残りの多くの人々が一人ずつちょっとしたことをやれば思い通りにはならない。陰謀の存否は置いておいたとしても、私たちがやるべきことをやればよいことに変わりはない。
自ら怪しさをエクスキューズするかのように5次元文庫と名乗っているレーベルの一冊。銀行家が大した努力をせずに儲けられるからくりは「利子」にある、という説明に惹かれて面白そうだから買ってみた。
銀行が果たしている重要な役割の一つに「信用創造」がある。銀行が自分で持っているお金だけでなく、預金者から集めたお金も一緒に誰かに貸し付け、その分も利子収入を得る。預金者がいっぺんに「やっぱり金返して」と言ってくると成り立たなくなるが、そんなことは普通はない。また、預金者へ渡す以上の利子を貸し付けた相手からもらうので、銀行は他人の金で何の苦労もなく儲けられる。と作者は言う。
その例として、これまで物々交換で成り立っていた閉鎖的な村に銀行家がやってきて、貨幣という媒体をつかって価値を交換しあうと便利だといって村人に貨幣を貸していく。10万貸すので来年までに11万返してください、もし返せなかったら家財道具を貰い受けます、と言い残して。
それから一年の間、村人たちは自分が借りた10万円を返すために、他の村人からなんらかの形でお金をもらい、自分のお金を11万円以上にして銀行家に返さなければならない。お金の量は限られているから、村人の中には逆に自分のお金を減らしてしまい、銀行家にお金を返せなくなってしまう人が出てくる。
一年がたって銀行家が戻ってきたとき、銀行家はこう言う。しょうがないのでまた来年まで待ちますが、そのときは12万円にして返してください、と。こうして銀行家は、労せずに村人からお金を取立て、お金を払えない村人からは家財道具を奪う。つまり、利子こそが銀行家の詐欺そのものだと。
この話、どこかおかしくないだろうか。
まず、事業を拡大するわけでもない村人もなぜか利子つきでお金を借りていること。決済のためだけなら利子は関係ないはずだ。現に銀行の決済口座には利子がつかないし銀行に万が一のことがあってもお金は守られる。
銀行家は本当に濡れ手に粟で楽に儲けられるのだろうか。もし私が村長だったら、一年後にやってきた銀行家に対して「お金は全部自分が独り占めした」と言って自分だけ11万返す。銀行家が他の村人からの返済の受け取りを諦めて家財道具を没収しようとしたら、それらの家財道具は既に村長の自分が借金のかたにもらって貸し与えているものなので村人のものではないと言って断固として渡さない。そうすると銀行家は村全体からたったの11万円しか受け取れず、村には沢山のお金が残る。そのお金は当然、外の経済系と物品の交換に使うので村は潤う。銀行家が何か言ってきたら言いがかりだといってはねつければいいだけの話だし、こちらには沢山の村人がいて武力があるので返り討ちに出来る。
こんな分かりやすい例を持ち出すまでもなく、銀行家からすれば貸し倒れの危険が伴う。貸し倒れの危険を考える労力その他が結局は利子の裏づけになっているわけである。もちろん銀行家がもたらした貨幣によって村人同士が便利に決済を行うことが出来るので、ちゃんと銀行家も役立っているからその分の手間賃はもらってしかるべきだろう。
じゃあ銀行家は悪くないのかというとそういうわけではなく、最初に言ったように本来有利子で借りる必要のない金を借りさせられている村人からお金を騙し取っていることは確かである。そしてそれは、日本という国が多額の国債を発行しながら運営されていることと深く関係している。国債は回りまわって国民自体が買っているのであるが、金融屋はそれに介在し寄生し多くの利益を得ている。
こうして本書は、ロスチャイルド家を始めとした一部のユダヤ人や国際金融資本家たちが、金融というしくみを利用して人々を支配しているということを主張していっている。都市伝説で有名になった芸人コンビのハローバイバイが最近テレビ東京のやりすぎコージーなんかでよくやっているフリーメーソンとかイルミナティなんていう話につながっていく。
よく陰謀論という言葉で片付けられてなかなか表に出てこない話なのだが、ネットの発達とともに人々のあいだでじわじわと知られていっているように思う。テレビで面白おかしくオカルトじみて放送されるだけでなく、こうして怪しいレーベル名を冠しつつも出版物として出るようにもなった。
じゃあこれらの話は本当かというと首を縦に振るには多少の抵抗がある。彼らがやっていることは経済活動の範囲内で行われており、それ以外の点については証拠に乏しい。また、陰謀を企てているかどうかなんて、本人たちの口から説明されない限り証明のしようがない。
ただ、いくつかの確たる事実はある。中でも一番大きな事実は、彼らが互いに姻戚関係を結んでいることである。私は立ち読みしかしたことがないのだが、それは広瀬隆の「赤い盾」という本にまとめられている。また、陰謀とは断定できないまでも、陰謀なんじゃないかと推測できる様々な事実が沢山ありすぎる。
という怖い話を知るための入門本としてこの本は一通り分かりやすくまとめられていて良いと思う。しかしガッカリなことに、この本の参考文献としてネット上にあるこの手の内容の有名サイトの名前が堂々と上がっている。書籍にする以上、裏づけは取ったのかもしれないが、その割にいままでどこかで読んだ内容ばかりのように思えるし、作者独自の視点が少ないようにも思う。
使われている写真が不必要に大きすぎる上に、大した必然性も感じない。プラザ合意を主導したジェイムズ・ベイカー財務長官、というキャプションでわざわざ文庫の1ページにでかでかとポートレートを載せる必要があるのだろうか。
内容と語りが野心的すぎる。題名を「金融のしくみは…」としているなら、もっと金融に絞って掘り下げて欲しかった。
でも私たちに何が出来るのかということを最後にポジティブに書いて結んでいる点には好感が持てる。暗くなりがちなこの手の話で、いたずらに無力感だけ抱いてしまうと困る。一部の人々がいくら陰謀をめぐらせたところで、残りの多くの人々が一人ずつちょっとしたことをやれば思い通りにはならない。陰謀の存否は置いておいたとしても、私たちがやるべきことをやればよいことに変わりはない。
(最終更新日: 2010年1月27日 by ひっちぃ)