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  • 性的唯幻論序説 改訂版 「やられる」セックスはもういらない

    岸田秀 (文春文庫)

    最高(50点)
    2009年2月22日
    ひっちぃ

    元々作者が文春新書向けに自分の主張の基本的な部分を語りなおした本があって、それをさらに学生たちとの性についての最近の対話をもとに大幅に記述を追加して文春文庫として出しなおしたのがこの本。特に資本主義を動かす原動力としての性について、作者独自の理論をきわめて平易に説得力溢れる形で語っている。

    表紙をでんこちゃんでおなじみのマンガ家の内田春菊が描いている。内田春菊も岸田秀の信奉者だと聞いていたけど、こうして実際に表紙にあの絵があるとちょっとびっくりする。

    毎度作者の理論を説明するのも面倒なので他の作品についてのレビューを読んでもらうことにして、この作品について特筆すべきことを挙げると、最初に言った資本主義を動かすエンジンとしての性と、最近の日本で起きている若い男と女の性についての意識の変わりようの大きく二つが非常に印象的だった。

    まず説明が簡単な方からいうと、なんと最近は男のいわゆる「させ男」みたいなのがいるらしい。女性数人のグループの中に一人、言えばセックス「させてくれる」男がいるのだそうだ。男の草食動物化は方々で言われ始めていることだが、まさかここまで逆転現象が起きるのだろうか。こういう男は頼まれれば基本的に誰とでも寝るのだそうだが、さすがにひどいブスとは寝ないらしくて頼まれても断るらしい。頼んだブスのほうも、断られたことが周りに知れると恥ずかしいので黙っているらしい。

    というような話をなぜ作者が知ることが出来たのかというと、もう辞めたみたいだが作者は大学教授で、教え子たちと定期的に飲みにいって、酔った勢いも手伝って女子学生にあれこれ訊いてみると予想外に色々としゃべってくれたらしい。

    資本主義と性との関係について。今の時代ほど男と女が性に飢えている時代はないのだという。昔は結構みんな簡単に性欲を満たしていた。ところが、男を一生懸命働かせるために、容易に性欲を満たせないような社会を作ってしまった。簡単に言えば恋愛とセックスに金が掛かるようになった。家庭という生産装置を守るためと、自分のパートナー以外の相手を買うために、奴隷のような労働をいとわなくなった。

    資本主義社会が成立すると、大体性道徳が厳格になったらしい。この場合の厳格とはあくまでタダのセックスの取り締まりであり、売春婦は対象外である。こうすることで男は、結婚して妻子を養うか、売春婦に金を払うか、恋人を金品で維持するかしないとセックスが出来なくなった。

    世界で一番最初に資本主義にたどり着いたキリスト教は性に極端に厳格だった。こうして抑圧された性欲を他の方向に使うことで社会を活力あるものにしていたのだろう。浮気の禁止とか、快楽のための性交の禁止、極端なことを言うと子供を生むための正しい夫婦の営みすら、性的な快楽が得られないよう特殊な服を着て行うこともあったという。

    処女を尊ぶという、いまはどうやら崩壊したらしい考え方も、人間の本来のありかたからすれば不自然な考え方である。こうして女性器の価値を高めることで、いわゆる性の商品化が進んでいったのだと言っている。この段階で、女性には性欲はないとされたのは、性欲なんてあっては性の商品化が成り立たないからである。男も女も生理的に同じあるいは女の方がより大きな快感を感じていると言われているのに、文化の力でそれがないものとされたのだ。

    女は社会的な自立性を奪われ、結婚しないと生活できないようになった。結婚するには処女を守らなければならなかった。女は結婚するまでは性交が出来なかった。いったん性交すると傷物として扱われ、穢れていると見られて普通の相手との結婚が出来なくなったからである。こうして男も女も資本主義社会に絡め取られていった。

    こうしてみると、今の日本の社会の崩壊というのは実は、資本主義社会にとって都合のいい男と女の関係の崩壊から来ているのではないかと考えてみたくなる。

    そもそも最初は男だけでなく女も働かせることで労働コストを下げようとしたのだろうが、男女の雇用機会の均等化が進むに従って、男を働かせるための商品としての女の価値が落ちていってしまったのではないか。

    女が自活できるようになり、女にとって結婚の必然性が下がった。女は結婚相手をえり好みするようになる一方で、男は女に仕事を侵食されて収入が下がり、女子供を養うのが大変になった。また女が処女性を気にしなくなったことで、男はこれまでより簡単に女性器を得られるようになり、男にとっても結婚の必然性が下がった。他にも資本主義社会は、女を得るために男にデート費用など多大な出費を強いていたのだが、それもなんだか下火になっているように思える。

    と話が脱線したので本の内容に戻ると、ちょっと作者は女の味方をしすぎているように思う。これまでの歴史で男が女に対して結果的に横暴だったのは確かではあるのだけど、それを作者は文化的に見てしょうがない(?)とする立場なのに、割と明確に男の責任とか悪さについて言及している箇所が目立つ。でもそうやって良識を示すことで、逆にあっさりと「女が誘ってる面もある」みたいなことも言っているのは大きいかも。下手にバランス取ると多分いまの「良識」からすれば叩かれてしまうだろうからしょうがないのかな。

    よく2ちゃんねるで(というかニュー速で?)、女は自分からは行動を起こさず、イケメンには強引に迫られたがるくせに、同じことをブサメンにやられるとすべてセクハラや犯罪にするということが言われている。女は確かにこれまで受身を強いられてきたわけではあるのだが、現代では明らかにこの傾向が薄れているにも関わらず、いつまでたってもこの流れを自分たちの都合の良いように利用しつづけているから、一方で自分勝手な男からひどい目にあいつつ、もう一方で普通またはおとなしい男から相手にされなくなっているのではないだろうか。

    なんか自分の考えを結構書いてしまったけど、とにかくそういうことを色々考えさせられるような内容の本だった。

    この作者の本を今まで何冊か読んでいる人にとっては、この本は前半ちょっと退屈かもしれないけど、書き直しているだけあって丁寧に文献を引用しているので整理されていて読みやすいし説得力が増している。作者に対する批判の多くは多分「科学的でない」といった類のものだから、そういう声に応えたのかもしれない。もちろんこの本が一冊目だという人にも安心して勧められる。

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