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    岡崎久彦 (読売新聞「地球を読む」 2002年11月18日)

    まあまあ(10点)
    2002年11月22日
    ひっちぃ

    集団的自衛権で自縄自縛になっている日本がまずやらなければならないのは、対米自立などという感情論ではなく、日米同盟を守ったままの協調であると主張した文章。

    対米自立を主張するアホ論者が冒頭に出てくる。私が「アホ論者」と言ったのは、著者の岡崎久彦なら多分こいつはアホなんだと言いたいのだろうなと思ってのことだ。この論者は、対米自主を主張するわりには、一方で日米同盟という現実的な選択を肯定しているのだそうだ。

    こういう人に対して著者は以下の質問を投げたいのだそうだ。

    「外交の目的は日本の国家と国民の安全(独立と自由を守ることを当然含む)と繁栄を最大にすることにある。貴方は国民の安全と繁栄の一部を犠牲にしても対米自立したいのですか?」

    そうすると大体このような答えが返ってくるのだという。

    「そんな事まで言っていない。ただあまりにもアメリカべったりではないか。」

    実際にこういう質問を投げたらこういう答えが返ってきたという風には書いていないので、単に想像しているだけなのかもしれないが、十分ありうる話だ。

    こういう人に対しての著者の意見が面白い。それなら国連とかでアメリカに反対票を入れて欲求不満を解消すればいいではないかと。思わずこれを読んで笑ってしまった。身も蓋もない言い方だが、これは真実を突いている。

    しかしそんな著者の言い分も、ある前提が十分に成り立っている状況でしか成り立たない。著者は当たり前のように言っているが、対米自立して「国民の安全と繁栄の一部を犠牲」にするのがそんなに悪いことなのだろうか。それに対米自立することで日本がよくなる部分については全く考慮に入れていないではないか。

    これを卑近な理由に当てはめて考えるとよくわかる。パラサイトシングルつまり独身で親のスネをかじっている人たちがいたとする。彼はこう言った。

    「私たちが親元にいるか自立するかを決めるポイントは、安全と懐具合を最大にすることにある。貴方は安全と繁栄の一部を犠牲にしても親から自立したいのですか?」

    「そんな事まで言っていない。ただあまりにも親にべったりではないか。」

    親が財力を失ったらどうするか。親からいつまでも小言を言われ生活を縛られるのはいいのか。アメリカに追従してばかりでは困る。俗っぽい例を挙げると、アメリカが今世紀はかつてのナチスドイツのような国家になったと評価される時代がこないとも限らない。そんなとき自らの命運を選ばなかった日本はどのように評価されるのか。

    国として避けられない犠牲は払わなければならない。

    最後の方にも面白いことを言っている。日本は集団的自衛権をこれだけしか行使できない、ということをアメリカに伝えて分かってもらうこともやり方の一つだと言っている。ただしこんなやり方は恥ずかしいのでやりたくないという。確かにこれは恥ずかしい。では対米自立しないのも恥ずかしくないのだろうか。安全や繁栄と、自立や羞恥、これらを量りに掛けて、安全や繁栄を取ったかに見える著者の意図がよくわからない。とことん恥ずかしくてもいいはずではないか。

    一点非常にいい視点があった。日本はアメリカではなく国連決議に従うべきでそれが日本の自立なのだ、という主張はおかしいと著者は言っている。国連安保理の常任理事国たとえば中国なんかが反対すればそれだけで日本の方針も変わってしまうのだから、そんなものは自立でもなんでもないのだ。さてそうなったとき、日本がアメリカに協力すべきかそうでないかを決める有力な根拠として何が残っているのだろうか。ヒューマニズムぐらいしか残っていないようでは日本の自立は程遠いだろう。

    [参考]
    http://www.glocomnet.or.jp/
    okazaki-inst/
    jusiraq.html

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    manuke.com