オスマン帝国
鈴木董 (講談社現代新書)
まあまあ(10点) 2007年4月16日 ひっちぃ
中世から近代までの約五百年の長きに渡ってイスラム世界のみならずヨーロッパにも強い影響を及ぼしたオスマン・トルコの歴史を解説した新書。
世界史を取った人なら誰でも聞いたことがあるだろうオスマン・トルコについての本をなぜか衝動買いしてしまった。それなりに面白かった。いくつか興味深いことを抜き出して説明したい。
オスマン・トルコが強大な力を持つに至った理由はいくつもあるのだが、私が読んだ限りではイェニチェリという常備軍の創設が一番大きな理由だと思った。
常備軍というと日本では織田信長が兵農分離で始めたことで、田植えや稲刈りの時でも軍隊を動員できるとかプロ化するから強いなんていう理由が挙げられる。
オスマン・トルコの常備軍のイェニチェリというのは、なんと奴隷から徴用される。奴隷といっても子供の奴隷だ。戦争のときの捕虜が元になっているのもあるが、多くは異教徒とくにキリスト教徒から抽出したらしい。といっても異教徒が圧制の元に置かれていたわけではなくて、ヨーロッパ世界よりずっと寛容だったらしい。
で彼ら奴隷をまず最初に郊外の農村にしばらく送り込んで語学や生活様式を覚えさせる。その後、最初は新兵軍団に編入させ、徐々にキャリアを積んで下士官や将校になっていく。彼らはきわめて規律正しく行動し、機械のように整然と動いたという。ちゃんと給料ももらっていた。
一番重要なのは、この常備軍イェニチェリが皇帝直属だということだ。ヨーロッパがまだ封建君主の時代だったころに、オスマン・トルコが早くから中央集権の専制君主体制になることが出来た。そうすることで、皇帝の強い権力で戦争にも強くなるし文化も発展する。ただやはり軍隊の主力は封建諸侯(官吏?)の騎兵隊みたいで、常備軍だけで軍隊を編成するまでには至らなかったようだ。
面白いのは、常備軍だけでなく政治の世界にも奴隷が入り込んだことだ。器量のいい奴隷を宮廷に上げて教育した。封建時代と比べて皇帝の力の強い国なので、諸侯ではなく皇帝に近い小姓が力を得ていく。奴隷が宰相(首相や大臣みたいなもの)に取り立てられる。中国の宦官と違い、彼らは行き届いた教育を受けているのでちゃんと政治もするし武人もいる。
先進的な思想を持った皇帝もいて、進んで西洋文化を取り入れたりもしている。ルネサンスの頃の芸術家を招聘して絵を描かせたりしていた。
次に重要なのはイスラム文化だ。オスマン・トルコは最初アナトリア(小アジア)の戦士の部族の集まりとしてスタートした。戦いに勝っていくうちに人々を治める必要が出てきたのだが、そのときイスラムの学者たちを招いてイスラムの法で治めるようにした。司法などの学問や政治の生み手としての宗教の力とはすごい。現代に生きる私たちからすると、宗教的なものは学問や政治とは交わってはいけないと思っているが、前近代の世界では秩序が宗教にしかなかったのだから立派に機能していた。まあ科学だって一神教から生まれたわけで、単に学問が宗教から独立しただけなのかもしれないが。
西洋で大航海時代が始まったのは、シルクロードや地中海貿易をすべてオスマン・トルコに押さえられていたからだ。地中海は特に海賊バルバロイがオスマン・トルコに帰順し大提督に任じられてから支配下に入れた。全盛期はローマ帝国の3/4くらいの領土を持っていたらしい。
地中海の覇権はあたかもあのレパントの海戦で失われたかのように思ってしまうが、オスマン・トルコは約八ヶ月後にまた250隻もの大艦隊を再建してヨーロッパを戦慄させたらしい。
ヨーロッパではまずビザンツ帝国(東ローマ帝国)を征服した。コンスタンティノープルの攻城戦では、ハンガリー人技師を高額で雇ってものすごい大砲を作らせ、常備軍イェニチェリの鉄砲と強力な騎兵隊を組み合わせた軍隊により、三重の城壁と数十の塔を持つ難攻不落の城塞都市を陥落させた。その後、時間を掛けてバルカン半島を平定し、ハプスブルグ帝国のハンガリーを攻めた。当時ヨーロッパ最強だったハプスブルグ家を一介の諸侯程度にしか見ていなかったらしく、ヨーロッパ人も同様の認識をしていたほど当時のオスマン・トルコは巨大な存在だった。
特定財源の考え方があった。イスラム法による宗教的寄進から始まり、公衆浴場やバザールなどの収益を公共施設の整備や維持にだけ使ってインフラを整備した。こうして出来た水道などが多くの庶民の生活を支えた。
官僚主義の肥大という現象が早くもオスマン・トルコに見られた。最初は皇帝の下で行政を行う官僚たちは数十人だったが、紙を使って文書で処理しているうちにどんどん官僚や事務員の数が増えていった。しまいには行政が皇帝から分離し、宰相が自分のオフィスを持つようになり、そこへ人員が集まっていった。数千人ぐらいいたと書いてあった覚えがある。
まだだいぶ書き漏らしていることもあるけど、いつまでも書いていられないのでこのあたりにする。
この本はちゃんと読ませる作りになっていて、歴史をたどっていく中にところどころに興味深いエピソードが挿入されていたり、西洋史観に対する作者の独自の視点があって少し刺激がある。私が思い描く新書の歴史本はかくあるべしみたいなのは、ちょうどこの本ぐらいが及第点だと思う。偉そうで申し訳ないけど。普通に、読んで良かったと思える一冊だった。
批判的なことも書くと、前期にスペースを取られすぎて、後期が駆け足になっていることか。滅亡の直前で終わってしまっている。ここは物足りない。でも駆け足ながらも作者の現代にも通ずる史観が語られていて、尻切れた気がせず読後感が良くなっている。
トルコというと、なぜかEUに熱心に入りたがる面白い国だ。一方のヨーロッパ人はキリスト教世界にトルコを入れたくないようである。この温度差はとても興味深い。私はインターネット上で、トルコに暮らす日本人と、トルコを研究する大学院生と、生粋のトルコ人と、三者三様のトルコを聞いたことがあるのだが、残念ながらこの本を読んだだけではまだ現代のトルコにはつながらなかった。また気が向いたら次の一冊を探してみたいと思う。
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