戦場にかける橋
デヴィッド・リーン監督
傑作(30点) 2007年9月8日 ひっちぃ
第二次世界大戦中の東南アジアで日本軍が英国人捕虜部隊を使って橋を掛けさせる話。日本とイギリスという文明の違いの中で、捕虜となったニコルソン中佐が軍人として国際条約にこだわり、捕虜の義務として部下を統率して橋を掛けることを選んだことについて、視聴者にそのまま投げかける形となっている。
とても有名な作品なのであえて解説するまでもないかもしれないが、念のため基本を抑えておこう。この作品で重要な点は、敵味方を超えた友情と、それをさらに超えた戦争の無情さだとされている。
本当にそうなのだろうか。どうも違和感がある。
この作品を観て私が一番強く感じたのは、ああニコルソン中佐はビジネスマンなんだなということだ。現代で言えば請負労働のマネージャーにあたるんじゃないだろうか。
IT業界で言えば、納期が迫っているのでリーダークラスにもコーディングをさせろと言うお客さんに対して、リーダーはプログラマを統率して進捗を管理しなければならないからコーディングはさせられないと言い返す。待遇の改善を定期的に訴える。必要なら客のプロパー社員も指揮下に入れろと言う。自分たちの方が開発のノウハウを持っているのだから好きにさせろと言うのだ。会議のシーンもまさにそんな感じ。
最初はそんな中佐を力で押さえつけようとした斉藤大佐だったが、ちゃんと仕事が終わることを考えて妥協していく。そしてちゃんと仕事を終えることができた二人は、対等のパートナーとして認め合うに至る。うーん。請負労働のリーダーの教材にぴったりじゃないだろうか。
明らかに違う点は、彼らが国家的に見て利敵行為をしているということだ。あ、外資系で働いているってことにすればこの設定も大丈夫か。あんまり深く考えるともっと深いところでつながってしまうのでこのへんにしておこう。
さて話を作品に戻すと、主人公のニコルソン中佐とはいったいどんな人物として描かれているのだろう。彼は軍隊が好きだと作中で言っている。だから祖国に損害を与えることになっても自分の仕事を遂行する。それは良いことか悪いことか。その答えは結局示されず、最後に橋が爆破されて終わる。戦争の無情さだけが強調される。
アメリカ兵の妙な人道主義も中途半端に扱われている。適当に仕事をしてとにかく生き残ることを優先すればいいじゃないか。
三つの考え方が示されている。
・負けたら潔く責任を取る(日本側)
・負けても軍人としての責務を果たす(イギリス側)
・とにかく生き残ることを優先する(アメリカ側)
はっきりとどの考えが正しいとか間違っているとか示されるわけではないのでわかりづらいが、結局のところ日本人の責任感とかイギリス人の官僚主義っぽいところがなんとなく否定されているように思える。おまえら考えすぎだと言っているように取れないだろうか。
私は日本人の美徳とイギリス人の美徳の両方とも悪くないと思う。凝り固まってはいるのだけれど。だからそれらを笑うかのようなアメリカ人の安直な人道的視点にイラつく。「結局戦争なんてそんなのすべてぶち壊しだぜ」といったメッセージが最後の爆破に込められているかのように感じてしまう。
艦長は船と運命を共にする。それは英国海軍の伝統からきている考え方だ。現代人の感覚からすればバカげていると思う。でも私はロマンを感じずにはいられない。それと同じだ。将校が労働したって大して成果は上がらないだろう。敗れた者が尊厳を振りかざして利敵行為を働くなんてバカじゃないだろうか。でもそこに私は価値観を感じる。ただ生きるだけでない人間の姿がそこにある。
この作品はそういったものを生の形でそっくりそのまま観客に差し出している。むやみに説教臭い作品と比べてずっと良い。
でも最後ニコルソン中佐が起爆装置を前にして意識を失ってしまうのにはちょっと納得がいかない。もし彼に意識があったとしたらどうしただろうか。爆破したか?橋を守ったか?これも私たちが考えるべき問題なのだろうか。
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