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お金儲けは「感謝集め」

勝間和代 (産経新聞 人生戦略の立て方 2009.8.22)

いまいち(-10点)
2009年8月23日
ひっちぃ

お金についてオープンに語るのが「はしたないこと」だった時代は去り、いまは考え抜いて金儲けすることがみんなの幸せになるのだと主張している短文。

これは理屈としては正しいが現実には間違っている。

お金ってのは汚いものではない。人間同士の価値の交換に介在させて潤滑に行うための媒体であり、世の中の発展には必要不可欠のものだ。みんなが欲しがっている価値を提供すればその分だけお金を多くもらいやすくなるから、お金儲けが「感謝集め」であるという作者の主張はまったくそのとおりだと思う。

こうしてみんながお金儲けに走れば走るほど世の中は豊かになる。…本当にそうだろうか?

この消費社会では、必要ないものまで消費者に欲しがらせて買わせようとする。そのために人々はより労働に駆り立てられていく。ブランド品を買うために食事を抜いたり生活レベルを落としたりする人がいる。

本来必要でない仲介が絡み搾取される。先の例とも絡むがテレビなどで宣伝されるものほど売れるので広告屋が儲ける。ここ数年で派遣業者がかなり増えたが、なぜか競争原理が働かずに派遣労働者から搾り取っている。企業の競争を煽った結果、法廷で争うことが増えて法曹業界を儲からせる。経営層同士の馴れ合いで経営者の報酬は上がっていくのに、労働者の給料はお金儲けのためにどんどん削られていく。風俗などの商売にはヤクザが寄生する。

いまお金儲けのことを考えてみると、本来ならば人の需要を満たすようなサービスを提供することで自分も他人も幸せになるものを考えるべきなのだろうが、そんなものはなかなかないのでどうやって人を騙すのかということに行き着いてしまう。便利なものを提供するのではなく一見便利だけど全然大したことのないものを売りつけたり、おいしいものを提供するのではなく話題づくりをしてあたかもおいしそうなものを見せて人を呼び込む。

これらのことを分かりやすく一つの原理にまとめるとこうなる。騙される人がいる限り、お金儲けは人々を幸せにしない。どんなに国が規制しても必ずその目をくぐって人を騙す人がいる。騙すとまではいかなくても、人の判断ミスを巧妙に誘うなんてことはそこかしこにいくらでもある。世の中の全員が抜け目なく騙されずに金儲けにいそしむなんてことは絶対にありえない。それに市場が成り立っていないと買い叩かれたり売り叩かれたりする人が出てくる。もっとも頭のいい証券取引市場ですら各プレイヤーは平等ではない。

食費を節約するために、たとえば家で弁当や水筒にお茶を入れて持って行くとする。すると、せっかくプロが考えて作った料理や、いつでもどこでも手軽に色んな味が楽しめる缶ジュースの価値を否定することになる。本当はみんなおいしいものを飲み食いしたいのに、お金にシビアであるために渋くなる。これでは経済で世の中がよくならない。みんなお金に余裕があれば外食だってするし、ぬるくて微妙な味のお茶を飲まなくてよくなるし、外食産業に雇用が増えるのに(飲料の方は機械と輸送ぐらいで大して雇用は増えないかも。

いつもお金のことを考えて仕事に身が入らなくなる人たちが生まれるぐらいなら、お金のことなんて考えずにみんな仕事に専念したほうが世の中がよくなるんじゃないだろうか。といっても必ず抜け駆けする人が出てくるのでどうしようもないのだろうか。以前だったら、抜け駆けした人でもそんなに多くは儲からなかったから良かったのだが、努力に報いるべきだという主張が近年強くなって格差が広がっていった。

ものすごくお金を儲けている人は本当にその分の労働をしているのだろうか。難しいことや人がやりたがらないことをやっているのだろうか。自分たちの仕事をさも価値のあるものに見せかけているだけではないか。そのための努力はまったく世の中のためになっていないどころか、地道に世の中に貢献している人々から回りまわって吸い上げている。

にわかには信じがたいことかもしれないが、ここ最近は様々な経済的価値が見放されていっているように思う。その先端を走っているのはコンピュータソフトウェアで、合法的なフリーソフトウェアから、違法なコピーまで世の中に広く浸透している。書籍もたった105円で新刊より面白い本はいくらでも中古で手に入る。テレビだって最近広告の効果が疑問視されているのは視聴者が踊らされなくなっているからであり、実質的に番組をタダ見しているからである。人々はインフラ代を払って携帯電話を利用しているが、もっぱら友人たちとのコミュニケーションを楽しんでいるのであってこれも基本タダ。その分だけ他の娯楽に対価を払わなくなってきている。

世の中には儲からないけど成り立っている商売がいくらでもある。小説家だって一部の人を除いてあんまり儲からないらしいけれど、彼らは儲からなくても作品を書くと思う。必ずしもみんなお金のために働いているわけではない。ボヤきながらも素晴らしい作品が日々作られている。夢がないから儲かるようにすべきなんて言うけれど、技術者が儲からない日本が技術立国になっているのをどうやって説明するのだろう。

もしこの動きが加速していったらどうなるか。みんなお金を儲けたくなくなる。現に私はお金を使った娯楽にほとんど興味がないし、私に限らず結構多くの人がそういう考えになってきている。そうすると必然的に、経済的価値のあるモノを産む人々が減っていく。するとたとえばン千万とか値がつくような芸術品を作る人たちが減る。おいしいものを作る人も減る。大金持ちが自分の持っているお金と交換できる価値が世の中からどんどん失われていく。一方で経済的価値がゼロでありつつ優れた芸術が広く流通する。それを誰もが楽しめるようになる。富を独占しようとした人々は足をすくわれる。まあ海外で儲けて海外で消費すれば良いのだけど、そのうち海外に売るものもなくなっていくだろうから、全部外でやって日本から切り離されるといい。

でもそうなるとたとえば美少女を全国から探してきて映画を作る、なんてことも成り立たなくなってしまうか。でもこれはむしろ良いことでもあると思う。国民的アイドルみたいな美少女がいなければ、男どもは自分のまわりにいる女の容姿をそれほど気にしなかっただろう。アイドルしか愛さないような人も生まれない。それに、お金が絡まないと美少女が集まらないかというとそうとは言えず、それどころかアダルトビデオの出演料が下落し続けているにも関わらず出演希望者は増えていて、女性の質は下がることを知らない。これをお金儲けへの執着と見るか、見せたい願望と見るかは判断しにくいところではあるが。

最後に結論を言うと、お金儲けに走ることは、大金持ちの奴隷になるようなものだということ。いくらお金儲けが「感謝集め」になったとしても、その感謝は結局は大金持ちへの奴隷労働が原資になっているということ。あなたが「感謝集め」をするよりもずっとずっと効率よく大金持ちたちはお金を集めていくのだから。その気になればイタリアのように半分を表の経済活動に出なくしたり、ロシアのように家庭菜園で最低限の食をまかなうような文化を作ればよい。

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