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ピカソは本当に偉いのか?

西岡文彦 (新潮社 新潮新書)

傑作(30点)
2013年3月9日
ひっちぃ

まるで子供が描いたように見える絵がものすごい高値で売買されていることで不思議に思われることの多い画家ピカソが本当に偉いのかという素朴な疑問に対して、美術史だけでなく世界史の大きな流れやピカソ個人の人となりを紐解いて解説した本。

作者は多摩美術大学教授の西岡文彦という人。版画家とある。よく知らない。知人が人に勧められて面白そうだったから図書館で借りてきたというので、ついでに自分も読ませてもらった。

第一章の題名が「絵画バブルの父」とあるように、作者はピカソのことをバブルに乗っかった人と見ている。西洋史を紐解いて丁寧に説明してくれているのだけど、一言で要約すると成金アメリカ人が文化を買うために買いあさって値段を吊り上げたということになる。

しかしそれだけならピカソ以外にも同時代の画家が沢山いる中でなぜピカソなのかという説明になっていない。作者はピカソについていくつかの理由を挙げている。

まず小さい頃から英才教育を受けていた秀才だった。私も知っているぐらいだから有名な事実だと思うのだけど、ピカソはヘンな絵だけでなくとても写実的な絵もいっぱい残していてすごくうまいらしい。さらに、ヘンな絵のように見えても、デッサンを勉強した人ほど線の一つ一つに驚嘆するらしい。

すごくカリスマ性のある人だったらしい。それは絵を買ってくれる画商に対して大きな効果を与える。最初に心酔させた画商マニャックとは同棲までしている。ほかにも、目力があるだとか、感情で人を振り回して支配するだとか、人間的な魅力(?)のある人だったと言っている。

それだけでない。画商との交渉前に、自分のマネージャと繰り返し入念な打ち合わせをしていたらしい。マネージャを画商に見立ててロールプレイングまでしていたというから、これはもう天然だけではなく徹底的に交渉の達人だった。自分の中のピカソ感が大きく転回した。

派手な女性遍歴についても結構ページを割いている。ピカソは女性のことを「苦悩する機械」と考えていたらしく、女を困らせるためなら少々込み入ったことまでやり、創作の糧としていたようだ。今カノと元カノを鉢合わせてケンカするのを見るのは最高だと言っていたり、今カノの前で元カノの話をして嫉妬を煽ったりしていた。

一方の時代背景についてなのだけど、レオナルドダヴィンチなどが活躍したルネッサンス期の芸術家はまるで技術屋のような扱いだったというところから始まり、どうして芸術家がいまのようにもてはやされるようになったかということを時代をたどって説明している。

ミケランジェロが教会の依頼で描いた巨大な壁画や天井画は、面積ごとの単価で言えば看板職人のような扱いの報酬しか受け取っていなかったらしい。染料などの画材が占める割合も高かったので、純粋な絵の価値はほとんど認められていなかったことになる。

芸術家のパトロン(出資者)であった教会が宗教改革により、王侯貴族が市民革命により没落したあとは、市民のために静物画や生活の風景なんかを描くようになった。しかし、新たに勃興したブルジョア階級つまり大金持ちのために絵を描くのを是とせず、ボヘミアンつまり今日の変わり者の芸術家像というものがもてはやされるようになる。

絵画の潮流に大きなインパクトを与えた出来事として、写真の存在が大きかった。そりゃそうだ。いままで写実的つまりリアルさを求めて発展してきたのに、リアルそのものを切り取れる写真が出てきてしまったのだから、絵画は存在を否定されそうになる危機に見舞われた。しかし結局それは印象派によって打破される。絵画はリアルさを離れ、心象風景だとか、現実以上の現実性の方向を目指すようになる。

また、絵画の存在目的も変わってくる。教会は宗教を題材にしたエピソードを描かせることで人々に信仰を浸透させ、王侯貴族は自分たちの肖像画を描かせることで権威づけをさせ、市民は自分の部屋に飾って見て楽しむ絵を欲したが、そんな実用性とは切り離された純粋な芸術品というものが、美術館の誕生とともにもてはやされるようになる。

ピカソの代表作と呼ばれる「アヴィニョンの娘たち」は、ニューヨーク現代美術館(MoMA)の初代館長が自分たちの美術館をアピールするために買い付けたらしい。同世代の作家や批評家から困惑されたこの作品は、こうして価値を認められていった。

で、結局ピカソは偉いのか?という問いに対して、最終章でこれまでのおさらいとまとめを行っている。とても丁寧で分かりやすかった。絵はたしかにうまい。ものすごい高値がつくのは画商が値段を吊り上げたから。ここまでの結論はいい。じゃあ、これは芸術として価値があるのか?作者はここに至ると、それは考え方次第だと言っている。なるほど、それは妥当な答えだと思う。

ダーウィンの進化論の影響にも言及している。それまでの人々は宗教的な価値観を持っていて、それはルネッサンスという言葉が復興を意味していることからも言えるのだけど、進化論によって変化こそが良いものだという考え方が浸透していった。最初の前衛絵画と言われるマネの「草上の昼食」が論争を巻き起こしたのはダーウィンの「種の起源」が出版されてから四年後らしい。ちょっと終盤説明を雑多に詰め込みすぎているようにも思えるけれど、ほかにいくつか散発的に作者の見解が述べられている。現代美術とは、実用的価値を排除した、純粋な芸術とやらを抽出して発展させる試みだと言え、その中にピカソがいる以上、ピカソの価値を語るにはその文脈で語る必要があるということだ。

あとがきで作者はピカソのことをミダス王のようだと言っている。自分の吐いた唾ですら高値がつくと奢っていたピカソが、死ぬ前年に残した自画像は、とても暗い表情をしていた。晩年に近い自画像は画家の集大成と言われるほどその人そのものを示すのだそうだけど、であればピカソは金銭的にも名誉的にも女性遍歴的にも大成功を収めたけれど、幸せな一生ではなかったのではないかと言っている。これは作者の見方であり分かりやすくて読者に受け入れられやすいとても商業的な結論だと思うけれど、書くべきではなかったと思う。

最後に一つ個人的にとても興味深かったところを引いておきたい。美術批評が新聞の人気記事だったこと、そして文豪ゾラや詩人ボードレールは近代美術批評の先駆者だったそうなのだけど、彼らが有名な作家だったから執筆を依頼されたのではなく、まず美術批評で名を成してから小説なり詩を書くようになったらしい。作品を批評する資格があるのは誰か?という論争のいい材料になりそうだ。ここでは深く突っ込まないけれど。

面白かったけれど、自分が読もうと思って選んだ本じゃなかったせいか、途中で興味が続かなくなって読み終わるのに時間がかかった。でも読んでよかった。読者にやさしく教養にあふれた分かりやすい良書だと思う。

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