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    久保ミツロウ (講談社 KCデラックス)

    傑作(30点)
    2014年9月21日
    ひっちぃ

    高校三年間を友達も作らず部活もせず孤独に過ごしてきた今村金一郎だったが、卒業式の日になってなぜか応援団のことを思い出す。学ランを着た女の応援団長が、入学式の日にたった一人で校歌を熱唱していたこと。ダサいと思いながらもどこか引きつけられていたこと。そのあと彼女から直接声を掛けられて応援団に勧誘されたが断ったこと。あれから三年後、学校を去る前に気になって先生に聞いてみたら彼女はとっくに自主退学していた。そして彼は不思議な現象に遭って三年前の日にさかのぼる。高校生活を「アゲイン」することになるのだった。少年マンガ。

    同じ作者の「モテキ」がとても面白かったので期待していた続編がこれ。結論からいうとすごく面白かった。

    もう最初の引きが最高。何一つ良いことのなかった主人公が高校生活で唯一心を動かされたのが、眉は太いが十分美人と言っていい女の応援団長の宇佐美良子の存在だった。その彼女がなんと学校を自主退学していた。彼女が率いていたはずの応援団も当時彼女たった一人だけで、団員はみんないなくなっていた。どうしてこんなことになったのだろうと不思議に思い、主人公が動き出す。魅力的で個性的な美女と応援団の謎が気になってグイグイ読んでしまう。

    最初の展開を勝手に第一部「応援団復活編」と区切って名付けると、読者の分身であるシラケ世代の主人公が、熱意の空回りする宇佐美団長の未来を知って助けようと奮闘する話になっている。奮闘といっても主人公からすると本来別にどうだっていい話なのでやる気がブレまくる。でもなにかに突き動かされて結局やりきることになる。

    応援団長の宇佐美良子がかわいい。応援団なので男言葉バリバリで、体育会系のノリで返事は「押忍」だの鉄拳制裁だのしてくる一方で、運動音痴だったり感情に振り回されるモロい部分も見せたりする。彼女は結構頑固なので、主人公の提案や説得をことごとく拒否し続ける。そんなことで応援団に再び人が戻ってくるのか?

    応援団のライバルとしてチア部の部長で通称アベタマこと安倍珠貴という女がいて、こちらは応援団と違って大所帯で一番勢いがあるにも関わらず、野球部への応援で吹奏楽部などとの合同応援をするときは応援団の指揮下に入らなければならないことが気に入らず、あれやこれやで応援団を潰そうとしてくる。こいつは作品を通して魅力的な悪役でありつづける。結構えげつないハニートラップを仕掛けてきたり校長に直接働きかけたりと終始悪い女なのだけど、たまにいい面も見せて憎めない。っていうか、こいつ大好き。女のいやらしいところなんかを露骨に見せるのだけど、こいつ自身も結構一生懸命(あくまで自分のためなんだろうけど)なのが好感持てる。

    このチア部のアベタマにハニートラップとして主人公のもとに送り込まれたのが柴田麗緒(レオ)で、こいつは女子で学年一の学力を持つものの、自分を変えたいと思ってチア部に入ったという本来は地味な女の子。たまたま応援団長の宇佐美と同じ髪型をしていることやクラスが一緒という理由で選ばれ、主人公のやる気をなくさせるために主人公に近づいていって取り入ろうとするが、次第に主人公に惹かれていく。

    ラストに主人公の努力が実を結ぶところは結構ジーンときた。まだまだこの物語には続きがあるのだけど、たぶんこの作品のピークがこのあたりだと思う。

    第二部「野球部鈴木編」は、応援団が解散した直接の原因となった野球部の定期戦での応援の話。現実世界では野球部期待の星である一年生エースの鈴木が怪我をして出られず、弱い野球部に対するむなしい応援の中で団長が無理をしたことで事件を起こしていた。主人公は一年生エースの鈴木が怪我をする前の時間軸に戻ったので、なんとかうまい方向に持っていこうとするのだが…。

    第三部「演劇ヘルプ編」は、のちに女子大生グラビアアイドルTAKAとなって有名になる長身ブサイクで化粧美人の花高が、演劇部で仲間に愛想を尽かされて逃げられてただ一人部に残っているので、応援団で助けようとする話。根暗でネガティブな花高は、同じくネガティブな主人公の提案を受け入れ、「死にたいミュージカル」という型破りなミュージカルをやろうとする。

