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ノルウェイの森

村上春樹

最高(50点)
2007年4月22日
ひっちぃ

西洋文学が好きで現実感覚の希薄な主人公の青年ワタナベトオルが、心の壊れた三人の女性とふれあい内省の日々を送る物語。

本作は80年代のベストセラーで、作者の村上春樹はノーベル文学賞に最も近い日本人作家の一人と言われ、その作品は世界中で親しまれている。

本作は主人公の青年の一人称で語られている。この主人公はあまり自分で自分のことを分析して語ったりせず、控えめな性格をしていて一種の天然なので、彼と接触してくる登場人物たちは自分の考えを奔放に彼にぶつけてくる。主人公は控えめといっても頭の中で物事を冷静に考えており、それがポツリポツリと断片的に語られていくが、本作の重要なことは大抵他の登場人物が主人公にしゃべる言葉によって語られていく。

一人目の女性・直子は、高校時代の唯一の友人キズキの彼女だ。直子とキズキは幼馴染で三歳の頃から一緒におり、自分たちだけの世界を持って周りとあまり接触せずに過ごしていた。そこへ高校になって主人公が入ってきて三人組となった。直子と特にキズキは主人公のことを唯一の友人と思っており、そして主人公にとってもキズキはなんとなく唯一の友人だった。しかしキズキは突然自殺してしまい(ネタバレだが序盤も序盤に語られるのでこの程度なら問題ないだろう)、直子と主人公の二人が取り残される。

直子の抱える問題というのは、思想家・吉本隆明が言うところの対幻想だろう。直子は家庭的にも問題があったため、キズキとしか親しい関係を結べなかった。そしてキズキとの交際を通じて自分にとっての世界を見ていた。ところがキズキが自殺してしまったため、彼との対幻想を通じての世界観(共同幻想)が失われ、現実世界の中に自分の身を置くことが困難になった。そこで直子は、キズキ以外の世界との唯一の接点である主人公とのつながりの中で、なんとか現実の世界で生きていこうともがいていた。

現実というものは本作では『突撃隊』という変人のエピソードで代表されるような普通のくだらない笑い話なんかで過ぎていく平凡な日常を指しているのだと思う。将来国土地理院で働くことが目的だというこの地味な青年は、どもりで偏執的なことから寮での笑い話のタネになっており、主人公はたびたび彼のエピソードを会う人に話して笑いを取る。

二人目の女性・緑は、これまた家庭的な問題があるなどで、現実に違和感を感じながら生きていた。近所でたまたま起きた大火事を主人公と共にながめながらベランダかどこかで唄を歌うシーンなどで彼女のそんな性格が描写される。しかし彼女の症状はまだ軽く、一応パートナーがいてどこかで外の世界と折り合いをつけて生きていた。主人公は控えめで天然な性格をしているため、緑は主人公に対して素直に自分の感じたことを語っていき、主人公との関係を結ぶことで現実に生きようとする。

ところが主人公は主人公で現実とは浮いたところにいてしかも自分の問題に半分無自覚でいる。彼は文語や劇の台詞のような言葉遣いでしゃべる。そして自分を貫く論理(作中ではシステムという言葉で語られる)を持っていて、感情や情動に流されずに自分を律して生きている。主人公もまたキズキの死によって心にダメージを受けていて、それを論理で補って生きているのだ。主人公は自分について何も語らないが、作者は永沢という寮で一目置かれる頭のいい東大生を配して彼に色々と説明させている。ともかくそんなわけで、緑の現実的な想いや誘惑は主人公の理性にさえぎられて届かない。

と小難しく私の解釈を語ってきたが、この作品は本当に読み口が軽くて読みやすい。最初に直子との回想シーンがあって何を言いたいのか頭を使うが(まあ本作のモチーフが語られているわけだが最初はそれと気づくはずもなく)、その後は主人公が大学に入ってからや高校での出来事が淡々と描かれる。以前読んだ「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と比べると随分平易だ。

普通の青春小説みたいな感じ。セックス描写が割とある。そして作り話の妙というか、案外普通のちょっと変わった出来事が淡々と語られるだけなのだが、小説の魅力をどのページからもまんべんなく感じる。本作は単行本と文庫本あわせて800万部近く売上げたらしい。活字を読む人間にとってある程度普遍的な問題(?)である現実喪失感を扱っていることに加え、精神病というちょっと刺激的なテーマを扱って心の病んだ女性を耽美(テーマを理解できない人にとって)に描いていることも人気の理由なんじゃないかと思った。

ユーモアにあふれている。主人公や登場人物が嘘や冗談を真面目な態度で言う。とても淡々としてシリアスな雰囲気なのに、私は幾度となく声に出して笑ってしまった。こんな種類の笑いを小説から得られるとは思わなかった。

私は結末にある程度納得できた。なぜ直子が主人公のもとを離れたのか。直子はレイコという同室の女性とうまくやっていたのに、なぜ主人公との関係をたもてなかったのか。作中にはいくつか断片的に語られているが、はっきりとは語られていない。心の問題はそう簡単には分からないものだと言っている。そしてレイコの過去語りに重要な示唆がある。というか多分答えそのものがある。これで納得するかどうかは人それぞれだけど。

そもそも現実喪失感という問題に対する答えは既に定まっており、その答えに対しておのおのの人がどのように受け止めるのかという問題だけが残っている。私自身はこの問題に対して非常に割り切った考えを持っているため、もうあまり悩んでいないし、真剣に悩んだことすらないような気もする。だからあまり実感を込めて言うことは出来ないが、本作は現在進行形で現実喪失感という問題に悩んでいる人にこそ読んでもらいたい最高の小説のひとつだと思う。

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