失われた未来を求めて アニメ版
監督:ホソダナオト アニメーション制作:feel. 原作:アトリエハイキー
まあまあ(10点) 2014年12月21日 ひっちぃ
内浜学園には学内の有名人が集う「天文学会」という名の文化部があり、学生会執行部からの依頼で学内の揉め事を解決するなどして名を轟かせていた。彼らのもとに謎の全裸美少女「ゆい」が現れ、たどたどしい振る舞いをする彼女を仲間として迎え入れた。よく分からない理由で時々必死に行動する彼女を見て、男子会員・秋山奏は心を惹かれていくが…。エロゲー原作のテレビアニメ。
2014年10月から放映開始され、そんなに面白いとは思わなかったのだけどダラダラ見ているうちに完走してしまった。で、最終的にいまいちだなと思ったのだけど、同じタイムリープもの(?)としてヒットした「魔法少女まどかマギカ」「シュタインズゲート」などと比べて何が違ったのか気になったので考えてみることにする。ネタバレ注意。
一話か二話の最後にいきなり主人公の幼馴染の少女が事故に巻き込まれて悲劇的な結末になり、次の話からなにごともなかったかのように時間が巻き戻って話が再開した。なにか作品から突き放された感じがした。「魔法少女まどかマギカ」では10話でやっと時間が巻戻るし、「シュタインズゲート」も最後の方で主人公が巻戻りに絶望する。序盤でいきなり巻戻るとこんな風になるんだなあと思った。
その後、また同じように話が続くのだけど、やっぱり事故が起きてしまう。また巻戻るかと思ったらそのまま話が進み、「天文学会」のメンバーたちは植物人間状態になった幼馴染の少女の意識を取り戻そうと社会に出て研究を進める。謎の全裸美少女「ゆい」が実は精巧なアンドロイドで、事故後になぜか活動を停止していたので、彼女を分析して同じようなアンドロイドを作ることに成功する。そのアンドロイドに量子力学の技術を使って幼馴染の少女の意識を移そうとするが失敗する。そこで彼らは昔のことを思い出し、このアンドロイド「ゆい」を過去に送り込むことが出来るのではないかと考えついて実行する。それがかつて彼らの前に姿を現した謎の全裸美少女の正体だった…という結構とんでもない展開に。
でそのアンドロイド「ゆい」が過去に行って必死になって幼馴染の少女を事故から守るべく動くのだけど失敗し、また挑戦しては失敗を繰り返す。「ゆい」が必死になればなるほど、逆に主人公・秋山奏の心は幼馴染の少女から「ゆい」のほうに移ってしまい、焦った幼馴染の少女が別行動をとるようになってますます事故に引き寄せられていく。また、同じ時間を繰り返しているうちに「ゆい」は、アンドロイドなのに主人公への恋心を意識するようになっていく。
とまああらすじだけまとめてみるとすごく良さげな話で、実際に視聴してみてもそれなりにジンとくる話なのだけど、同時になにか違うような気がしていまいちだった。なぜなのだろう。
この作品の一番の魅力は「ゆい」の強い想いと報われなさだと思うのだけど、「ゆい」の存在自体が意味不明で根っこがないのが問題なんじゃないだろうか。「ゆい」は未来の主人公に言われて何度も何度も同じ時間を繰り返すことになるのだけど、アンドロイドなので当初は言われたことをそのままやってるだけ。「ゆい」は「天文学会」に迎え入れられて人間らしくなっていく(?)のだけど、なんかそれほど人間っぽい感情に目覚めていっているようにも見えなかった。
ちなみに「魔法少女まどかマギカ」の場合は逆で、時間を遡行し続ける少女ホムラは当初気が弱くてまどかに助けられてばかりの少女だったが、悲劇的な結末を繰り返していくうちに強くなって逆にまどかを悲劇から遠ざけるために突き放すようになる、という真実が10話で明かされて感動につながった。つまり気弱な少女という根があってそこから強い意志が芽生えたことが分かるので感動した。ついでに言うと、一話からの話は何度もループしつづけた末の時点から始まるので作中に時間遡行はない。