    第四部「新団長継承編」は、応援団の次期団長になんだかんだで主人公が立候補するのだが、心配になった現団長の宇佐美良子がOBの元団長二人を呼んで鍛え上げようとする話。主人公は彼女やOBのやりかたに反発し、自分らの応援とやらを模索しようとし、そのやりかたが正しいかどうかを市民マラソン大会での応援で見せつけようとする。

    この作品、すごく面白かったのだけど、いったいどこが自分にとって面白くて、この作品にどんな主張があるのか、いや少なくとも自分がこの作品から何を受け取ったのか、読み終わったあとでちょっとよく分からなくなった。

    とりあえず作中で語られているのが確実なのは、苦境があってもそのあとでそれをバネにしてその後に何かやりとげるかもしれないし、逆に苦境を回避しちゃったらそのあとは奮起しないままになるんじゃないかってこと。作者は巻末でちょろっとだけ自分のことを吐露していて、作者自身あんまりいい高校時代を送れなかったけれどそれほど後悔はしていないみたいで、そのことを自分に言い聞かせている段階はとうに経て、今度は読者にそれを伝えたかったのかもしれない。

    応援団をとりあげたのは作者自身の個人的な思い入れと経験によるものらしいけれど、青春とは恥ずかしいものだという比喩として応援団が使われているのはかなりハマっていると思う。これほど恥ずかしくてかっこよくて(?)一生懸命なのってそうそうないんじゃないだろうか。

    最終巻で作者が帯でやっと自分の作品でボーイ・ミーツ・ガールを描くことが出来たと書いているのだけど、うーん、この結末を描いておいてよくそんなことを言ったな!と全力でツッコミたい。主人公とヒロインの関係は一体どうなったんだと。

    …でも、ヒロイン以外の女子たちがちゃんと恋愛してるんだよなあ。元ガリ勉の柴田麗緒と、地味な演劇部長の花高と、あとついでに彼氏だと思っていたヒロくんにうざがられながらもそれと気づかずに幸せに生きてきた藤枝暁も入れるべきか。主人公のかっこわるさには正直あまり共感できなかったのだけど、この女子たちのかっこわるさは魅力的に映った。主人公の行動一つ一つに一喜一憂し、時に臆病に、時に大胆になる柴田麗緒のさまは、誰でも大なり小なり持っている部分だと思う。なんだかんだでイケメンにほだされて舞い上がってしまったり、最初は陰でSNSに書き込むことでしか本音を言えなかったのに自分の想いを思いっきりぶつけることができるようになった花高。一方で藤枝暁はテニス部にいて元々かわいくて友達が多くて彼氏持ちだったはずなのだけど、主人公の「アゲイン」に巻き込まれて一緒に三年前に戻ってしまい、そこからちょっとしたきっかけが元で気味悪がられて孤独な日々を送ることになる。ちょっとざまあみろなカタルシスなのだけど、同時に健気にがんばるところ(不満たらたらだけど)もまたかわいい。あと男子では野球部の一年生エース鈴木の見事な失恋のエピソードもよかった。

    少女マンガとかテレビドラマなんかで描かれるいわゆる普通の恋愛モノとは違う、現実世界によくある本当の意味でのボーイ・ミーツ・ガールってのは、こんな風に中途半端で一生懸命な空回りなんだと思う。世の中の八割の人はブサイクなわけだし、自分に自信なんて持ってないと思う。そんな読者の心にきっとこの作品は突き刺さると思う。少なくとも自分には割と深く刺さった。

    改めて振り返ってみて思ったけれど、この作品って少年誌に連載されていたのに、あだち充「タッチ」の浅倉南みたいなあからさまなヒロインがいないんだよなあ。この作品の正ヒロインである宇佐美良子って変人だし、サブヒロインたちもイロモノ系ばかり。同じ作者の「モテキ」はヒロインたちいろんなタイプのいい女だったのに比べると、正統派な華やかさに欠ける。チア部長のアベタマは王道的なカースト最上位の女だけど裏の顔バリバリで完全にイロモノだしなあ。いや、自分にとってはそれがたまらないのだけど。

