鬼滅の刃 14巻まで
吾峠呼世晴 (集英社 ジャンプ・コミックス)
まあまあ(10点) 2020年4月12日 ひっちぃ
大正時代の日本で、昔ながらの炭焼きで生業を立てている家族ほぼ全員を「鬼」に殺された少年・炭治郎は、「鬼」化しながらもわずかに理性を残した妹・禰󠄀豆子を治す方法を求めて、「鬼」を退治するための組織「鬼殺隊」に入ろうとする。少年マンガ。
驚異的な売り上げを誇る尾田栄一郎「ONE PIECE」に次いで売れている作品らしく、色んな芸能人がファンであることを公言しており最近もっとも注目されている作品なので、去年アニメ化されたときは三話ぐらいまでで見るのをやめてしまったのだけどちゃんと原作を読んでみることにした。アニメで見たところまでは余裕で超えてそこそこ面白かったけれど、やっぱり途中で読む気がなくなってしまった。それでもなぜ人気があるのかなんとなく分かった気がした。
なぜアニメの方は三話ぐらいで見るのをやめたのかというと、最初に出てきた鬼殺隊の隊員が「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」と理屈っぽく主人公を説教しはじめたことにまずうんざりしたからだった。13歳の少年にこんなこと言って理解させることなんてできるわけがなく、非常にこっけいに思えた。視聴者の方も「生殺与奪の権」「主導権」「尊重」なんて急に言われても入ってこないんじゃないだろうか。というかそもそも「権利」などの言葉自体が当時存在したのか違和感があったのだけど、自分が一つ勘違いしていたのは刀を持っていて武士っぽいから戦国時代とか江戸時代かと思っていたら大正時代だった。その後も安易な修行に入ってこの先の展開にさっぱり期待が持てなかった。
主人公への説教は一言「甘えるな」って言いたかったんだと思うけど、特にそれが作品のテーマになることもなかった。自分のことは自分で切り開け、大人に情けを掛けてもらおうと思うな、ということなのだけど、結局主人公は師匠に寄りかかって稽古をつけてもらい、組織にべったり従って活動することになる。そうであってもあくまで一人の人間として自分を弟子にすることのメリットだとか組織への貢献を主張して交渉するのであればまだ分かるのだけどそんな描写はなく、よく分からないままに「甘えるな!」と言われるに等しいところが非常に日本的だなと思った。
それでもこの作品が人気になる理由として思い当たったのは、まず主人公の炭治郎がとにかくやさしいのだ。ただやさしいとか甘いのではなく、さわやかで理屈として正しいやさしさなのでとても気持ちいい。それでいて間違ったことには堂々と嫌味なく注意する。注意するといっても相手を従わせようとするのではなく、あくまで自分自身の意志で無理なく行動を改めるよう勧める。炭治郎に他意がないから言われた方も素直に言うことを聞くことができる。
特に女性に人気が高い理由は、第6巻で出てくる療養施設で地味な女の子三人組に対して炭治郎がそれぞれ「ちゃん付け」で呼び、彼女たちの献身に心から感謝しているからだと思う。「ONE PIECE」のルフィーみたいな王道少年マンガの主人公は大抵女に興味がないのだけど、これは恋愛要素が入ると売り上げが落ちるという客観的なデータをもとにした戦略らしい。この作品の主人公である炭治郎も誰かを好きになったりはしない。でも、世話をしてくれるやさしい女の子には好意を持ちますよ(恋愛ではないけれど)というのが描かれるので読者はほっこりする。アイドルみたいなものだと思う。
それにこの作品のヒロインの位置にいる禰󠄀豆子は炭治郎の妹だ。炭治郎は家族として彼女のことを深く愛している。しかも「鬼」化しているので言葉をしゃべることが出来ない。誰にも不満を抱かせない見事な設定だと思う。
第6巻以降で作風も少し変化する。ストーリーは真面目なのにどこかコミカルになる。無限列車編で猪の皮をかぶった剣士・伊之助が「猪突猛進」と叫んで列車に体当たりしたり(列車を得体の知れない敵と勘違いしている)、車両の中で柱と呼ばれる強い剣士がむっしゃむっしゃと弁当を食べているところが描かれたりするところなど、どこかこっけいなシーンが頻繁に挟まれて笑いを誘われる。絵のタッチもセンスよくすっとぼけた感じにデフォルメされていて、なんだか桜玉吉を彷彿させる。真面目な作品にこういうふざけた要素を入れると独りよがりな感じがして非常に不快になることが多いのだけど、この作品は少なくとも自分の感覚で言えば見事な線引きでうまいことやっていると思う。たぶん当人たちがおどけているわけではなく真剣だからだと思う。
