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嫉妬の時代

岸田秀 (文春文庫)

最高(50点)
2008年6月15日
ひっちぃ

飛鳥新社の編集者が精神分析学者・岸田秀に「嫉妬」をテーマに身近な事件を分析する企画を持ち込んで書かれた本。

文春文庫が岸田秀の著作を文庫に収録している二冊目の本。いまは九冊ぐらいある。いま本屋には新しい方から三冊目ぐらいまでしか置いていない。私はこの本をブックオフで105円で買った。

あとがきで作者が正直に書いているように、私も最初は目次で三浦和義事件とかの章を見たときはあまり期待していなかった。この事件が大いに盛り上がったのは週刊文春の特集記事によるところが大きいらしく、最近また三浦和義がアメリカで逮捕されて事件が再審理されることになったことでまた事件のあらましなんかが週刊文春に書かれていたのを読んだが、どちらかというと事実関係を書いて疑惑を強調する感じの記事だったのでそれほど特別な印象は受けなかった。そのなかで作家の林真理子が不思議そうに、当時はあれだけ騒がれていて日本全体が熱狂していたのにそのときの雰囲気を誰も説明していない、と自分で筆を振るって簡単に解説していたエッセイがとても参考になった。

三浦和義事件の章で書かれているのは、要は国民の多くが三浦和義を嫉妬した、ということだ。若くして大金を稼ぎ、配偶者と別れたくなったから殺した(と思われた)、新たに若い美女を得た、という非常に羨ましいことを何の悪びれもなくやっていたことに。そして嫉妬について考察する序章として、そもそも嫉妬とは自分がやりたくても抑え込んでいるものを他人に投影していることで起こる感情なのだと説明している。そのような圧力は社会がもたらしている。神がいなくなったことで理性を絶対視して社会を成り立たせなければならなくなり、「正常者」はかくあるべしという像ができ、そこから外れる行為を社会が抑え込んだ。このとき精神異常者や子供といったそのままでは社会の構成員になれない存在を隔離した。とまあこんな感じか。

神がうんぬんと言われると煙に巻かれたような感じがしないこともないが、今は昔よりも非寛容になっているのは確かであり、昔はみんな神の子であるか大自然の一部だったんだろうから、存在自体を否定されることはなかったと思う。

昔は大人も子供もなかったと言うのは、西洋では子供は小さな大人だと考えられていたこととか、日本でも子供が普通に働いていたことから言えるのだと思うが、じゃあ日本で少なくとも江戸時代以降、子供をやたらと甘やかす文化はどうやって説明するのだろうか。甘やかしても社会に不適合になるだけだと思うのだがどうだろう。

次の戸塚ヨットスクールと戦後教育の章も大体似たような構図になる。子供をぶん殴りたくても殴れない警察権力が、それを平気でやってある程度支持までされている戸塚に嫉妬したと。警察権力の嫉妬ってのは無理がないだろうか。だってちゃんとこの事件は法で裁けるのだから。表には出てこないが、捕まえた犯人に対してある程度のことはやっていると考えられているし。この本の中か別の本か覚えていないが、別件逮捕とか拘留なんかができるから法律は国民感情や検察のプライドなどの別の意図で柔軟に無節操に運用されているとも書いている。

ほかに作者の教育論が語られていて興味深い。教育は子供を社会に適合させるためのダーティで必要悪な行為だと言っている。それを「おまえたちのためにやっている」という美名のもとで教師が子供を抑えつけているから、子供が混乱しておかしくなる。子供も好きなときに学校を休めるようにすべきだ、と主張しているところが面白い。

豊田商事の章は、詐欺(マルチ商法)は資本主義(マネー・ゲーム)を構成する中ランクの行為に過ぎない、というような衝撃的な指摘が引用されている。資本主義の最下層はメーカーで、その上が流通業、さらにその上が金融(ペーパー商売)、その上にマルチ商法みたいな詐欺がきて、そのまた上に相場の世界があるのだと、豊田商事の永野一男が言っていたそうだ。金融と相場を分けた意味とか、なぜその間にマルチ商法を入れたのかがよく分からないが、上へ行けばいくほど騙し合いの世界になるという意味ではそんなに間違ってはいないと思う。金融商品をロクな説明もせずに売りつける行為に歯止めを掛ける法律ができたが、この事実を見てもマルチと大した違いはない。豊田商事の「純金ファミリー契約証券」と「日本銀行券」や「預金通帳」の違いはどこにあるのかというのも、いままで幾度も言われてきたことではあるが重要な指摘だ。

