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    神林長平 (ハヤカワ文庫)

    傑作(30点)
    2008年5月16日
    ひっちぃ

    大戦争後に汚染された火星の地表に住めなくなった人類が細々と地底都市で暮らしている一方、汚染の中でも暮らしていける人間そっくりのアンドロイドは地表に大都市を作って繁栄していた。安全だが味気なく閉塞した社会で過ごす人類は、生活の糧や楽しみまでもアンドロイドに依存するようになっていた。みじめな人類と不敵なアンドロイドたちとのほころびは、アンドロイドの間でささやかれる終末思想とあわさり、やがてその日へと近づいていく。

    火星三部作と呼ばれるシリーズの最初のこの作品は、作者の神林長平が追及するテーマの一つである人間とは何か機械とどう違うのかということを突き詰めているらしいのだが、読んでみたらどちらかというと人情味のあるあたたかい(?)作品だった。設定はこれ以上ないほどSFなのに、語られていることは実は私たちが普段暮らしている生活の本質をえぐりだしている。

    まず最初に地底で暮らす人々の中から何人かをピックアップしてシャッフルされて物語が語られていく。牛乳工場で働く男は、人間がやらなくてもいいようなつまらない仕事を時間を掛けてやって収入を得ていた。しかもその牛乳というのは実は牛乳ではなくて、発がん性のある天然素材を一切使っていない人工的な食品を幻を見せる機械でそれっぽく見せているに過ぎない。緑色の無味無臭の液体が、機械に掛かればむせ返るような匂いの白い牛乳に感じられるようになる。

    人類は物資の多くを地表のアンドロイド社会からもらっている。アンドロイドは決して人間には逆らわないが、無力な人間をモグラと呼んで軽蔑している。アンドロイドたちは安全ではない環境の中で活き活きと働いて高度な社会を作っている。人間社会からあぶれたものたちが出稼ぎに行き、ドールと呼ばれる外貨を得るが、人間社会の元締めがそれをピンハネして物資の購入に当てて豊かな生活をしている。

    あからさまなSF的舞台の上に、没落はしているがごく普通の人間社会を描いていて、しかもそれが現代人の私たちを皮肉っているという見事な三重構造である。

    途中、人間と一見変わらない生活を送っているアンドロイドのことを考察することで、人間とはいったいなんなのかということを思索していく。アンドロイドは造物主たる人間に奉仕するために生きている。じゃあ人間は何のために生きるのか?人間も自分たちの造物主のために生きているのか?造物主は何を望んでいるのか。もし死ねと言われたら死ぬのか?みたいな。ちょっと意訳しすぎたか。

    生きる意味なんてものを深く考えるなんてことは私はしたことがないが、きっとそういうことを考えている多くの人に作者は疑問を突きつけているのだと思う。特に絶対神を信じるヨーロッパやイスラムの人たちはどう思うだろうなあ。

    物語はこの世界の衝撃的な真実と、主人公のうちの一人を欺く冷酷な真実があかされて終わる。まあちょっと私にとってはいまさら感もあるのだけど。

    濃厚な物語がいくつも重層的に語られている。中には絹子の話のような微妙なのもあるが、どれも簡潔でテンポがよく引き込まれる。

    だがやはりこれは言っておかなければならないが、この人は男女の愛というものの捕らえ方がおかしい。感覚的にズレているのか、捕らえたくても捕らえられないのか。題となっている「あなたの魂に安らぎあれ」という言葉と、アンドロイドの老人とその孫のエピソードで語られる愛は感動的だが、それ以外の男女の愛の形が空虚でどれも消化できない。そのせいで作品が中途半端な感じさえする。非常にもったいない。それとも想像で補えというのだろうか。

    アンドロイド社会の権力者・守屋の描写も重要なところが欠落している。最後は何かもっとしゃべって欲しかった。

    登場人物たちが演じる幾多の物語も、そうしてみてみると感情を含めた事実を積み重ねているだけで、何かが欠けているようにも思えてくる。これは読者が想像で補わなければならないのだろうか。

    とまあ文句も言ってしまったが、この作品は噛めば噛むほど良い味がするというか、読者が思い入れれば思い入れるほど輝く名作だと思う。登場人物たちはきっとこう思ったんだろうなあと想像する余地が多いので、安易な描写に流れる安っぽい小説にうんざりしている人には特に勧める。

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