ノンフィクション
政治・経済
国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて
佐藤優 (新潮文庫)
傑作(30点)
2008年8月6日
鈴木宗男に連座して逮捕された外務省のロシア専門家のノンキャリ職員佐藤優が、逮捕の理由となったイスラエルでの学会参加と北方四島へのディーゼル発電機供与が実際にはどうだったのかをそこにいたるまでの経緯も含めて説明し、逮捕されてからの東京地検特捜部の西村検察官による誠意のこもった取調べのやりとりを抜群の記憶力でもって再生してみせ、「国策捜査」への批判と理由付けを行ってみせたノンフィクション。
私はこの作品の次に出た「自壊する帝国」を先に読んだので順序が逆になってしまったが、作者の佐藤優が本格的に本を書くようになったのはこの「国家の罠」が最初だ。この本は出た当初、鈴木宗男事件の余韻が残っている中で「国策捜査」の実態を明らかにして注目を集めた。大物作家が誕生したと評する人までいた。これ以前にも雑誌に連載を持っていたりもしたみたいだけど。
前半は作者の外務省での仕事ぶりが中心となっている。私はあまりこの事件に関心がなかったので特に気に留めなかったが、人々の関心の中心であったイスラエルでの学会開催と北方四島へのディーゼル発電機の供与をゴールとして、そこにいたるまでの道筋が非常に読みやすい物語のように語られている。外務省の組織がどのようになっているのか、その中で作者が高度な専門性を持って特別なチームで動いていていたこと、作者が周囲から嫉妬をかっていった様子が読み物のようで面白い。意地の悪い言い方をするとそれは作者から見た物語なのだろうけど、事実を都合よく読み取らずとも多分そうなんじゃないかと思う。
イスラエルでの学会開催の話は、まずイスラエルがロシアに関する情報を集める上で非常に重要な地であることを説明している。現在イスラエルにいるユダヤ人の多くはロシアから来た人たちで(そもそも大戦中のナチスによるホロコーストと思われているユダヤ人の大量死は実はソビエト占領地域で放置され餓死したからではないかと主張する人もいる)、独自のコミュニティも持っているらしい。中でもテルアビブ大学のゴロデツキー教授はロシア大使の候補として名前が挙がっていたほどの第一人者だったそうだ。そんな大物に声を掛けて学会開催の音頭を作者が取ったというのだから驚かされる。彼らとパイプを太くし、勉強会を開いて自分のチームの若手を育て、それらはすべて外務省の決まりに従って正しく決裁されていたのに、勝手に金を使ったとか私腹を肥やしたとして告発されたのは不当だと言っている。
北方四島へのディーゼル発電機供与については、どの商社が入札するかで便宜をはかった疑いが持たれていたが、作者の指示で動いていたと言っている前島という人が一人でやったことだと主張している。普通ならこういったケースは下の人間を切り捨てたと思われかねないところだが、作者の抜群の記憶力と状況証拠が真実味を帯びせている。確かに検察のこじつけや前島という人の思い込みだと思うが、それ以前に話自体が微妙すぎて逆に作者も弁明に苦慮している感がある。
後半は作者が留置所に入れられてから、鈴木宗男の顧問弁護士たちにサポートしてもらいながら、東京地検特捜部の西村検事と対決していくドラマになっている。最初の夜の取調べのシーン、部屋を暗くして検事が怒鳴り上げる状況が目に浮かぶようで、それが済むと急に落ち着いた物腰になったという描写もリアルで、読んでいてとても印象に残った。
作者がかつての同僚に対して取る距離感というのは非常に微妙で、当時も今も彼らに対して平静だったと言っているし多分大体そんなところであることは想像できるのだが、それでも部分的にやはり複雑な思いを抱えていたんじゃないかと思えるようなベタベタしたところがあるように私には思えた。特に東郷和彦に対して。生々しく思える描写なので、良く言えば「よくぞ思うままに書いた」と言えるが、悪く言えば「書くべきでないことも書いた」のではないかと危なげに感じた。それでもここまで抑えられたのは作者の徳によるところだろう(逆に言えば少々徳が足りなかったとも言えるが)。
