ハウルの動く城
宮崎駿監督 スタジオジブリ ダイアナ・ウィン・ジョーンズ原作
まあまあ(10点) 2006年7月22日 ひっちぃ
魔法使いハウルとその心臓を狙う魔女の追走に巻き込まれ、魔女に老婆の呪いを掛けられた主人公の少女ソフィーは、その呪いをきっかけにして自らが選んだ平凡な日常を抜け出し、感情を発露させていくうちにハウルへの愛を感じるようになっていく。
スタジオジブリの一つ前の最新作。「ゲド戦記」の宣伝のため最近になってようやくテレビ放映された。宮崎駿監督。
世界から絶賛された「千と千尋の神隠し」の次に作られた作品だったが、その前評判はかなり悪く、好意的なメディアは口を閉ざし、それ以外のメディアはあまりの悪さに気の毒がって心なしか批評が遠慮がちになったという問題作。
以下、物語の展開についてネタバレしながら解説を試みるが、多分読んでもよく分からないだろうし、この作品の魅力(?)とやらとはまったく関係なさそうなので、まだ見ていない人が読んでも多分大丈夫だろう。
前半まではかろうじて私でも理解できた。恐らく老婆の呪いというのは主人公ソフィーの心の年齢を表しており、自分から何かやろうと思わない人間は老人のようなものだと言っているのだと思われる。
最初にクエスチョンマークが浮かんだのが、ハウルが風呂場で髪がおかしくなって絶望しゲル状になっていくところ。それを見た主人公ソフィーが急に悲しくなって外へ出てワンワン泣き出すところで唖然とした。美しくなければ生きていたってしょうがない、とハウルは言う。私なんて一度も美しかったことはない、とソフィーは言う。よく分からないが、普通の人々があえて口にしないことを喜怒哀楽豊かに表に出すということを表現したかったのだろうか。
後半から特に戦争の描写が多くなっていくが、メッセージ性が分からない。あまり考えないことにした。
ハウルの動く城を動かしている炎の悪魔カルシファーがハウルに縛り付けられている呪いが何なのかが思わせぶりだったが、作品を最後まで見ても私には何のことだか分からなかった。
終盤、少女ソフィーがなんにでもキスをしまくっていくつかのことが解決するのだが、その意味もまったく分からない。
あれだけ悪役だった魔女が、魔力を吸い取られてただのお婆ちゃんになり、主人公たちと同居する。燕尾服を着たカカシのカブが、ソフィーのキスで隣の国の王子になる。わけわからないことてんこ盛りで、魔女のあとの敵役を継いだ魔法使いサリマンの意味不明なハッピーエンド宣言で物語は幕を閉じる。
わけわからない尽くしだが、不思議と先の展開が気になる。一応それなりに面白かった。原作はイギリスの児童文学作家のダイアナ・ウィン・ジョーンズという人みたいなのだが、児童文学ってそういえばこういうわけが分からないけど惹かれる作品ってあるよなあと思えば、この作品はあくまでそんな児童文学作品を忠実に映画化しただけなんだと思うことができる。もし狙いがそこにあるのなら、うまいこと映画化したと言えるんじゃないだろうか。ただ、登場人物たちが変に自分たちを語りすぎるのをやめていれば、不思議だけど魅力的な作品、といったあたりに着陸できたのではないだろうか。
映像と音は相変わらず美しい。音楽は序盤モチーフの連続がウザかったがそれなり。
ジブリの方針として、プロの専業声優ではなく俳優を声優として使うというのがあり、今作でもそれは変わらなかった。ハウルに木村拓哉。最悪な状態を想定して覚悟して見たら、まったくキムタク臭くなくてホッとした。製作サイドがどんな狙いを持ってキャスティングしたか知らないが、どこかの段階で誰かの決定でキムタク臭を出さないことになったのだとしたらその人を評価したい。意外と本人だったりして。
カルシファーの声優が良かった。我修院達也という人らしい。この悪魔のキャラもいい。炎の化身の映像美もいい。デスクトップに欲しい。
この作品を身近な人と語り合うことは多分無理なんじゃないかと思う。人知れずした読書と同じように、自分の心の中だけにとどめておきたい。といいつつ私はこうして文章にはしているわけだが。
(最終更新日: 2006年7月22日 by ひっちぃ)
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