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    桐野夏生 (週刊文春 連載小説)

    まあまあ(10点)
    2002年9月6日
    ひっちぃ

    美しい妹ユリコの影響を受け続けた平凡で邪な姉を主人公に、姉妹の周辺にいる人物たちの物語が描かれる。

    物語はいくつかのパートに分かれる。登場人物の日記も出てくるので、一人称も変わる。いまさらこの作品を読み返してもしょうがないので、記憶をたよりにざっと構造を説明しよう。

    まず女子高編。名門Q女子校での人間模様。主人公は姉。勉強熱心な姉は、高校から名門をくぐるのだが、そこでは中学から上がってきた生徒たちが幅をきかせていた。彼女らは外見も動作も富裕層のそれだった。一方、高校から入ってきた者たちは見た目もセンスも庶民的だ。この進学組と編入組の二つのグループは溶け合うこともなく、進学組は自分たちだけのコードでファッションを決める。

    女子高編では三人の少女が描かれる。まず、編入組で、直線的な思考回路を持った器量もふるまいもダサい努力家の少女。進学組の輪に入ろうとするもハジかれるが、自分が蔑まされていることに気がつかない。二人目は、進学組だけど親が無理して入れた、実は庶民派の少女。しかしQ女子高では持ち前の頭の良さと運動神経で進学組に溶け込んですましている。三人目が、途中で転入してきた美しい妹ユリコ。外からやってきたのだが、その美貌でたちまち進学組に受け入れられる。

    主人公も入れてこの四人が物語の中心だ。ほかはわき役。

    物語は、女子高編と成人編で成り立っている。女子高編は、学校描写と家族描写に分かれ、各登場人物の家庭環境が描かれる。成人編は、主人公の視点、努力家のダサい女の日記、謎の中国人チャンの物語とある。

    なんだかんだでこの作品の主題は、美、出自、努力。生きていく上でそういったものは不可欠なのだが、美が一番強く、次に出自、そして努力はそれらの補完にしか過ぎないと言っているかにみえる。

    という価値観が仮にあったとすると、一番恵まれているのは美しい妹ユリコだ。ユリコは、男は嫌いだけどセックスが好き、という設定だ。結局作品中ではユリコは終始アラ無く描かれていた。ユリコは恐らく主体ではないからだろう。物語の中の一つのオブジェクトとしての意味しかない。

    そして対照的なのが、器量もふるまいもダサい努力家の少女だ。彼女は、学校で受け入れられず、ただただ勉強していい大学に受かり、一流建設会社に就職するが、職場でも疎外されてしまう。あげく、自分を「スーパーマン」にするために、ユリコの名をもじってユリという名前で娼婦をやりだす。東電OL殺人事件を思い出した。自分は仕事も女もデキるんだと言い聞かせる。しかし彼女は、男や人に優しくされるのは好きだけどセックスは嫌い、という設定になっている。この作品中では彼女はひたすら醜く描かれていた。

    謎の中国人チャンの物語が、突然作中に描かれる。チャンは、上の二人を殺した犯人だ。しかし犯人といっても作中では犯行の動機とかはほとんど描かれず、ただただ出自が描かれる。中国の田舎から、寿司詰めの列車に乗って、死ぬ思いをしてついに都会にやってきた。彼にはやはり美しい妹がいて、一緒に都会にやってきた。彼自身も美形ということになっている。都会でやったのは結局娼婦と男娼だ。危ない橋を渡り、逃げなくてはならなくなり、日本にやってきた。彼にも主体性がない。まあ彼は作中、妹とその死に関してミステリアスな言葉を吐くので、そこを取り上げると興味深いかもしれないが、ここではあえて無視しておく。

    では、この作品の題名「グロテスク」とは、一体何がグロテスクなのか。見たところ、一番グロテスクなのは、一流企業の OL と娼婦を同時にこなして得意になっていた少女と、常に妹の美の影響を受け続け鬱屈した精神を持ち続けた主人公、この二人以外ありえない。この二人を通じて、一体何を描きたかったのだろう。美によって歪められた人間を描きたかったのだろうか。

    取り繕われた社会の真実をあばくという目的なら、達成されたと言って良いだろう。しかし、それ以上の意味を見いだそうとしても、何も見つからなかった。

    美を持たない者、人を魅了できない者は、下手に自分を高めようとするのではなく、魅力を持った人間に従うほうが幸せだという結論になる。

    [参考]
    http://bunshun.topica.ne.jp/
    weekly/
    weekly.htm

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