戦闘は剣士なので剣技を繰り出して戦うほかに、「呼吸」によりパワーアップしたりする。「呼吸」には種類があってまるで魔法かなにかのような感じに様々な効果が得られる。主人公の炭治郎は特別な「呼吸」を受け継いでいることが分かる。ただ、「呼吸」は意識して繰り出すので分かりやすくておもしろいのだけど、剣技のほうはあらかじめ身につけたものをいきなり繰り出すことが多く、一枚絵に技の名前がドンと出るだけなのでよく分からなかった。技に漢数字がついているので数字が大きい方が強いんだろうなと漠然と思うぐらい。
敵である「鬼」がとにかく不気味でなんでもアリな存在なので自分はあまり戦闘シーンが楽しめなかった。生命力がとても強いので傷を負わせてもすぐに回復してしまう。首を斬り落とせばそのうち死ぬのだけど、強い鬼にはその法則すらなく、どこか別の場所に別の首があったり、どういう理屈なのか二人同時に首を落とさなければならなかったりする。人の形をとっているとは限らないし、大きさもまちまち。
ラスボスは鬼舞辻無残というまるで吸血鬼の真祖のような存在で、最初は西洋風の帽子をかぶった姿で現れ、人間社会に巧妙に溶け込んで暮らしているところが描かれる(でも一方で無限城という本拠地も持っている)。こいつの血が傷から入ると「鬼」化するらしく、すべての「鬼」の元となっている存在とのこと。「十二鬼月」という幹部を従えている。この「十二鬼月」には月の満ち欠けになぞらえて上弦と下弦がいてそれぞれ六人ずついるのだけど、下弦があっさり一掃されるのがウケた。
主人公の仲間として、まず臆病だけど意識を失うと第二の人格が覚醒して強さを発揮する二重人格の善逸は坊ちゃんカットのかわいい剣士で、ウブなので炭治郎の妹の禰󠄀豆子に惚れる。伊之助は幼少の頃は猪に育てられた剣士でいつも猪の皮をかぶっていて行動までまるで猪のように直情的なのがおもしろい。皮を取ると美形だけど読者投票では善逸のほうが上だった。
他に女性剣士のカナヲは炭治郎とは同期だけど既に鬼殺隊の幹部に弟子入りしていて一つ上の技術を身につけていたので炭治郎とその仲間たちは彼女の教えを受ける。彼女は抗いがたい境遇だったことから自分のことを自分で決めることが出来ず、なんでも無表情にコイントスで決めるという変わった性格をしているのだけど、それじゃダメだと炭治郎からやさしく諭されて変わっていく。
絵の感じは非常に独特で、だけど岸本斉史「NARUTO」にはちょっと似ていると思う(話づくりもそういえば似てるかも)。元アシかと思ったら特にそんなことはないようだった。同じ週刊少年ジャンプだから意識はしてるんだと思う。禰󠄀豆子はわりと正統派な和風美少女だけど、カナヲや胡蝶しのぶや甘露寺はしっかりした線の割と骨太な女性キャラで、それでいて今の感覚でも魅力的に感じられるのでとてもセンスがいいと思う。炭治郎からも尊敬されているし。絵に描いたような美少女キャラって男ウケはいいけど女ウケしないし強さに説得力もないから。セーラームーンやプリキュアなんかは年齢層の低い女の子にはウケたけれど、この作品の人気を後押ししたとされる四十代までの女性からの支持はこういうところにあるのかもしれない。この作品を好きだと言っても恥ずかしくない空気もあると思う。
でも自分にはやっぱり退屈でもう途中から無理に読んでいる感じがしてきたので14巻でいったん読むのをやめることにした。使い魔みたいなカラスにより組織からの指示を受け取ってあっちこっち鬼を倒しに行くだけだし、魅力的ではあるけれど面白みのない主人公だし、人と人とのやりとりが関係を発展させていく感じにも乏しいし、なにより戦闘シーンの比重が自分には高すぎる。あと敵である鬼にもあまり魅力がないと思う。強力な鬼にもどこか人間的な弱点があるのは面白いのだけど、なにか伝えきれていない感じがする。
単行本6~7巻ぐらいはマンガ好きなら見ておいたほうがいい絶妙に面白い部分なのでそこまでなら無条件に勧められるけれど、そこから先を読むかどうかは好みで決めればいいと思う。大ヒットする作品というのは、ゴールデンタイムのテレビ番組のように広い読者層にそこそこ受け入れられているだけである場合も多いため、無理をして読むこともないと思う。
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