つみき崩しの章は、結局親の矛盾が子供を混乱させていることが不良の原因だと言っている。親は自分が夜遊びや放蕩をしてきてそれをなんとも思っていないのに、自分の子供にはそれを堅く禁じている。これは子供が親を理性的に「ズルい」と思うという問題ではなくて、文字通り子供は親を見て育つ中で、自分の行動規範として身についたものがその主から否定されるという混乱から起きるのだそうだ。しかもあくまで親は自己正当化する。つみき崩しの場合、なんと親が本を出して、自分がいかにうまくやったのかを広く語っている。この親の「物語」を受け入れられない子供は、結局また悪いことをして台無しにする。私の世代だとつみき崩しの話はピンとこないが、三田佳子の次男の話も似たようなパターンなのかなと思った。最後に人間は自己正当化する生き物なのだからすること自体はしょうがないけど他人と共有化しようとしないほうがいいと言っている。

いじめ自殺報道のはしりとして有名な鹿川君事件は、ようやく私にもリアルタイムの報道を見た覚えがあり実感のある話だった。マスコミの報道は表層的だったと思う。この章では宮川俊彦という人の書いた著作から多くを引いて分析してみせている。いじめる側にもいじめられる側にも原因があるがここではいじめられる側の原因に絞って書くと断っている。「鹿川君」やその父親の異常性がここまで明らかに説明できるものなのかと驚いた。彼は自分を弱い人間だと思っており、強い人間になりたいと思っていた。だから強い人間に自分を重ねあわそうとして不良っぽいことをやったり、強い人間に擦り寄っておもねっていた。一方で自分を弱い人間とは思いたくなかったので、使い走りで釣銭をごまかしたり、本当の自分じゃないんだと自らに言い聞かせた。

自殺に至る理由を分析していてそこが素晴らしいと思った。人が自殺するには積極的な理由が必要である、それは一つの物語になる、その物語が作られたときに人は自ら死を選ぶ、という三段構えである。彼の場合、いじめっ子を諌める物語が作られた。それが多分自分を保つために一番良かったのだろう。だがこの物語を実現させるには、自殺して遺書に残すぐらいしか方法がなかった(と本人は思った)、ということだそうだ。読んで大いに納得させられた。現在の日本が抱える自殺者年間三万人も、ただ生活が困窮したぐらいじゃなく、そこへ至る物語が各々にはあったからだろう。昔の武士じゃないけど、死んで自分の意志の強さを周りに伝えたいと思う人が多いんじゃないだろうか。なぜ日本にはこんな文化があるのだろう。

写真週刊誌が芸能人のプライバシーを暴いたり死体写真で売り上げを伸ばしたことを扱っている。芸能人の話は要はこれも嫉妬で、特に最近の芸能界は一般人との敷居が下がっているから特に人の嫉妬心を煽るのだと言っている。死体については戦後の日本がことさらに死を隠蔽したことの裏返しだと言っている。作者がやたらと芸能人のプライバシーを擁護している点には違和感があった。作者が言うには、いくらプライバシーを切り売りしている芸能人でも、本当に隠しておきたいことまで暴いていいわけがないのだそうだ。ストリッパーが劇場で裸を見せて商売にしているからといって、プライベートで街を歩いているときに服を剥いで素っ裸にしていいわけがないのと同じだと言っている。しかしこれは例が不適当である。だったらわざとプライバシーを公開して話題性を集めている芸能人たちは「この記事では自ら望んでプライバシーを公開しています」と広く言うべきである。それを言わないから自分勝手だと言われるのである。自分勝手だなんてまだ生易しい。はっきり詐欺と言って良いと思う。それでお金を稼いでいるのだから。

最後に編集者とのQ&A形式で嫉妬についてのまとめをしている。この章はこれまでのまとめなので繰り返しが多い。面白いのは、Qの側の編集者が途中から半分キレていて、Aの側の作者がちょっと押されているところだ。普通こういった内容の本での対話とか解説というと作者の主張のほぼ全面肯定が多い。特に内容の難しい本ならなおさらである。しかしここでQの編集者は読者の側にたって、ただでさえ怪しい精神分析の説明に突っ込みを入れている。Aの作者が難しい説明をすると「どうもよくわかりません。もっとくわしく説明してください」。根の深い問題の話に波及してしまってAの作者がそれは別の機会にしようと言い出すと「いや、聞きたいですね。」と回り込む。真面目な対話なのだが読んでいて笑ってしまった。

ついつい長く書いてしまった。この作者の本の中では、特別に何か新しいことを言っているところは少ないが、具体的なケーススタディがあってとても分かりやすい内容になっている。精神分析のことをうさんくさく思っている人に特に良い本だと思う。それに、私は既にこの作者の本を何冊か読んで既に心酔しているのであるが、それでもこうやって一つ一つの問題に適用していっているところには幾度も感動を新たにした。

それと、子供の頃からの様々な体験やなにかは決して消えることなくただただ積みあがって人格を形成し、あとから組み替えたりすることはできない、という原則めいた考え方はこの本で初めて聞いた。精神分析の世界では当たり前すぎて作者がいままで書かなかっただけなのか。嫉妬というテーマ自体よりもそのことが重く伝わった。

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