西村検事のことをあくまで敵であると最後まで言っているのは作者の精神の強さを表していると思う。作中でも述べられているが、弱い人間であれば検事を味方と思い最悪弁護士を敵と思うようになってしまうらしい。
西村検事はこの作品の第二の主人公と言える。その西村検事によって、この作品でもっとも重要なことが語られている(解説の川上弘美もその部分を取り上げている)。作者の分析も加えてその点を説明すると、鈴木宗男を逮捕するに至った「国策捜査」の動きというのは、従来の便宜供与型の政治を許さないようになった国民の意志が検察と裁判所を動かしたから起きたのだと。ちょっときれいに収まりすぎていて何か都合が良すぎないかと思うような説明だが、確かにそう考えると納得できてしまうようにも思う。
しかし私はこの点少し釈然としないものも感じていて、田中角栄に対して行われたロッキード疑惑という名の「国策捜査」は、東京地検特捜部に対するアメリカや国際金融資本家の働きかけによって行われたのではないかということを却って覆い隠してしまうのではないかと思う。検察が国民の意志に動かされたと考えるのはあまりに能天気ではないか。
またもし仮にそうだとしても、国民というか第四の権力マスコミのあまりの影響力の強さ、その背後にいると思われる何者かの強大な力を恐ろしく思う。ひょっとしたら、真実を知る作者だからこそ逆に何も知らない作家と比べると不自然に事実を隠蔽するかのような記述になってしまったのではないかと考えると不気味である。
とまあここまで結構熱を入れて解説し批評してしまったが、この本は読んでいて思ったよりそんなに面白くはなかった。まず「国策捜査」ゆえ非常に微妙なことが争点になっているだけに、それを弁明する作者の説明もこれだというポイントがはっきりしない。検察が真っ赤なウソでもでっちあげてくれていればまだ面白かったのだろうけど、検察は検察でなるべく自然な物語を作ろうとしているのでそうもいかない。それに取り調べのあとの裁判の描写がほとんどない。もちろんこれは作者のせいではなくて、本当に書くべきことがないほどの中身しかなかったからだという。あげく終わるときはあっけなく終わった。唐突に。
読み物好きならば細かいディテールで十分に楽しめる作品だと思うし、私もそれなりに楽しんだし興味深くて勉強にもなったのだが、そういう楽しみ方が出来ない人にはつまらない本だと思う。
私はこの作品の次に出た「自壊する帝国」を先に読んだので順序が逆になってしまったが、作者の佐藤優が本格的に本を書くようになったのはこの「国家の罠」が最初だ。この本は出た当初、鈴木宗男事件の余韻が残っている中で「国策捜査」の実態を明らかにして注目を集めた。大物作家が誕生したと評する人までいた。これ以前にも雑誌に連載を持っていたりもしたみたいだけど。
前半は作者の外務省での仕事ぶりが中心となっている。私はあまりこの事件に関心がなかったので特に気に留めなかったが、人々の関心の中心であったイスラエルでの学会開催と北方四島へのディーゼル発電機の供与をゴールとして、そこにいたるまでの道筋が非常に読みやすい物語のように語られている。外務省の組織がどのようになっているのか、その中で作者が高度な専門性を持って特別なチームで動いていていたこと、作者が周囲から嫉妬をかっていった様子が読み物のようで面白い。意地の悪い言い方をするとそれは作者から見た物語なのだろうけど、事実を都合よく読み取らずとも多分そうなんじゃないかと思う。
イスラエルでの学会開催の話は、まずイスラエルがロシアに関する情報を集める上で非常に重要な地であることを説明している。現在イスラエルにいるユダヤ人の多くはロシアから来た人たちで(そもそも大戦中のナチスによるホロコーストと思われているユダヤ人の大量死は実はソビエト占領地域で放置され餓死したからではないかと主張する人もいる)、独自のコミュニティも持っているらしい。中でもテルアビブ大学のゴロデツキー教授はロシア大使の候補として名前が挙がっていたほどの第一人者だったそうだ。そんな大物に声を掛けて学会開催の音頭を作者が取ったというのだから驚かされる。彼らとパイプを太くし、勉強会を開いて自分のチームの若手を育て、それらはすべて外務省の決まりに従って正しく決裁されていたのに、勝手に金を使ったとか私腹を肥やしたとして告発されたのは不当だと言っている。