「シュタインズゲート」の場合はこんなにややこしくなくて、いままでいさかいあいながらも仲良く過ごしてきた仲間がどうがんばっても死ぬ展開にしかならなくて主人公が慌てているうちに自分にとって大切なものに気付くという感じで、そこに至るまでに延々色んな話があるので主人公の気持ちに感情移入できた。
話を戻して今度は主人公の想いについて言うと、幼馴染の少女を事故で失ったことが彼を行動に駆り立てていくのだけど、彼は事故で彼女を失う前は「ゆい」の方に心惹かれていっていることが話の進展にともなって描写されてしまうので訳が分からなくなってしまう。おまえ振ってるじゃないかと言いたくなる。
丸戸史明「冴えない彼女の育て方」という紙芝居ゲーム制作を扱ったライトノベルを最近読んでいて思ったのだけど、ゲームが原作の作品をアニメ化するとこういう風に色々一貫しなくなっちゃうんじゃないかと思う。ゲームをプレイしていたら、選択肢の選び方によって枝分かれするので、登場人物がいろんな感情を持ちうる。一回のプレイだと一つの方向でしか感情を持たないのだけど、色んなルートでプレイしていくうちにプレイヤーは登場人物が持つ様々な感情を同時に知ってしまうことになる。すると、本来はパラレルワールドごとに違うはずなのに、プレイヤーのほうでは登場人物のことを多面的に見てしまい、作品世界および登場人物を小説などではありえないほどに深く理解してしまう。まあだからゲームのほうが小説よりも面白いのだろうし、実際情報量としてみれば明らかにゲームのほうが豊かなのだけど、一本道の小説やアニメとして見るとなにかヘンな気がしてしまう。
自分はいわゆるアドベンチャーゲームと呼ばれる紙芝居ゲームとその派生たるギャルゲーやエロゲーなんかはほとんどプレイしなくて、いくらいいストーリーでもゲームでやるのは面倒なので小説やアニメにしてくれと言いたいのだけど、こうして考えてみると小説やアニメよりもゲームのほうがより深い作品になりうるんだなあと思った。と言いつつ、いまプレイしているバンプレスト「アルトネリコ」だと(RPGだけど)、途中で二人の女の子のどっちかを選ぶ展開になって話が分岐するようになっていて、こんな分岐いらないから両方のルートの話を楽しませてくれと思ってしまう。
再び話を戻して今度はキャラクターについて話すと、「天文学会」の面々も微妙に魅力に乏しかった。文武両道で頭が良い上に腕っぷしも強い女会長がかっこよくて、子供じみた野心を持っているところがかわいかったりもするのだけど、なんだか結局好きになれなかった。万能キャラなんだからもっとガキっぽいところとか珠に傷なところや失敗なんかがもっと描かれてほしかった。主人公以外の男としてアメリカからの交換留学生ケニーというヘンな英語まじりのフレンドリーで怪しい外人がいるのだけど、妙な空気を作っていて作品自体をヘンな色に染めちゃっていると思う。ほかにサブヒロインっぽい女子会員がいて、主人公に想いを告げるところまで行かずに絶妙なラインで止まったのがちょっとキュンときた。主人公の幼馴染の少女は最後ミス学園に選ばれているので実は一番の美少女だったのだけど、作中あまりそういった描写がなかったのでアレって思った。主人公に振られてからの友達とのすっきりしたやりとりがなんかかわいかったけれど、序盤がなんかテンプレな幼馴染だったので、中盤で「ゆい」に男を取られそうになって悲しむところにあまり魅力を感じられず、全体としてはあまり魅力を感じなかった。
以上こうして長々とチラ裏を書いてしまったけれど、これという真実にはたどり着けなかったし、人に勧めたい作品というわけでもなく、単なる時間の無駄に終わってしまったかもしれない。でも、ギャルゲーやエロゲーといったアドベンチャーゲームのほうが小説やマンガやアニメよりも作品世界を深く描写できるということに自分が気付けた点では書いて良かったと思う。あ、ゲームじゃなくても別にパラレルワールドで小説なりなんなり同じ時間をなぞって何本も書けばいい話だし、Fate/Stay Nightみたいに複数のルートをアニメ化する試みもあるのか。まあそれが成功しているかどうかは知らないけれど。
|