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ニッポンの思想

佐々木敦 (講談社現代新書)

傑作(30点)
2010年2月21日
ひっちぃ

いまニッポンの思想と呼ばれているものは、戦前戦後の思想とはいったん断絶した上で、1983年に出版された浅田彰「構造と力」がもとで起きた「ニューアカ」というムーブメントの流れをすべて引いているのだという見方から、その後の90年代から00年代へと今に至るまでの日本の思想を独自にたどって見せた本。

正直私はこういったものに徹頭徹尾興味がなかったのだけど、この作者の姿勢とくに日本の思想を観客として外から見てきたままを平易につづるという点がとても好ましく思えたので買って読んでみた。この手のものを語る人たちというのは、いかに自分たちが重要なことを言っているのかということをウリにしているので、ある程度距離をおいてしかし親しみを込めて見つめ続けてきたというこの作者の視点は得がたいものだと思う。

その期待はたがわず、当時の日本の思想はファッションだったとぶっちゃけている。当時京大何十年に一人の秀才だと一部で評判だったという浅田彰が、海外の思想を土台に展開して書いた「構造と力」は、その難解さゆえに一般人にはほとんど理解できなかったであろうにも関わらず、まるで受験参考書のチャート式のような説明によって、思想を「理解した」と人々に思わせる力があったのではないかと言っている。それが一人の新聞記者によってニューアカ(ニューアカデミズム)という造語を与えられて大きなブームになっていった、というところまでを、当時の本人らのインタビュー記事などの資料からきっちり説明してみせている。

ではそんな浅田彰の思想とはなんだったのかという解説が作者によってなされるのだけど、読んでも私にはよく分からなかったw

現代思想を一言で言いかえればポストモダンになるらしい。っていうか「ポストモダン」って「現代」の単なる言い換えなわけだけど、要はよくわからない現代をなんとかして解きほぐそうという色々な試みすべてを指す言葉なんじゃないかと思う。その例として「クラインの壷」が本書では頻繁に挙げられているのだけど、外部が内部へ、内部が外部へ、無限に織り込まれる構造、なんていうような説明じゃさっぱり分からない。

それでもまだ比較的分かりやすい喩えを抜き出すと、たとえば善悪というものについて考えるとすると、そもそもそんなものが存在しない原始共同体、これが正義だこれが悪だと決め付ける古代専制国家を経て、みんな自分が正義だと思っているんだという相対主義まで来ると近代つまりモダンで、ここをさらに越えようとするのがポストモダンだ。中世の人々が相対主義なんて思いつかずに絶対主義に囚われていたのと同様に、現代に生きる私たちがよくわからない何かに捕らえられていてなんにも疑問を持たずに暮らしている中で、一部の人々がなんとかして殻を打ち破ろうと思いを巡らせている。それが現代思想なのだと。

本書はそのあと、浅田彰と同世代の中沢新一、それより上の世代の蓮實重彦と柄谷行人、90年代になって出てくる福田和也と大塚英志と宮台真司、そして現在日本の思想界で一人勝ちしていると作者が言う00年代の東浩紀までをざざっと解説している。作品か作者かというテキスト論や、自分は正しいと言っている人が自分の正しさを証明できない不完全性定理などのトピックに触れつつ、思想界に存在し続けるために避けて通れない商業性や、思想として存続するための土台である雑誌の話、思想界のプレイヤー(論客)同士のつながりなんかについて、比較的とりとめなく解説してみせたあと、ニッポンの思想の今後の展望について語って結んでいる。

正直私は最初この本を半分笑い飛ばしながら読む気でいたのだけど、読んでいるうちに日本の現代思想界について少し好意的になってきた。とはいってもまだまだなにわけのわからんこと言ってるんだという思いは強いのだけど、この世界にはこの世界なりのルールがあってそれに従って各プレイヤーが動いているのだということについて納得がいくようになった。

特に宮台真司に対するイメージがよくなった。ただでさえ研究者の恣意が働きやすい社会学という学問で、テレクラや女子高生などのミーハーなものを追いかけて適当なことを言っている茶髪の学者という浮ついた印象しかなかったのだけど、この人が社会学に興味を持つきっかけとなった学生時代の事件が興味深かった。この人は中高一貫教育の男子校に入学したのだが、入ってすぐに起きた「極悪非道な学校管理者を糾弾する高校紛争」が生徒側の勝利で終わったあとに学校が見るも無残に荒廃したらしい。

というわけで本書はこの分野を扱った本としては非常に画期的で面白い本だと思う。現代の日本の思想家たちを好意的に紹介して魅力を伝えながらも、作者自身のスタンスから少し批判してみせたり、それぞれの思想家の立ち位置の違いを独自に解釈してみせたりと、語り手である作者にも存在感があってそれが不快ではない。

ただこの本の根本的な問題として、間口がとても狭いこと、これはもうどうしようもない。この本をどういう人に勧めたらいいのだろう。それに、扱っている内容が難しすぎる。読んでいてモヤモヤすることが多かった。難解さ自体がウケる元になることもあると作者は言っていてまったくそのとおりだと思ったけど、じゃあそういうものを平易に解説しようとする本に果たして需要があるのかという心配も抱く。作者は随分損な役回りだったのではないか。

デリダやラカンなどといった海の向こうの思想家たちにつなげたらそれで大体分かってくれるだろうという姿勢も敷居が高い。また、扱っている内容にどういう必然があるのかという疑問が残った。結局この分野というのは、誰かが刺激的なことを言ったら別の誰かが反応することの繰り返しに過ぎず、それについて大局的に系統立てて説明するのは無理なんじゃないかと思う。ひょっとしたらこの分野は数年後には今の東洋哲学のような扱いを受けてマイナーになっているかもしれない危うさもあるんじゃないか。あとネットという巨大なメタ論壇に対してはどうするのか。

そんなこんなで結局私の感想としては、この分野に興味は持ったけど刺激は受けなかった。これは非常に大きい。ハッタリと言っては言葉が悪いけど、読んだ人間に刺激を与えるようでなければとても生き残っていけないと思う。ホリエモンや勝間和代などのアルファブロガーつまりネット上のオピニオンリーダーの位置に食い込まなければ細っていくばかりなんじゃないだろうか。80年代は頭の回転の速い浅田彰なんかがその役を演じきったというのだけど、そういう人が10年代以降に出てくるのだろうか。

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