北方四島へのディーゼル発電機供与については、どの商社が入札するかで便宜をはかった疑いが持たれていたが、作者の指示で動いていたと言っている前島という人が一人でやったことだと主張している。普通ならこういったケースは下の人間を切り捨てたと思われかねないところだが、作者の抜群の記憶力と状況証拠が真実味を帯びせている。確かに検察のこじつけや前島という人の思い込みだと思うが、それ以前に話自体が微妙すぎて逆に作者も弁明に苦慮している感がある。
後半は作者が留置所に入れられてから、鈴木宗男の顧問弁護士たちにサポートしてもらいながら、東京地検特捜部の西村検事と対決していくドラマになっている。最初の夜の取調べのシーン、部屋を暗くして検事が怒鳴り上げる状況が目に浮かぶようで、それが済むと急に落ち着いた物腰になったという描写もリアルで、読んでいてとても印象に残った。
作者がかつての同僚に対して取る距離感というのは非常に微妙で、当時も今も彼らに対して平静だったと言っているし多分大体そんなところであることは想像できるのだが、それでも部分的にやはり複雑な思いを抱えていたんじゃないかと思えるようなベタベタしたところがあるように私には思えた。特に東郷和彦に対して。生々しく思える描写なので、良く言えば「よくぞ思うままに書いた」と言えるが、悪く言えば「書くべきでないことも書いた」のではないかと危なげに感じた。それでもここまで抑えられたのは作者の徳によるところだろう(逆に言えば少々徳が足りなかったとも言えるが)。
西村検事のことをあくまで敵であると最後まで言っているのは作者の精神の強さを表していると思う。作中でも述べられているが、弱い人間であれば検事を味方と思い最悪弁護士を敵と思うようになってしまうらしい。
西村検事はこの作品の第二の主人公と言える。その西村検事によって、この作品でもっとも重要なことが語られている(解説の川上弘美もその部分を取り上げている)。作者の分析も加えてその点を説明すると、鈴木宗男を逮捕するに至った「国策捜査」の動きというのは、従来の便宜供与型の政治を許さないようになった国民の意志が検察と裁判所を動かしたから起きたのだと。ちょっときれいに収まりすぎていて何か都合が良すぎないかと思うような説明だが、確かにそう考えると納得できてしまうようにも思う。
しかし私はこの点少し釈然としないものも感じていて、田中角栄に対して行われたロッキード疑惑という名の「国策捜査」は、東京地検特捜部に対するアメリカや国際金融資本家の働きかけによって行われたのではないかということを却って覆い隠してしまうのではないかと思う。検察が国民の意志に動かされたと考えるのはあまりに能天気ではないか。
またもし仮にそうだとしても、国民というか第四の権力マスコミのあまりの影響力の強さ、その背後にいると思われる何者かの強大な力を恐ろしく思う。ひょっとしたら、真実を知る作者だからこそ逆に何も知らない作家と比べると不自然に事実を隠蔽するかのような記述になってしまったのではないかと考えると不気味である。
とまあここまで結構熱を入れて解説し批評してしまったが、この本は読んでいて思ったよりそんなに面白くはなかった。まず「国策捜査」ゆえ非常に微妙なことが争点になっているだけに、それを弁明する作者の説明もこれだというポイントがはっきりしない。検察が真っ赤なウソでもでっちあげてくれていればまだ面白かったのだろうけど、検察は検察でなるべく自然な物語を作ろうとしているのでそうもいかない。それに取り調べのあとの裁判の描写がほとんどない。もちろんこれは作者のせいではなくて、本当に書くべきことがないほどの中身しかなかったからだという。あげく終わるときはあっけなく終わった。唐突に。
読み物好きならば細かいディテールで十分に楽しめる作品だと思うし、私もそれなりに楽しんだし興味深くて勉強にもなったのだが、そういう楽しみ方が出来ない人にはつまらない本だと思う。