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    井上ひさし (新潮文庫)

    最高(50点)
    2010年8月16日
    ひっちぃ

    いい学校に行っていい会社に就職しろと教育ママに言われて勉強させられる小学生三人組が、大人社会に嫌気がさして反抗を企てる社会派喜劇小説。

    作者は最近亡くなった井上ひさし。子供の頃に何かこの人の作品を読んだ覚えがあるのだけど、大して面白くなかったのでこの人の作品にはそれからずっと手を出さなかった。亡くなったのをきっかけに改めて何か読んでみようと思ったらなぜか自室の本棚にこの本があったので読んでみた。

    面白い。驚いた。読ませる展開でぐいぐい読んだ。大人の、特に身勝手な母親の描写がこれでもかといやらしい。母親や家庭教師が子供に対して掛ける圧力が半端ない。ここまでくると逆にすがすがしささえ感じる。主人公の少年たちの不満がどんどんたまり、怒りとなって行動に駆り立てていく。第一章の題が「暗殺リスト」で、子供たちが暗殺したいと思う汚い大人をリストアップするシーンがある。かといって陰湿な感じはそんなにせず、ユーモアがただよっている。子供たちが本気でやりとりしているさまがとてもリアルで、とにかくすごいエネルギーのある作品だった。

    父親が尻に敷かれているのが笑った。単行本は昭和51年5月に朝日新聞社から発刊されたそうで、この時代からすでに日本の世相が受験戦争とか教育ママだったみたいだ。タイトルの偽原始人とは、子供たちがそんな社会から逃げ出して原始人のようにほらあなに住むことを考えたことからついているのだろう。

    そんな子供たちが敬愛していた数少ない大人の一人が容子先生だったのだけど、子供を甘やかしているからと親たちにいじめられて追い詰められ、自殺未遂をして重い障害を背負ってしまい夫に介護されている。心を患ってしまった容子先生と、そんな先生を見て親たちへの怒りをためていく子供たちの姿に、読んでいて涙が出てきた。

    とまあそんな重い話も描かれるのだけど、物語は割と淡々と進行する。文章に余裕がありすぎてちょっと拍子抜けに思うことがたびたびあった。作者は演劇の脚本もだいぶ書いていて、小説でも「はいこのシーンはここまで」みたいな感じがする。演劇だったら音楽で盛り上げてシーンを切り替えれば説得力があるのだろうけど、小説だとなにか物足りない感じがする。

    でもそんなことが問題にならないほど、登場人物たちのやりとりに魅力がある。何か一つの目的を果たそうとするときに少年たちが意見をぶつけあったり、母親や家庭教師と戦ったり、容子先生の夫や街中の奇人と社会に関する話をしたりと、会話によってああだこうだと話が進んでいくところが活き活きしていて素晴らしかった。正反対の考え方を持つ人物をここまで動かすのはすごい。しかも、話の結論に至るまでの道をたどるだけになりがちなのに対して、ああこれは違うか、みたいな勇み足と一歩後退みたいなものまですくい上げて描いているので現実感がある。こんなにしっかりした会話が描かれた小説を読んだのはいつだったか覚えていないぐらいで、改めて小説の魅力というものについて考えてみたりした。あ、西尾維新も良かったけれど、会話の内容があまり現実的ではないし、置かれている状況が特殊だったりするので、現実的な説得力には乏しい。その分、非現実的な魅力があってこっちはこっちで素晴らしい。

    ストーリーあり、笑いあり、涙あり、社会派あり、ドラマあり、冒険あり、と非常に完成度の高い作品だと思う。ただ、当時熱かったテーマが、今でも十分考えさせられる内容であるにも関わらず、今だとそこまで重要でなくなっているように思える。たとえばいまはゆとり教育に対するゆり戻しがきているところだし、父親の地位の低さはもはや当たり前となって比較的どうでもいいテーマになってしまっている。そろそろ逆に女性の地位の低下と父親の復権が起きそうな流れも水面下で起きている。それにいまどきこんなに反抗的な子供なんているのだろうか。だから、いま人に勧めるのはどうかと思ってしまう。

    そうなると、今の世相をえぐりとったような作品を読みたくなる。だけど最近のその手の作品はどうもおしゃれとか性とか型にはまったウケやすい展開なんかが先行していて読む気がしない。

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