電波女と青春男 6巻まで
入間人間 (アスキー・メディアワークス 電撃文庫)
いまいち(-10点) 2014年1月20日 ひっちぃ
両親の仕事の都合で叔母の家に預けられた高校生の少年・丹羽真は、転校先で青春を謳歌しようと意気込んでいたが、一人暮らしだと聞いていた叔母の家には引きこもりで挙動不審の美少女・藤和エリオがいた。ライトノベル。
2011年にアニメ化されたのを視聴し、話の筋はさっぱり面白くなかったけれど独特の雰囲気にちょっと魅了されたので、原作を読めば何か分かるんじゃないかと思って読んでみた。結論を言うと何も分からなかった。よくまあここまでうまく幻想的にアニメ化したものだと驚いた。
高校生の少年・丹羽真くんの一人称で語られる物語であり、こいつこそが題にある「青春男」なので、この話は彼が青春っていうつかみどころのないものをどうやって謳歌しようか模索する話なのだと思う。で、いろいろとそれっぽいことをやってみるのだけど、読んでいてぜんぜんしっくりこない。単に私の感受性がないだけなのかもしれないけれど、作者がこの作品で描く「青春」ってそれっぽさを求めて空振りし続けているようにしか思えない。
まずヒロインで「電波女」の藤和エリオは、水色の髪をした幻想的な美少女なのだけど、半年ほど失踪したことがあってその間の記憶を失っている。で自分は宇宙人なのではないかと思い、宇宙へ帰る方法を探し求めてわけのわからないことを言っているので、主人公の丹羽真が彼女を現実に引き戻そうとするのが最初の話だったっけ?
どの巻にも共通しているのは、主人公が一見無意味なことに一生懸命になることなのだけど、なんだか主人公が作為的すぎて成功しているように見えない。これをやったら青春っぽくない?って考えながら行動しているんだもの。読んでいる方はしらけてしまう。そういう自意識とは関係ないところで一生懸命になるのが青春なんじゃないかなあ。最初の話を例に挙げると、宇宙に「帰りたい」と願う彼女のために自転車で大ジャンプするのだけど、それはあくまで彼女の思い込みにしたがってやったことであって、この少年はこんなことで宇宙に行けるとは思っているはずがない。そんなんで人の心を動かせると思ってるんだろうか?
ほかにも、ペットボトルでロケットを打ち上げる話だとか、引きこもりの少女を町内会の野球に連れ出す話だとか、同級生の少女がバスケットの試合に補欠で出るのを応援するとかいろいろあるんだけど、どれもまったく伝わってこなかった。6巻の文化祭の話を読んでああこの作品はダメだと思って読むのをやめることにした。
とそれでも6巻まで読み進めたのは、少女たちが魅力的で、なにか進展があるんじゃないかと期待していたから。ライトノベルってイラストで売り上げが左右されると言われていて、この作品には人気絶頂のイラストレーターである「ブリキ」が絵を描いている。じゃあやっぱり「ブリキ」のおかげで売れたんじゃないかと思うところだろうし、たぶんそれは非常に正しい答えだと思うのだけど、著者の入間人間による文章での少女描写(とくにリューシさんと藤和エリオ)もなかなか魅力的だと思う。藤和エリオが主人公のことを「イトコ」と呼ぶような独特の距離感はなんとも説明しがたい魅力を感じた。藤和エリオと主人公の接近をとがめるときのリューシさんのセリフなんてかわいすぎる。
でもキャラクター全般に魅力があるかと言われればそうではなく、藤和エリオの母親である藤和女々がアラフォーなのに子供のように振る舞って主人公に迫るのが気持ちが悪いし、田村のおばあちゃんはだいぶ歳をとっているのにやたらと世の中に未練をもってああだこうだとグチグチ言うのがウザいし、宇宙服っぽい服を着た白髪の美少女・星宮社はなんのためにこの作品にいるのかさっぱり分からない。第三のヒロイン(?)の前川さんはもっとさりげなくいてほしかったなあ。ちょっとわかりやすすぎてうんざりする。
アニメ化されたときに2ちゃんねるのどこかでこの作品についてああだこうだ短評が飛び交っていたのを見て、曰く主人公の独白がウザい文章がヘタだと酷評されていたのだけど、大体そのとおりだなと思った。地の文のレトリックのセンスが自分の感覚からするとほとんど空振りしているんじゃないかとさえ思った。この人は小説家じゃなくてアニメの脚本家のほうが向いているんじゃないかと思う。
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