給料は勝ち取るものよ!
さかもと未明 (産経新聞 めざましカフェ 2008-5-28)
いまいち(-10点) 2008年5月28日 ひっちぃ
漫画家のさかもと未明が、自身のアシスタント雇用経験から、経営者の立場として労働者に努力を促している内容の文章。
読んでイラっときたので勢いで書くが、色んな意味で間違っている。
まず漫画家という職業はまったくかたぎではないこと。安定していない代わりに成功すれば報酬が高い。それを普通の会社やサラリーマンと比較してはダメだ。
次に漫画家のアシスタント業というと、付く漫画家によって必要となり身に付く技能が多少左右されはするが、その経験はよその漫画家のところに行っても大体役に立つ。それにアシスタントから漫画家へのステップアップも努力次第で可能であろう。
しかし普通の会社とサラリーマンの場合、その会社でしか役に立たないことが多い。社内での独自の仕事の進め方や営業人脈である。若いうちは若いというだけで売れたり、経理や電子などの分野の技術で売れるが、年を取ると会社を渡り歩くための技術が限られてくる。まじめに会社のために一つのことに専念して働き続けた人ほど困る。
ところで漫画家のアシスタントっていくつまで働けるのだろう。漫画家になるしか未来は開けないのだろうか。あきらめてよそに転職していくしかないのだろうか。「経営者」たる漫画家は、この点をどう考えているのだろうか。使えなくなったらポイ捨てにするつもりなのだろうか。それはそれでしょうがないと思うが、であれば労働者を雇う「経営者」としての顔なんてとてもできないはずだ。
そもそもの問題は、労働者の給与体系が年功序列になっていることなのだ。若い頃の給料が低いかわりに年をとってから会社がまだ存続していればそんなに働かなくても高い給料が得られるという日本独自のストックオプション的なシステムになっていたはずなのに、若い頃の給料を抑えておきながら年を取ると労働者をポイ捨てするのは詐欺に等しいのではないか。
いま外資系に人材が集まるようになったのも、国内企業の終身雇用が信じられなくなっているからだろう。外資系の給料が高いといっても、会社の売り上げに対する比率から言えば当然の額なのだ。
人に定期的に給料を支払うのは大変なことだというのは分かる。特に不安定な漫画家ではなおさらだ。しかしその分リスクを差し引いた分の給料しかアシスタントに支払っていないのだろう。調子のいいときはその分を自分のふところに納めているはず。
労働者の怠慢というものも否定する気はないが、その前にまず給与の公開という文化を根付かせなくてはならないと私は思う。各社公開したら競争が生まれ、人材が流動し、労働者も自己啓発するようになるだろう。しかし企業は人材を囲い込みたいから公開したがらないし、労働者だっておいしい職場でぬくぬくしていたら自分の地位を守ろうとするに違いない。
なんか話を広げすぎてもとの記事がどうでもよくなってしまったが、要は「給料は勝ち取るものよ!」などでは決してないということだ。
うーん。だが労働者よりも経営者のほうが一枚上手なことは認めざるを得ない。労働者には労働基準法とか労働組合など色々な武器が用意されていて、数だって圧倒的に多いのに、経営者にやりこめられてしまう。生活が掛かっているとはいえ、もう少しなんとかならないものだろうか。そういう意味では確かに「給料は勝ち取るものよ!」なのかもしれない。
本当はこんな戦いはすべきじゃないと思う。昔は労使の信頼関係が高くて効率が良かった。この信頼関係を最初にやぶったのは経営側であろう。それを見て労働者は自己保身に走って、キャリアアップにならない仕事をしたがらなくなり、会社の長期的な発展にも関心を払わなくなったのは、経営側にとっても悪いことだと思うのだがどうだろうか。一方で労働者も会社にもたれすぎた面もあるだろうが、会社が潰れたら困るので最低限の歯止めはあったはず。
この戦いの決着はおそらく、EU対アングロサクソンの経済戦争という形で結果が明らかになるだろう。アングロサクソン流を選んだ日本は良かったのだろうか。結末はどうあれ、過渡期にリストラに遭ったサラリーマンは踏んだり蹴ったりだろう。
(最終更新日: 2009年12月12日 by ひっちぃ)
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