東インド会社 - 巨大商業資本の盛衰
浅田實 (講談社現代新書)
まあまあ(10点) 2007年4月3日 ひっちぃ
アジアとの貿易を共同資本による初期の株式会社として行ったヨーロッパ各国に生まれた東インド会社とくにイギリスのものを中心にその盛衰と当時の情勢を説明した本。
なぜ急にこの本を読もうと思ったのか自分でも分からないし、読んでいてそんなに大して面白かったわけでもないが、所々にいくつか興味深いところがあったので簡単に紹介することにする。
まず初期の東インド会社は毎回清算していた。一回の航海に必要な資金を募り、儲かった分を投資家に全部還元しておしまい。資本という考え方がない単なる事業だった。そのうち一回だけではなく数回ごとに資金集めするようになり、やがて永続的な事業体としての株式会社が出来上がった。オランダの東インド会社のほうが株式会社化が早かった。
大航海時代後のアジア貿易というと香辛料にばかり目がいくが、そのうちインドの綿製品や茶が中心となっていた。特にイギリスの東インド会社からすると、オランダに香辛料列島を押さえられてしまったので、仕方なく他の産物に目をつけざるをえなかった。当時の各国は重商主義で貿易に関して戦争が絶えなかった。アンボン虐殺事件は、オランダ人に雇われていた日本人がイギリスのスパイだとオランダが言いがかりをつけたことから起き、日本人九名を含む20人近くが殺され、オランダはイギリスの勢力を掃討した。
インドの綿製品(特に主力はキャラコという綿織物)は当時世界的に見ても優れた品質と安さを誇っており、ヨーロッパ人はそれまで毛織物や麻などのゴワゴワしたものしか着ていなかった。ついでに言うと香辛料が入ってくる前は料理もしょぼかった。インドからイギリスに綿製品を輸入したところたちまち人気になり、毛織物業者たちが手を組んでインドからの綿製品の流入を阻止した。
イギリス人が茶を好むようになったのは、海外の王室から迎えた王族が茶をたしなんでいたことがきっかけだったらしい。
東インド会社自体は思ったほどの利益を上げなかった。利益率は順調なときで20%ぐらい。赤字のときもあった。そのからくりはこうだ。イギリスの東インド会社は主に、積荷をイギリスに船上げして卸すことだけで利益を得ていた。あとの流通や小売は、会社の役員たちが自分たちの利権として自分たちの息の掛かった商会にやらせて大儲けした。現代にまで至るこのような不正は株式会社が生まれたときからのもののようだ。また、現地で収奪した富を現地で自分のふところに入れて本国で悠々自適の生活を送る者が多かった。
インドの綿製品に触発され、イギリスで産業革命が起き、逆にインドに輸出されるようになり、関税を掛けられないインドでは綿製品の産業が壊滅した。このへんは学校でも習うか。
イギリスの東インド会社の成功を追うように、南アメリカとの貿易で大儲けしようと南海会社というものが生まれた。ろくに貿易しないうちから事業を各界に売り込み、議会や国王まで巻き込んで貴族だけでなく庶民からも投資を受け、投機的な熱により株価を吊り上げたあげく消滅した。投機によるバブルの始まりはオランダのチューリップだったように覚えているが、バブルの語源は南海会社が泡沫と消えた事件が元になっているらしい。
イギリスの東インド会社といえばインドを支配したことで知られるが、本国ではたかが会社が軍隊を持って領土を支配していることに対して批判的な意見が多かったらしい。ただ、これには政争の側面もある。東インド会社などの貿易で儲けた商業資本家が、産業革命で儲けた産業資本家に取って代わられる過程で起きた戦いの一つなのだ。商業資本家は金にあかせて選挙民が数十人しかいないような腐敗選挙区で票を買って議員となったり議会工作をしたが、産業資本家は労働者を抱きこんでのし上がり議会で商業資本家を放逐していった。そして最終的にインド支配も国が直接行うことになる。
イングランド銀行もロンドン証券取引所も東インド会社の設立後に生まれている。株は最初のころコーヒーショップで取引されていたらしい。また、イギリス人もやはり資産は土地のような安定したもので持っておきたいと考えていたようで、当時株が安定した高い配当を得られることがある程度知られていたにも関わらず、外国人の株主が目だったらしい。
イギリスの東インド会社の終焉は、インドで雇って維持していた傭兵集団、教科書でおなじみのセポイの反乱を独力で収拾できなかったことが理由となっているが、これもまた政争の一側面だろう。セポイは多いときで20万人ほどいたらしく、東インド会社は最初ベンガル地方の徴税権しか持っていなかったので商業体であると言い張っていたが、その戦力でインド各地に遠征して全土を実効支配した。反乱が起きるとたまたまイギリス本国は余力があったので会社が望んだより多くの兵力を送って反乱を鎮圧し、一年以上掛けてついにはインドを版図に入れてしまう。
こんなひどいことをされたにも関わらず、私が知っているインド人学生はQueen's Englishを得意げに使い、よくできた兄がクリケットの選手だと自慢していた。もっとも、最近ではアメリカのIT産業の下請けのためにわざわざアメリカ英語を教えているところもあるという。ちなみにセポイの反乱のときにインドが膨大な人口にも関わらずイギリスに組織的に効果的に戦いを挑めず敗北したのはカースト制のためとされ団結力の低さが明らかになったように、こんにちのインドもIT産業が栄えているとされる割に民族資本が少なく下請けから脱し切れていない。
延々書いてきたがこの本はそんなに面白い本ではないので多くの人にとっては私の要約ぐらいの知識で十分だと思う。何年の売上高がどうだったなどの数値が知りたい人や、チョイ話以外の色んなことがらを全部読んでみたい人は、本書を手に取る価値があるかもしれない。でもしょせん新書なのであまり踏み込んでいないし、新書だからといって煮詰められた内容が書かれているわけでもない。
最初私はこの本の日本語がちょっと危ないんじゃないかと思って気になった。明らかに日本語としておかしい文章がいくつかある。ただそれは最初だけで途中から気にならなくなった。文章のうまいへたじゃなく高校生が国語のテストで書いてもバツをもらいそうなくらいだったので、もうちょっと編集者は気をつけたほうがいいと思う。
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