    前作「モテキ」でも思ったけど、この人は絵がうまいよなあ。特に、ブサイクな登場人物をそれなりの説得力でブサイクに見せつつ魅力的に描くところはほんと素晴らしい。柴田麗緒は絵的にそれほどブサイクじゃないけれど、花高とか、男子で言えば野球部の鈴木なんか。この絵があるからこそ、この話がなおさら引き立つんだと思う。それでいて藤枝暁はちゃんとかわいい美少女で、表情が豊かで、それでいてしっかり汚れ役やっていて映えているという。自分は特に足フェチ的に野球の応援のときに裸足になるシーンがすごく良かった。高校のとき同級生の女の子がなにかのときに(体育祭?)運動場で裸足になっていたのを思い出した。ヒロくんや先々代団長やオカみたいなイケメン勢もうまいし個性的だった。

    ちょっと批判もすると、結局主人公を突き動かした衝動はなんだったのかってこと。作者は最終話でそれを形にして見せたつもりなのかもしれないけれど、少なくとも自分には全然伝わってこなかった。これは違うと思った。確かにこうだったらすごくきれいにまとまるんだけど、やっぱりなにか違うと思う。そして団長の宇佐美良子のほうから主人公への想いというのもよくわからなかった。好きになったというほのめかしが自身の口からじかに語られているのだけど、どうも違和感がある。団長が「アゲイン」(?)して一人ぼっちになったときに今村の存在にすがろうとするところとか、いくつかそういうシーンはあったのだけど、どうもしっくりこなかった。自分の中にこの物語を受け入れる素地がないだけの話なのだろうか?

    主人公の今村金一郎は一体どうしたかったのだろう。モテたかったわけでもなく、友達がたくさんいる充実した高校生活を送りたかったわけでもない。こいつは孤独だったくせに勉強もせず就職もしようとしなかった。かといって世の中に強い不満を持っていたわけでもなさそうだし、いったい何を考えていたのだろう。こいつは作中ところどころで意志を示すのだけど、自分がこうありたいというものではなくて、他人に都合のいい展開をさせてたまるかという反抗的なものばかりだった。読者がそれぞれこの主人公の空白部分を補って読者自身の物語に重ね合わせることを作者が狙ったのだろうか?それとも、どうしたいなんていう具体的なビジョンを持つ人のほうが少数派で、多くの読者からすれば漠然とした不満を持っている主人公の状態が一番共感を持てるんだろうか?

    主人公を動かしたのは応援団長の宇佐美良子への恋心だったのか?でも団長の危機を救ったのは第一部だけで、いや第二部もまた応援団解散の危機ではあったけれど、そのときはもう団長だけの応援団ではなくなっていた。応援団自体への思い入れを主人公が抱いていたわけでもなさそうだし。うーん。谷川流「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズの主人公の男も、同じく「団長」のために奔走しつつもまったく恋心とか表に出さないのだけど、出さないなりにモロわかりなところが胸に来た。でもこっちの今村金一郎はどうなんだろう。最終巻のあたりで今村金一郎が自分なりの応援をしようとする話があるのだけど、結局それはうやむやなまま終わってしまった。

    そうだ。最後のあの展開は一体なんだったのだろう。世の中の可能性みたいなものを描きたかったんだろうか。それとも、なんか面白いからやってみただけなんだろうか。この作者、信じられないことにフジテレビ「笑っていいとも!」の最終期にフリップ芸人のように準レギュラーで出演していて、今は深夜で「久保みねヒャダ」という一種のお笑い番組のレギュラーを持ってる。自分はこの番組とこの作者が好きで毎週見ているんだけど、このおばさんだったらなんでもやりそうな気がする。にしてもあんなおばさんがこんないい作品描くなんてなあ。

    細かいところまで考え出すと、正直この作者は人の機微に疎いんじゃないかと思ったりもするのだけど、そんなものを吹き飛ばしてしまうぐらいにストーリーとキャラクターが魅力的なのでとても楽しめた。少なくとも多くの人にとってこの作品はとても楽しめるマンガなのでまずはぜひ手に取ってほしい。

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